第十話 そろそろ国全体の話をしないといけない
第十話 そろそろ国全体の話をしないといけない
前話までのあらすじ
騎士団長ロイドへの打診は十五分で完了した。知識と判断力がある人間に情報を渡せば、あとは動く。田中はそれを確認した。
アレンとは遠征ルールの合意を取り付けた。禁止ではなく事前伝言制。頭ごなしに言わず、理由を説明すれば動く。アレンは「こういう話をしてくれる人が今までいなかった」と言った。
田中の周りに少しずつ、話が通じる人間が増えてきた。王様、レオン、ロイド、アレン。
次の課題は明確だった。国全体の戦略を、誰かが整理しないといけない。
二十七日目。
田中は朝から図書室にいた。
これまで集めてきた情報を、一枚の羊皮紙にまとめる作業をしていた。
レオンが隣に座って、読めない部分を訳してくれていた。
「タナカ、これは何を作っているんですか」
「国の現状を整理した一枚です」
「一枚に入るんですか」
「入るように書きます」
レオンは田中の手元を覗き込んだ。
羊皮紙の上に、いくつかの欄が作られていた。
地図の簡略版。軍の配置。貴族の領地と現在の協力状況。魔王軍の直近の動き。国の収支の概要。未解決の課題一覧。
「……全部入ってる」
「入れました」
「これ、どこから来た情報ですか」
「図書室の記録、王様との面談、アレンの報告書、ロイド卿との打ち合わせ、貴族への個別訪問、全部です」
レオンは羊皮紙をじっと見た。
「この国の人間で、これを一枚で見たことがある人は……たぶんいないと思います」
「だと思います」
「なんで誰もやらなかったんだろう」
「情報がバラバラに置いてあったので、繋げようとした人がいなかったんだと思います」
「繋げようとしなかった、か」
「見えていないものは、ないのと同じですから」
レオンは少し黙った。
「タナカ、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「元の世界でも、こういうことをしていたんですか」
「似たようなことは、していました」
「誰かに頼まれて?」
「最初は頼まれて。途中からは、やらないと困ることになるので、自分で」
「それで、報われましたか」
田中は羽ペンを止めた。
少し考えた。
「報われる、というのが何を指すかによりますが」
「評価とか、感謝とか」
「評価は……普通でした。感謝は、されることもありました」
「でも十五年、続けたんですね」
「やることがあったので」
レオンは田中を見た。
「それだけで、続けられるものですか」
「どうでしょう。気づいたら続いていた、という感じです」
レオンはしばらく田中を見てから、小さく言った。
「……タナカは、すごい人だと思います」
「そんなことはないです」
「本人がそう思っていないのが、またすごいと思います」
田中は答えなかった。
羽ペンを動かし続けた。
昼過ぎ、田中は王様に時間を取ってもらった。
執務室に入ると、王様は書類を見ていた。最近、王様が書類を見ている時間が増えた。以前は側近が全部処理していたが、田中が「陛下が直接確認した方がいい書類」を仕分けして届けるようにしてから、少しずつ自分で目を通すようになっていた。
「陛下、今日はお時間をいただきありがとうございます」
「構わない。何の話だ」
「この国の現状を整理した資料を作りました。一度、全体を見ていただきたいと思いまして」
田中は羊皮紙をテーブルに広げた。
王様は立ち上がり、テーブルに近づいた。
資料を見た。
黙った。
一分ほど、黙ったまま見た。
「……これは」
「現時点での、この国の状況をまとめたものです。地図、軍の配置、貴族の協力状況、魔王軍の動き、収支の概要、課題の一覧です」
「全部、ここに入っているのか」
「はい」
「余は……これを今まで、一度も見たことがなかった」
「情報はありました。ただ、まとめられていなかっただけです」
王様はしばらく資料を見続けた。
地図の部分に指を当てた。
「魔王軍の野営跡、ここか」
「はい。東街道への迂回の可能性があります。ロイド卿が見張りを配置しています」
「貴族の協力状況、ここに書いてある数字は」
「予算拠出の合意状況です。現在七割が合意。セルム卿は条件付きで合意見込み。ガルド卿は来月以降の継続フォロー。バルト卿は返答待ちです」
「収支は」
「今年の軍事費の予算を確保できれば、収支はほぼ均衡します。ただ、来年以降も同じ規模の支出が続くと、三年後に財政が厳しくなります」
