第十二話 魔王軍が困っている理由を調べたら、笑えない話だった
第十二話 魔王軍が困っている理由を調べたら、笑えない話だった
前話までのあらすじ
三十一日目、魔王軍の使者が城門に現れ、停戦交渉の申し入れの書状を持ってきた。
城中が騒然とする中、田中は「まず内容を確認する」と冷静に使者と対面。丁重に対応したことで使者は明らかに戸惑い、帰り際に「話が通じそうだから交渉に来てほしい」と田中を名指しした。
王様に報告後、田中は十日以内の返答期限までに魔王軍が停戦を求めてきた理由を調べることにした。アレン、ロイド、図書室の三方向から情報を集める。
やることリストに新しい項目が三つ増えた。いつもと同じだ。
三十二日目。
田中はアレンに頼んだ。
「前線近くで、最近何か変わったことがあったか、聞き込みをしてきてもらえますか」
「聞き込み?」
「砦の近くの村や、行商人から話を聞くだけで構いません。魔王軍の動きで、おかしいと思ったことがあれば」
「戦わなくていいんですか」
「戦わなくていいです。情報だけ取ってきてください」
アレンは少し考えた。
「……戦わない仕事、初めてです」
「やってみてください」
「できるかな」
「アレンさんは話を聞くのは得意ですよね」
「まあ、村の人と話すのは好きですが」
「それで十分です」
アレンは頷いて、出発した。
今度は事前伝言もちゃんと置いていった。
田中はそれをメモに記録した。
・アレン:行動ルール、定着しつつある。
同じ日の午後、ロイドを訪ねた。
「過去に魔王軍から停戦の申し入れがあったことはありますか」
ロイドは少し考えた。
「二十年前に一度ある。そのときは交渉が始まる前に魔王軍の内部で何かがあって、立ち消えになった」
「立ち消えになった理由は」
「わからなかった。使者が突然来なくなって、その後また侵攻が始まった」
「そのときの使者の様子は、記録が残っていますか」
「残っていないと思う。当時の騎士団長が対応したが、記録を取る習慣がなかった」
田中はメモに書いた。
・前例:二十年前に一度、停戦申し入れあり。理由不明で立ち消え。記録なし。
「もう一点、聞いていいですか」
「なんだ」
「魔王軍の侵攻のパターンに、最近変化はありましたか。攻め方とか、規模とか」
ロイドは少し間を置いた。
「……ある」
「どんな変化ですか」
「去年あたりから、大規模な侵攻がなくなった。小規模な偵察や、散発的な小競り合いはあるが、軍を動かした正面衝突がない」
「それは以前と違いますか」
「以前は三年に一度くらい、まとまった規模で来ていた。それがなくなった」
「原因に心当たりは」
「わからん。兵を温存しているのか、別の方向に向けているのか、内部で何かあったのか」
田中はメモに書き足した。
・魔王軍の変化:去年から大規模侵攻がなくなった。理由不明。兵力の温存か、内部事情か。
三十四日目。
アレンが戻ってきた。
今回は予定通りの日数だった。怪我もなかった。経費の記録も、七割できていた。
「戦わなかったんですか」
「戦わなかったです。村の人と話してきました」
「何かわかりましたか」
アレンは少し難しい顔をした。
「……なんか、変な話を聞きました」
「聞かせてください」
田中はメモアプリを開いた。
「砦の近くの村の人が言ってたんですが、最近、魔王軍の兵士が一人で村に来ることがあるって」
「一人で?」
「武器を持たないで来て、食料を分けてくれって頼むらしいんです。お金を持っていることもあるし、持っていないこともある。でも、乱暴はしない」
田中はメモを取った。
「村の人はどう対応していますか」
「最初は怖がって追い返してたけど、何度か来るうちに、少しだけ分けてやるようになった村もあるって」
「なるほど」
「変ですよね。魔王軍なのに」
「続けてください」
「砦の兵士に話を聞いたら、同じようなことが別の村でもあるって。しかも最近増えてきてるって言ってました」
