第53話 黒峰のセリ馬
桐生から支払いの一部猶予を得た翌日、恒一は朝からアオバノミチとハルノトーチを歩かせていた。
売ると決めた馬だ。
だが、売ると決めたからといって、雑に扱っていい馬ではない。
アオバノミチは、いつも通り素直に歩いた。派手さはない。だが、余計なことをしない。
ハルノトーチは、相変わらず見映えがある。肩の出方もいい。
ただ、通路の外でバケツが鳴った瞬間、少しだけ首が上がった。
「そこ、隠せないね」
美緒がメモに書きながら言った。
「写真だけなら綺麗に撮れる。でも、実馬を見たら分かる」
「じゃあ、説明に入れる?」
「入れる」
三雲が横で頷いた。
「正解。隠した瞬間、売れた後で揉める」
「値段は下がるかもしれない」
「下がるかもしれない。でも、次の信用は残る」
恒一はハルノトーチの首筋を見た。
この馬にも、この馬なりの良さがある。
肩の出方。写真映え。歩き出した時に人目を引く感じ。
だが、幼い。
それを隠して売れば、目先の値段は上がるかもしれない。
でも、買った先で馬が困る。
馬が困れば、牧場の名前も傷つく。
「成長待ちの見映え」
美緒が確認する。
「その言い方でいい。完成品みたいに言わない」
「アオバノミチは?」
「堅実に使える馬。夢を盛らない」
三雲が少し笑った。
「だいぶ分かってきたね」
「分かりたくなかったです」
「でも、分からないと売れない。売るって、そういう仕事だから」
その時、三雲の携帯が鳴った。
画面を見た三雲の表情が、少しだけ変わる。
「今日、下見会に黒峰スタッドの上場予定馬が出る」
「黒峰さんの馬か」
「うん。見に行った方がいい」
「なぜ」
「売れる馬がどういうものか、見ておいた方がいい」
美緒が顔を上げた。
「そんなに違うんですか」
「違うと思う。悔しいけどね」
午後、三人は下見会場へ向かった。
会場には、すでに人が集まっていた。
馬を見に来た人。
馬を見ている人を見に来た人。
誰がどの馬の前で足を止めるかを見ている人。
セリの前なのに、もう勝負は始まっている。
恒一はその空気が好きではなかった。
馬より先に、値段の匂いがする。
だが、ここで目を背けるわけにはいかない。
売る馬を決めた。
残す馬も決めた。
なら、売れる馬がどう見られるかも知らなければならない。
「あれです」
三雲が小さく言った。
人だかりの向こうに、一頭の若馬がいた。
黒峰スタッドの上場予定馬。
名は、グランアステール。
栗毛の馬だった。
まず、見映えが違った。
首の出方がきれいで、肩の角度に余裕がある。
立たせると、ただ立っているだけで写真になった。
歩かせると、前肢がすっと出る。
人が足を止める。
それも、素人だけではない。
馬を見慣れた人間が、黙って止まる。
美緒が息を呑んだ。
「これは……売れますね」
「ああ」
「見た瞬間に分かる」
「分かるな」
悔しいほど、分かりやすかった。
グランアステールは、売れる馬だった。
そして、ただ売れるだけではない。
走る期待も、ちゃんと乗っている。
恒一の視界に文字が浮かんだ。
⸻
グランアステール
馬体映え:A
歩様伸長:A-
心肺:B+
反応速度:B+
成長力:B+
芝適性:A-
距離適性:1600〜2000
気性安定:C+
前進気勢:A-
脚元耐久:C
潜在リスク:前肢負担/気性の尖り
市場評価見込み:A
競走期待値:B+
総評:非常に売れる馬。見映えと走る期待が揃っている。ただし、脚元と気性に扱いの難しさあり
⸻
強い。
能力が見えるからではない。
見える前から、強いと分かる。
これが黒峰の馬か。
「兄さん」
美緒が悔しそうに言った。
「これ、アオバノミチやハルノトーチと比べたら駄目な馬ですね」
「ああ。別の棚にいる」
「でも、これが同じ会場に出るんだ」
「出る」
「嫌ですね」
「かなりな」
三雲が低い声で言った。
「でも、見ておくべき馬だよ。黒峰さんは、売れる馬を作ってる。それは、それで正解なんだ」
反論できなかった。
榊原ファームは、馬の中に眠る価値を見つけて、説明し、管理で返す。
黒峰スタッドは、最初から市場で足を止めさせる馬を作る。
どちらが上かではない。
ただ、現金化の速さは違う。
人を集める力も違う。
そこへ、黒峰雅人が現れた。
いつものように、無駄のない歩き方だった。
「榊原さん。見に来ましたか」
「はい」
「どうです?」
「売れる馬ですね」
「それだけですか」
「走る期待もある。ただ、脚元と気性は楽ではない」
黒峰は少しだけ目を細めた。
「よく見ていますね」
「見えたものを言っただけです」
「見える前にも分かったでしょう」
「分かりました」
「なら、それで十分です」
黒峰はグランアステールへ視線を向けた。
「売れる馬を作るのも、生産の力です」
「分かっています」
「本当に?」
「分かっているつもりです」
「あなた方は最近、“走って返す”側に寄っている。それは美しい。しかし、市場は美しさだけでは動きません」
嫌味ではなかった。
だから余計に刺さった。
「馬主は夢を買います。でも、最初に買うのは、目の前に立っている馬です。見た瞬間に金を出す理由がある馬。それを作るのも、生産者の仕事です」
美緒がグランアステールを見たまま言う。
「でも、リスクもありますよね」
「あります。脚元も、気性も、楽ではありません」
「それでも売るんですか」
「売ります」