王様は顔を上げた。
「三年後?」
「単純な試算ですが、現在の収入と支出の傾向が続いた場合です。魔王軍との戦闘が拡大すれば、もっと早くなります」
「それを、今まで誰も言わなかった」
「計算した人間がいなかったと思います」
王様はため息をついた。
田中が来てから何度目かのため息だったが、今回は少し種類が違った。怒りでも疲れでもなく、どちらかというと、覚悟を決めるときのため息に似ていた。
「課題の一覧、読んでもいいか」
「もちろんです」
王様は一覧を声に出して読んだ。
田中が書いた課題は六つだった。
一、魔王軍の東迂回ルートへの対処。
二、貴族三名との関係整理と予算確保。
三、軍の実態把握と戦力の客観的評価。
四、三年後の財政悪化への対策。
五、勇者アレンの運用ルールの整備。
六、魔王軍との長期的な関係方針の検討。
王様は六番で止まった。
「魔王軍との、長期的な関係方針?」
「はい」
「倒すのではなく、か」
「倒すことが最終目標であっても、その前に関係方針を持っておくべきだと思います。倒せない期間が続いた場合の対処、停戦や交渉の可能性、倒した後の魔王領の扱いなど」
王様は少し黙った。
「……余は、考えたことがなかった」
「倒した後のことですか」
「そうだ。倒すことしか、考えていなかった」
「倒した後の方が、問題が多いことが多いです」
「なぜわかる」
「元の世界での経験から、です。争いが終わった後の処理は、争いそのものより時間がかかることがあります」
王様はしばらく田中を見た。
「お前の元の世界は、争いが多かったのか」
「形が違うだけで、まあ、そうかもしれません」
「形が違う?」
「武器を持つわけではないですが、人と組織の争いは常にありました」
王様は少し考えてから、言った。
「それで、お前はどうしていたんだ」
「争いに勝つより、双方が損をしない形を探す方が、結果的に早く終わることが多かったです」
「双方が損をしない形」
「全員が完全に満足する形は難しいです。ただ、全員がそれなりに納得できる形なら、作れることが多い」
王様はしばらく黙った。
それから、低く言った。
「……それが、お前の戦い方か」
「戦い方というほどのものでは」
「いや、そうだ」
王様は資料を見た。
「余は、剣で勝つことしか考えてこなかった。この資料を見て、初めてわかった。余は、この国のことを、本当の意味では見ていなかった」
田中は何も言わなかった。
王様が続けた。
「お前が来て、一ヶ月も経っていない。なのに、余より余の国のことを把握している」
「情報を集めて整理しただけです」
「それが、余にはできていなかった」
「情報が散らかっていたので、見えなかっただけです。陛下のせいではありません」
「フォローか、それは」
「事実です」
王様は少し笑った。
それから、真顔に戻った。
「田中」
「はい」
「一つ、頼みがある」
「聞かせてください」
「この資料を、毎月更新してくれ。余が、この国の状況を常に把握できるように」
「わかりました。月次の状況報告として作成します」
「それと」
「はい」
「六番の課題、魔王軍との長期的な関係方針、これを一緒に考えてくれないか」
田中は少し止まった。
「魔王軍との、ですか」
「そうだ。余一人では、考えたことがない話だ。お前の話し方で聞けば、何かわかる気がする」
田中はメモに書いた。
・新規課題:魔王軍との関係方針の検討。王様と共同で。
書きながら、少し思った。
これはいずれ、魔王と直接話すことになるかもしれない。
田中は特に驚かなかった。
どこかでそうなる気はしていた。
「わかりました。順番に整理していきましょう」
「頼む」
王様は資料をもう一度見た。
「田中、一つ聞いていいか」
「はい」
「お前は、元の世界に帰りたいか」
田中は少し止まった。
考えた。
妻とはあまり話していなかった。部長の顔は思い出したくなかった。山田はもう転職している。終電の匂いは、正直あまり恋しくない。
「……今は、やることがあるので」
「それが答えか」
「今のところは」
王様は少し黙ってから、頷いた。
「そうか」
それだけ言って、資料に視線を戻した。
田中も、メモに視線を戻した。
窓の外で、風が吹いていた。
この国に来て、もうすぐ一ヶ月になる。
やることリストは減らない。
でも、一ヶ月前より、少しだけ景色が見えてきた気がした。
次回「第十一話 魔王軍から手紙が来た」へつづく