田中は入力を止めた。
少し考えた。
「魔王軍の兵士が、単独で食料を求めている」
「そうです」
「組織として食料を調達できていない可能性がありますね」
「え?」
「軍の補給が機能していれば、兵士が個別に食料を求める必要はありません。それが複数の場所で起きているということは、補給が滞っている可能性があります」
アレンは目を丸くした。
「……そういうことか」
「まだ仮説ですが」
「魔王軍、兵糧が足りていないってことですか」
「可能性として」
「それで停戦を求めてきた」
「関係があるかもしれません」
アレンはしばらく考えた。
「……それって、笑えない話ですね」
「そうですね」
「兵士が食料を求めて村に来てるって、なんか」
「戦争の話というより、組織の話ですね」
「うん」
アレンは少し黙った。
「魔王軍って、中から見たらどんな感じなんだろう」
「わかりません。ただ、外から見えている行動だけで判断すると、間違えることがあります」
「タナカさんは、魔王軍のことも、話し合えると思ってるんですか」
「事情によっては」
「倒さなくていいんですか」
「倒すことが目的ではないので」
アレンはしばらく田中を見た。
「……タナカさんって、勇者じゃないのに、俺より大事なことを考えてる気がする」
「アレンさんが考えていないわけではないと思いますが」
「俺、倒すことしか考えてなかったです。今まで」
「それはアレンさんの役割だったからだと思います」
「役割」
「倒す人間と、その後を考える人間が、両方いた方がいい。アレンさんは前者で、私は後者です」
アレンはしばらく黙った。
それから、静かに言った。
「……一緒にやれてよかった」
田中は少し止まった。
「こちらこそ」
そう言ってから、メモに書いた。
・アレン:情報収集、問題なく完了。聞き込み能力、高い。
・重要情報:魔王軍の兵士が前線近くの村に単独で食料を求めている事例が複数。補給の機能不全の可能性。
その夜、田中は図書室で魔王軍に関する記録を読んだ。
レオンが付き合ってくれた。
古い記録の中に、一つ気になる記述があった。
「レオン、これ読めますか」
レオンが羊皮紙を見た。
「……魔王領の北側に、大きな山脈があって、その向こうから別の勢力が来ている、という話ですね。百年くらい前の記録です」
「別の勢力とは」
「書いてある言葉が古くて……『名もなき軍』とでも訳すのが近いと思います。魔王領を北から圧迫していた、という記述が何度か出てきます」
「魔王軍が、北から何かに押されていた」
「百年前の話ですが」
「今も続いている可能性は?」
レオンは少し考えた。
「わかりません。ただ、百年で消えるかどうか」
「魔王軍が南に来るのは、北から押されているからかもしれない」
「……その発想は、なかったです」
田中はメモに書いた。
・古い記録:百年前、魔王領の北から別の勢力が圧迫。現在も継続している可能性。
・仮説:魔王軍は自発的に侵攻しているのではなく、北からの圧力で南に押し出されている可能性がある。
・つまり:魔王軍もまた、板挟みかもしれない。
田中は最後の一行を見た。
書いてから、少し可笑しくなった。
「どうしました」と、レオンが聞いた。
「どこの世界にも、板挟みはあるんだなと思って」
「板挟み?」
「上と下の間で、動けなくなることです」
レオンは少し考えてから、静かに言った。
「タナカ、それ、あなた自身のことでもありますよね」
「まあ、そうですね」
「元の世界でも、ここでも」
「そうかもしれません」
田中は羊皮紙を閉じた。
「ただ、板挟みの人間同士は、話が通じることがあります」
「経験上?」
「経験上」
レオンはしばらく田中を見た。
「タナカ、もしかして、魔王軍の人間と話すつもりですか」
「事情を確認できれば、話し合いの余地があるかもしれません」
「……怖くないんですか」
「怖いかどうかより、やることがあるので」
レオンは少し笑った。
