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潰れかけ牧場を継いだ俺は、馬の才能と配合相性が見える――見捨てられた血統で勝ち上がり、生産界ごとひっくり返す  作者: ビッグサム


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第30話 名前が載るまで

 木曜は、朝から空気が違った。


 同じ木曜でも、請求書の来る日とも、乾草の段取りを詰める日とも違う。

 今日は、タチカゼの名前が出るか、出ないかの日だ。


 事務所の机には、帳簿より先に携帯が置かれていた。


 美緒がそれを見て言う。


「兄さん」 「なんだ」 「今日は仕事しない顔してる」 「してるだろ」 「開き直るんだ」 「今日は仕方ない」


 玲奈が横で呆れたように息を吐く。


「馬は今日も食うのよ」 「分かってる」 「分かってる顔じゃない」 「今日は許せ」 「一日だけよ」


 それはその通りだった。


 フユノホシも、シラユキノハナも、仔馬も、今日だからといって変わらない。

 タチカゼだけが競馬に近づいているわけじゃない。

 それでも今日は、頭の半分以上があっちへ持っていかれる。


 朝の作業を終えて事務所へ戻ると、美緒がカレンダーの木曜に丸をつけていた。


「まだなの?」  美緒が聞く。 「まだだ」 「いつまで待つの」 「こっちが決める話じゃない」 「そうだけど」 「でも、気になるよね」  美緒が言って、自分で笑った。 「兄さんより私の方がそわそわしてるかも」 「いや、俺の方がひどい」 「それもそう」


 昼を少し回ったところで、坂口から電話が入った。


 事務所の空気が一気に静かになる。


「榊原です」 『坂口です』 「はい」 『まず、投票はしました』 「……はい」 『ここまでは予定通りです』 「で、どうでした」 『今の時点ではまだ確定とは言いません』 「入らない可能性も?」 『あります。頭数しだいです』 「……」 『ただ、感触は悪くありません』


 そこまで聞いても、胸は落ち着かなかった。


 悪くない。

 でも、まだ確定じゃない。


「春日先生は?」 『出したいと考えています』 「ありがとうございます」 『礼はまだ早いですよ』  坂口の声はいつも通りだった。 『名前が載ってからにしてください』


