第百十八話 ネルが成長していた
第百十八話 ネルが成長していた
前話までのあらすじ
ネルが初めて一人で報告書を書いた。良い内容だった。
アレンが東の山脈の変化を確認した。東の変化が広がっている可能性が出てきた。
「言葉が伝わっている。人が伝わっている。田中がいなくなっても、続いていく。それが今日わかったことだ」とメモに書いた。
ネルがこの城に来て、三ヶ月が経った。
田中はある朝、中庭に出た。
アレンとネルが一緒にいた。
稽古をしていた。
ただ、剣の稽古ではなかった。
二人で地図を広げて、何かを確認していた。
田中は近づかなかった。
遠くから見ていた。
アレンが何かを指差した。
ネルがメモを取った。
アレンがうなずいた。
ネルがもう一点、地図に書き込んだ。
アレンが確認した。
二人が話し合っていた。
田中は見ていた。
五分ほど見ていた。
それから、城の中に戻った。
レオンに言った。
「アレンさんとネルさんが、地図で何かを確認していました」
「知っています」とレオンが言った。
「知っていましたか」
「昨日、二人で東の山脈の変化の記録をまとめていました。今日はその続きだと思います」
「そうですか」
「田中に声をかけなかったんですか」
「声をかけませんでした。二人が動いているのを、少し見ていました」
「見ていたんですね」
「そうです」
「どんな気持ちでしたか」
「良かった、という気持ちがありました」
「それだけですか」
「それだけです。今日は」
「タナカ、以前は少し寂しい気持ちもある、と言っていましたが」
「今日は、寂しさより良かったという気持ちの方がずっと大きかったです」
「変わりましたね」
「そうかもしれません」
昼過ぎ、アレンが田中のところに来た。
「タナカさん、今日の作業が終わりました。報告していいですか」
「どうぞ」
「ネルと一緒に、東の山脈の変化を地図にまとめました。今週確認した変化と、先月の記録を比較しました」
「どんな結果でしたか」
「変化が南に向かって広がっています。先月は、山脈の東端だけでした。今週は、東端から少し南に向かっても変化が確認されています」
「広がっている、ですか」
「そうです。ネルが細かく記録してくれたので、比較できました」
「ネルさんの記録が活きましたね」
「そうです。ネルがいなければ、気づくのが遅れていたかもしれません」
「アレンさんが教えたからです」
「ネルが覚えたんです」
「どちらも本当だ」
「そうですね」
「アレンさん、この情報を四国に送りましょう。すぐ送れますか」
「今日中に送れます。ネルが報告書を書いてくれると言っています」
「ネルさんに書いてもらいましょう」
「そうします。タナカさん、一点確認していいですか」
「どうぞ」
「ネルが書いた報告書を、四国に直接送っていいですか」
「田中が確認しなくていいですか、ということですか」
「そうです。タナカさんに確認してもらった方がいいですか」
「アレンさんが確認すれば、田中の確認は必要ないです」
「アレンの確認で十分ですか」
「十分です。アレンさんが確認した報告書は、田中が確認したのと同じです」
「そうですか」
「そうです。アレンさんはずっと前線を見てきました。ネルさんの観察が正しいかどうか、田中より正確に判断できます」
「なるほど」
「アレンさんが確認した、というのは、田中が確認した以上の信頼性があるかもしれません」
「タナカさんがそう言ってくれると、動きやすいです」
「そうですね。アレンさん、動いてください」
「わかりました。ネルと一緒に動きます」
夕方、ネルが報告書を持ってきた。
アレンが確認済みだった。
「田中殿、アレンさんが確認しました。ただ、田中殿にも見ていただきたくて」
「どうぞ」
田中は読んだ。
良い報告書だった。
観察が細かかった。
アレンの報告書に似ていたが、ネルらしい部分があった。
「ネルさん、一点だけ」
「はい」
「この報告書、田中が確認しなくても、そのまま送れます」
「そうですか」
「アレンさんが確認していますから」
