↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潰れかけ牧場を継いだ俺は、馬の才能と配合相性が見える――見捨てられた血統で勝ち上がり、生産界ごとひっくり返す  作者: ビッグサム


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
85/100

第82話 一歳になる馬

 朝の厩舎は、まだ冷えていた。


 馬房の板に残った湿り気が、長靴の底へ薄く返ってくる。


 恒一は、古い作業表を一枚ずつめくった。


 当歳牡馬。

 シラユキノハナの仔。

 自家保留候補。


 紙の端には、美緒の字で小さく追記がある。


 見学対象外。

 非売。

 母仔移動なし。


 その下に、昨日から新しい欄が増えていた。


 一歳牡馬。


 たった四文字だった。


 だが、その四文字だけで、紙の重さが変わっていた。


 シラユキノハナは馬房の奥で乾草を噛んでいる。


 その横に、一歳牡馬が立っていた。


 もう、母の腹の下へ隠れられる大きさではない。


 まだ幼さは残る。

 首の使い方も、背中の線も、完成には遠い。


 それでも、通路を人が歩く音に、ただ下がるだけではなくなっていた。


 耳を向ける。

 前脚を置き直す。

 床を確かめるように、少しだけ体重を移す。


 シラユキノハナは、その動きを止めなかった。


「変わったね」


 美緒が、作業表を胸に抱えたまま言った。


「大きくなっただけじゃない」


「ああ」


「呼び方が変わるだけだと思ってた。当歳から一歳って」


 美緒は馬房の中を見た。


「違うんだね。紙が増える」


「やることも増える」


「馴致、育成、預託先、運動量、飼料、削蹄、獣医確認」


 美緒は、昨日の見積書の項目を指で数えるように言った。


「全部、別の口でお金を食べる」


 一歳牡馬が、こちらへ顔を向けた。


 黒い目が、通路の人間を見ている。


 怯えてはいない。


 だが、強く出てくるわけでもない。


 母の気配を背中に置いたまま、自分の足で立とうとしている。


 恒一の視界に、淡い表示が浮かんだ。


シラユキノハナ一歳牡馬


 心肺:A

 成長力:A

 母系継承価値:A

 推奨:自家保留/急がせない育成


 数字は、残せと言っている。


 血も、残せと言っている。


 だが、表示は飼葉桶を満たさない。


 削蹄代も、預託費も、輸送費も払わない。


 この馬を残すなら、金も時間も、人の手も要る。


 売らない判断は、もう終わった。


 次は、どう壊さず育てるかだった。


 三浦が通路の向こうから来た。


 手には、昨日の補修紙ではなく、放牧地の作業メモがある。


「そろそろ、人の手を嫌がらないようにしておいた方がいい」


 恒一は頷いた。


「無理に進める気はない」


「無理にやらないのと、何もしないのは違うぞ」


 三浦は馬房の中を見た。


「こいつ、周りを見る。嫌なことをされたら覚えるタイプだ」


「分かってる」


「一回雑にやると、後で時間を食う」


 美緒が見積書の封筒を持ち直す。


「時間を食うって、結局お金も食うんだよね」


「そういうことだ」


 三浦は短く答えた。


「安いからって、雑なところへ預けるな。後で直す方が高い」


 美緒は黙った。


 反論ではない。


 帳簿の中で、その言葉を置く場所を探している顔だった。


 事務所に戻ると、三雲が来ていた。


 机の上には、育成先候補のメモが三枚並んでいる。


「早い方がいい」


 三雲はそう言って、一枚目の紙を前に出した。


「この一枚目は、二歳の早い時計が売り。馴致開始も早いし、坂路入りまでの予定もきれいに詰まってる」


 美緒が紙を覗き込む。


「悪くないんじゃないの?」


「悪くないよ。早く見せたい馬ならね」


 三雲は二枚目を指で押さえた。


「こっちは馬体作りが上手い。写真映えする。セリに出すなら、たぶん見栄えは作れる」


「売らない馬なのに?」


「だから悩むんだよ。売らない馬に、売るための体を作ってどうするのかって話になる」


 三雲は、三枚目の紙を少し前に出した。


「こっちは派手じゃない。見積もりも一番重い。ただ、馴致期間と放牧時間の欄が細かい。削蹄の間隔も、獣医確認の予定も、最初から書いてある」


 美緒は三枚目の紙を見た。


 数字は高い。


 だが、空白は少ない。


「高い」


 美緒が言った。


「高いね」


 三雲は否定しなかった。


「でも、何に払うかは分かる」


 恒一は三枚目の紙を見た。


 急がせないための費用。


 目に見える時計ではなく、壊さないための時間に払う金。


 美緒はペンを持ったまま、なかなか書かなかった。


「兄さん」


「なんだ」


「売らないって、守るって意味だけじゃないんだね」


「ああ」


「育てる場所まで、こっちが選ぶってことなんだね」


「そうだ」


 外で、シラユキノハナが馬房の床を一度だけ鳴らした。


 乾いた音が、事務所まで届く。


 恒一は、三枚目の紙の端に印をつけた。


 決定ではない。


 候補。


 美緒は、その横に小さく書いた。


 急がせない育成。費用確認。


 その時、端末が震えた。


 佐伯からだった。


 アオバノミチの育成方針について、一度ご相談したいです。


 美緒が画面を見た。


「売った馬の相談、来た」


 恒一は端末を受け取った。


 売った馬は、もう榊原ファームの馬ではない。


 だが、榊原ファームの見方は、まだ向こうの現場に残っている。


 恒一は、シラユキノハナの一歳牡馬の見積書と、佐伯からの連絡を並べて見た。


 残した馬。

 売った馬。


 どちらも、急がせないための金と手間を求めていた。


---


榊原恒一の現状


- 牧場経営力:A-

- 配合読解:B

- 繁殖観察:A

- 若駒評価:A

- 現場判断:A

- 資金繰り判断:A

- 交渉・信頼:A

- 牧場再建度:50%


榊原ファーム経営状況


- 現金余力:やや低

- 資金繰り危険度:高

- 繁殖牝馬群期待値:上昇

- 牧場ブランド:B

- 倒産危険度:高


補助表示


- シラユキノハナ一歳牡馬:自家保留継続/急がせない育成方針

- 育成先候補:早仕上げ型/見映え重視型/時間重視型を比較中

- アオバノミチ:売却後、佐伯側から育成方針相談あり

- ハルノトーチ:脚元説明込み売却済み

- 次の勝負:売った馬への関与線引きと、残した馬の育成先選定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。