「また同じことを言った」
「同じことしか言えないです、本当のことを言おうとすると」
図書室の燭台が、風もないのに少し揺れた。
田中は資料を片付けながら、明日王様に報告する内容を頭の中で整理した。
情報は三方向から集まった。
仮説は一つに収束しつつあった。
魔王軍は、困っている。
そしてその困り方は、田中がこれまで何度も見てきた種類の困り方に、どこか似ていた。
三十五日目の朝。
田中は王様に報告した。
三日間で集めた情報を整理した一枚の羊皮紙を、テーブルに広げた。
王様は黙って読んだ。
側近たちも、今回は黙って聞いていた。
王様が顔を上げた。
「魔王軍が、兵糧不足の可能性がある」
「可能性です。確認はできていません」
「北から押されている可能性もある」
「百年前の記録からの推測です。現在も継続しているかどうかはわかりません」
「ただ、停戦を求めてきた理由として、筋は通る」
「はい」
王様はしばらく考えた。
側近の一人が言った。
「仮説に過ぎません。罠である可能性も——」
「罠の可能性はゼロではありません」
田中が言った。
「ただ、罠かどうかは、交渉の場を設定する前に確認できます。場所の選び方、人数の制限、事前の条件提示など、リスクを下げる方法はあります」
「どう下げるんだ」
「交渉場所はどちらの領土でもない中立地点にする。参加人数を双方同数に制限する。議題を事前に文書で共有する。この三点だけで、奇襲のリスクは大幅に下がります」
側近たちが黙った。
王様が言った。
「お前は、交渉に前向きだな」
「前向きというより、情報が欲しいです」
「情報?」
「交渉の場に出れば、魔王軍の実際の状況が直接確認できます。情報を得るだけでも、行く価値があります」
「話し合いで終わらなかった場合は」
「その判断は、交渉後に改めてすればいいと思います」
王様はしばらく田中を見た。
「田中、お前が交渉に行くか」
「使者が私を名指ししていましたので、私が行く方が話は早いと思います」
「一人でか」
「護衛はいただけると助かります。ただ、交渉の場には私一人で入ります」
「なぜ」
「人数が多いと、話し合いではなく示威になります。一対一の方が、相手も話しやすい」
王様は少し考えた。
「……わかった。返答を用意しろ。交渉に応じる、という内容で」
「場所と日時の提案も含めますか」
「含めろ」
「候補を三案作ります。地図を確認して、中立地点を探します」
「今日中にできるか」
「夕方までに」
王様は頷いた。
田中は頭を下げて、部屋を出た。
廊下でレオンが待っていた。
「交渉に行くことになったんですか」
「なりました」
「怖くないんですか」
「三回目ですよ、その質問」
「だって——」
「やることが明確になったので、怖いより先にやることがあります」
レオンはため息をついた。
「……タナカと話していると、自分が小さく見えることがあります」
「そんなことはないです。レオンがいなければ、言語習得にもっと時間がかかっていました。この一ヶ月、一番助かったのはレオンです」
レオンは少し目を丸くした。
田中はすでに歩き始めていた。
「地図を出してもらえますか。中立地点の候補を探します」
「……わかりました」
レオンは小走りで追いかけた。
田中のやることリストに、また新しい項目が加わった。
・交渉場所の候補選定(本日中)
・返答書状の作成(本日中)
・護衛の手配:ロイド卿に相談
・交渉に向けた準備:魔王軍側の事情の整理、こちらの要求の整理、譲れない点と譲れる点の整理
田中は歩きながら、優先順位を並べた。
どこの世界でも、交渉の前にやることは同じだ。
情報を整理して、相手の事情を推測して、こちらの立場を明確にして、落としどころを考える。
剣も魔法も要らない。
必要なのは、羊皮紙と羽ペンと、話を聞く気持ちだ。
田中は図書室に向かった。
次回「第十三話 交渉の準備は根回しと同じだ」へつづく