「隠さずに?」
「当然です。隠して売れば、一回は勝てるかもしれない。でも、次を失う」
三雲が小さく息を吐いた。
同じことを、黒峰も言う。
言い方は違う。規模も違う。
だが、売ることへの考え方は軽くない。
黒峰は恒一へ向き直った。
「あなたのアオバノミチとハルノトーチも、出すのでしょう」
「出します」
「売れますか」
「高値は見込んでいません。盛るつもりもありません」
「それは正しい。ただし、正しいだけでは値段は伸びません」
恒一は黙った。
「正しく、かつ欲しくさせる必要がある」
その通りだった。
嘘をつかない。
盛りすぎない。
それだけでは足りない。
買い手が、その馬を欲しいと思う理由を作らなければならない。
アオバノミチなら、堅実に使える理由。
ハルノトーチなら、成長を待つ価値。
それを伝えなければ、ただの控えめな説明で終わる。
「あなたの地味な説明で、どこまで値段を作れるか、見ています」
「……」
「こちらは、こちらのやり方で値段を作ります」
「グランアステールで」
「ええ」
「強いですね」
「強い馬を出していますから」
その言い方には、迷いがなかった。
美緒が小さく言った。
「勝つ馬を作るのと、売れる馬を作るのは、少し違うんだね」
「ああ」
「でも、どっちも生産の力なんだ」
「そうだな」
「悔しいね」
「かなりな」
黒峰はわずかに笑った。
「悔しいなら、値段で返してください」
「レースではなく?」
「次はセリです。レースでタチカゼがこちらに先着した。なら、市場ではこちらが見せます」
恒一はグランアステールをもう一度見た。
同じ土俵で勝てる馬を、うちは出していない。
だが、同じ土俵に乗らない見せ方はある。
「うちには、うちの見せ方があります」
黒峰は少しだけ満足そうに頷いた。
「それを見に来ます」
黒峰が去ったあと、三雲が肩を落とした。
「嫌な人だね」
「お前が言うか」
「あそこまで正しいと嫌になる」
美緒はまだグランアステールを見ていた。
「あの馬、高くなりますか」
「なる。かなり」
「脚元リスクがあっても?」
「あるから下がる部分もある。でも、見映えと期待で上がる部分が大きい」
「うちの馬は?」
「アオバノミチは、買い手を間違えなければ堅い」
「ハルノトーチは?」
「説明を間違えると危ない。でも、刺さる相手には刺さる」
「刺さる相手?」
「幼さ込みで、育てる余裕のある相手」
恒一はそこで、桐生の言葉を思い出した。
買い手候補。
想定価格。
出品時の説明方針。
次の資料は、もっと厳しく見ます。
「三雲。帰ったら、二頭の説明を作り直す」
「だね」
「正しいだけじゃ足りない。欲しくなる理由まで作る」
「ただし、嘘はなし」
「当然だ」
夕方、牧場へ戻ると、アオバノミチが乾草を食べていた。
ハルノトーチは、通路の音に少し反応している。
どちらも、グランアステールほど派手ではない。
それでも、売ると決めた馬だ。
売るなら、この馬たちが買われた先で困らないように売らなければならない。
恒一は事務所の机に座り、二頭の説明をもう一度書いた。
⸻
アオバノミチ
堅実型。
派手な上限を見せる馬ではないが、扱いやすく、ダート短めからマイルで使い道を作りやすい。
大きく化ける夢ではなく、堅く走らせたい買い手向き。
ハルノトーチ
見映え型。
肩の出方と写真映えは良いが、気性面には幼さが残る。
完成品としてではなく、成長待ちを許容できる買い手向き。
⸻
美緒が横から覗き込む。
「正しい」
「ああ」
「でも、少し欲しくなる」
「本当か」
「アオバノミチは、堅実に使いたい人には良さそうに見える。ハルノトーチは、手がかかりそう。でも、見映えはあるって分かる」
「なら、少し前進だな」
三雲が頷いた。
「これなら、買い手候補を絞れる」
「広く売らないのか」
「広く見せるけど、刺す相手は絞る」
「また難しいな」
「セリは難しいんだよ」
夜、恒一はシラユキノハナの仔を見に行った。
仔は母の横で眠そうにしていた。
今日見たグランアステールのように、会場で人を止める馬ではない。
だが、この仔にはこの仔の価値がある。
売らないと決めた価値だ。
視界に文字が浮かぶ。
⸻
榊原ファーム販売方針
アオバノミチ:堅実型として出品
ハルノトーチ:見映え型として出品
シラユキノハナの仔:自家保留/限定見学
ミカヅキノユメ:管理実績のみ限定開示
総評:黒峰スタッドの市場訴求力との差は大きい。榊原ファームは、誠実な説明で買い手を絞り、信用を削らず値段を作る必要がある
⸻
信用を削らず、値段を作る。
それが、次の勝負だった。
黒峰は強い。
グランアステールも強い。
だが、それを見たからこそ、自分たちのやり方も少し見えた。
派手な馬に人が集まる。
その中で、地味な馬に正しい買い手を止められるか。
セリの勝負は、もう始まっていた。
---
榊原恒一の現状
牧場経営力:A-
配合読解:B
繁殖観察:A-
若駒評価:A
現場判断:A
資金繰り判断:B+
交渉・信頼:A
牧場再建度:43%
榊原ファーム経営状況
現金余力:低
資金繰り危険度:高
繁殖牝馬群期待値:上昇中
若駒資産価値:A
自家保留価値:A
牧場ブランド:B
倒産危険度:高
補助表示
セリ出品候補:アオバノミチ/ハルノトーチ
黒峰スタッド上場予定馬:グランアステール確認
次の勝負:信用を削らず、値段を作ること