「それで十分ですか」
「十分です。ただ、今日は田中に見せに来てくれた。それは、良かったです」
「なぜですか」
「ネルさんが自分の仕事を確認してほしいと思った。それが大事です。確認してほしいと思う間は、成長しています。いつか、確認が必要ないと思えるようになります。そのときが、ネルさんが本当に一人で動けるようになったときです」
「今はまだ確認してほしいです」
「そうですね。それで良いです」
「田中殿、一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「田中殿は、今でも誰かに確認してほしいと思いますか」
田中は少し考えた。
「思います」
「そうですか」
「誰かに確認してほしいと思う気持ちは、ずっとあります。それが、田中がレオンや王様に話すことに繋がっています」
「確認してもらいながら、動くんですね」
「そうです。一人で全部決めているわけではないです」
「なるほど」
「ネルさん、あと何ヶ月この城にいますか」
「ミラ公王からは、半年と言われています。あと三ヶ月です」
「三ヶ月か」
「はい。その間に、できる限り学びたいです」
「そうですね。三ヶ月で、何を持って帰りたいですか」
「三点あります」
「言ってください」
「一点目。観察して記録すること。二点目。攻撃しないで見ること。三点目、どちらも本当だ、という考え方です」
「三点とも、アレンさんから学んだことですね」
「そうです。ただ、田中殿から来ているとも聞きました」
「そうですね」
「田中殿から、アレンさんへ、そして俺へ。続いています」
「そうですね」
「ランセルに帰ったら、この三点を伝えます。ミラ公王に伝えます。村人にも伝えます」
「そうですね」
「それが、俺がここに来た意味だと思っています」
「そうかもしれません」
「田中殿、ありがとうございます」
「ネルさんが学んでくれたからです」
「どちらも本当だ」
「そうですね」
「では、この報告書、四国に送ります」
「よろしくお願いします」
その夜。
田中はアレンと食堂でスープを飲んだ。
「今日、ネルが報告書を田中に見せに来ましたね」とアレンが言った。
「そうですね」と田中が言った。
「確認してほしかったんだと思います」
「そうですね」
「俺も最初、タナカさんに確認してほしかったです」
「そうでしたね」
「今は、少し違います」
「どう違いますか」
「確認してもらえると嬉しいですが、してもらわなくても動けます。それが変わったことです」
「そうですね」
「ネルも、そうなっていくと思います」
「そうですね」
「タナカさん、三ヶ月後にネルが帰ります」
「そうですね」
「寂しいですね」
「そうかもしれません」
「ランセルに帰っても、ネルはここで学んだことを続けます」
「そうですね」
「それが、繋がりが続くということですよね」
「そうです」
「タナカさんから俺へ、俺からネルへ。ネルからランセルの村人へ」
「そうですね」
「タナカさんがいなくなっても、続いていきます」
「そうかもしれません」
「それが、タナカさんがここにいた意味ですよね」
「そうかもしれません」
「受け取りますか」
「受け取ります」
「良かったです」
二人でスープを飲んだ。
いつもの味だった。
田中はしばらく、スープを飲みながら考えた。
ネルが来て三ヶ月。
アレンが教えて、ネルが学んだ。
田中が教えたのではなく、アレンが教えた。
ただ、アレンが教えたことは、田中から来ていた。
それが、続いていた。
スープが場を作る、と王様が言っていた。
田中もスープのようなものかもしれない。
どこにでもあるものが、場を作る。
ただ、田中がいなくなっても、場は続く。
なぜなら、場を作り方を、全員が覚えたからだ。
田中はメモアプリを開いた。
一行書いた。
・ネルが三点を持って帰ると言った。観察すること、見ること、どちらも本当だ、ということ。それが続いていく。田中がいなくなっても。
次回「第百十九話 西の国・セルム公国が反発した」へつづく