 電話が切れると、美緒がすぐ聞く。


「どう?」 「投票はした」 「それは知ってる」 「感触は悪くない」 「でも?」 「まだ確定じゃない」 「うわ、一番落ち着かないやつ」 「そうだな」


 玲奈がカルテを閉じた。


「じゃあ今日は、待つしかない」 「嫌な言い方するな」 「でも事実でしょ」 「……事実だ」


 待つしかない時ほど、人は余計なことを考える。


 もし入らなかったら。

 来週に回すのか。

 番組をずらすのか。

 その間に馬の気持ちが浮いたらどうする。

 せっかくここまで来たのに、また一週伸びるのか。


「兄さん」  美緒が言う。 「今、ろくでもないこと考えてるでしょ」 「なんで分かる」 「顔」 「お前ら本当に顔しか見てないな」 「今日は特に分かりやすい」


 その時、玲奈が少しだけ真面目な声で言った。


「入らなくても、終わりじゃないわよ」 「分かってる」 「本当に?」 「……分かってる」 「ならいい」


 分かっていた。

 でも、ここまで来て止まるのはやっぱり嫌だった。


 午後、乾草の束を運んでいる時も、気が散った。

 フユノホシの馬房の前で一度立ち止まり、恒一は小さく息を吐く。


 牝馬は静かに乾草を噛んでいる。

 この馬は待つ側だ。

 だから、今日の一日で何も変わらない。


 でもタチカゼは違う。

 今日、名前が載るかどうかで、来週の景色が変わる。


 視界に文字が浮かぶ。



---


フユノホシ

気性安定:B

成長力:A-

環境変化耐性:低

待機価値:上昇

推奨対応:見学制限継続/現状維持

総評:待つことで値段を守る段階。今は動かさない方が良い



---


 今は動かさない方が良い。


 分かっている。

 だからこそ、進める側のタチカゼが余計に気になる。


 夕方が近づいた頃、もう一度電話が鳴った。


 今度は春日だった。


「榊原です」 『春日です』 「はい」 『入りました』 「……」 『聞こえてますか』 「あ、はい」 『出ます』 「……本当に?」 『本当にです』 「……ありがとうございます」 『礼は、まだ早いです』  春日は少し間を置いた。 『でも、一つだけ言います』 「はい」 『ここからは、出られることに浮かれた人間から順に失敗します』 「分かっています」 『本当に?』 「はい」 『ならいいです』


 電話が切れたあと、恒一はすぐには動けなかった。


 入った。

 名前が載る。

 タチカゼは本当に、来週走る。


「兄さん」  美緒が立ち上がる。 「どうだった」 「入った」 「……え?」 「入った」 「ほんとに?」 「ああ」  恒一はようやく笑った。 「出る」


 美緒が一回、息を止めた。

 それから、堰を切ったみたいに言った。


「うわ、ほんとに!?」 「ほんとに」 「じゃあ、もう本当にデビューじゃん!」 「そうだな」 「すごい!」 「まだ走ってない」 「それでもすごい」


 玲奈は騒がなかった。

 でも、カルテを閉じる手が少しだけ止まった。


「出るのね」 「ああ」 「なら次は、当日浮かないこと」 「そこか」 「そこよ。ここまで来て、前の日から人間が浮いたら台無し」


 その通りだった。


 事務所へ戻ると、美緒がすでに紙とペンを出していた。


「何て書く?」 「またか」 「まただよ。だって今度は本当に大きいでしょ」 「……そうだな」


 少し考えてから、恒一は言った。


「レース線」 「また?」 「分かりやすい方がいい」 「じゃあ足す」 「何を」 「出走確定」 「そのまんまだな」 「今のうち、そういう時期でしょ」 「まあな」


 美緒はそのまま書いた。


 タチカゼ レース線・出走確定


 悪くなかった。


 売上じゃない。

 でも、期待だけでもない。

 もう、本当に走る馬の話になっている。


 少し遅れて、坂口からも連絡が入った。


『出馬表、確認しました』 「ありがとうございます」 『枠だの相手だのはこれからです。でも、まずは入りました』 「はい」 『春日先生からも聞いてると思いますが、浮かれたら終わりです』 「はい」 『ただ』 「はい」 『ここまで来たなら、喜んでいいですよ』 「……」 『榊原さんのところにとっては、大きい一歩でしょう』 「大きいです」 『そうでしょうね』


 電話を切ると、ようやく実感が出た。


 売った馬が、走る。

 それがただの願望じゃなく、出馬表に載る現実になった。


 牧場の外で起きる話なのに、牧場の空気ごと少し変わる。

 それが不思議だった。


 夕方、恒一は空いた馬房の前へ行った。


 タチカゼはもうここにはいない。

 でも、あの馬房を見れば、ここから出て行った時のことをまだ思い出せる。


 見せ方を整えた。

 雑に売らなかった。

 送り出し方を揃えた。

 崩れなかった。

 ゲートに受かった。

 番組が決まった。

 そして、出る。


 そこまで積み上がった。


「兄さん」  後ろから美緒が来る。 「なんだ」 「今、かなりいい顔してる」 「また顔か」 「今日は見ていい日でしょ」 「……そうかもな」


 美緒は笑った。


「どんな気分?」 「嬉しい」 「だけ?」 「怖い」 「それも分かる」 「でも」 「でも?」 「かなり、報われた感じがする」


 言ってから、自分でも驚いた。


 まだ何も勝っていない。

 でも、ここまで来るだけでも、十分長かった。


「それ、かなり本音だね」  美緒が言う。 「ああ」 「よかった」 「何が」 「兄さんが、ちゃんと喜べてること」


 恒一はもう一度、空いた馬房を見た。


 来週、タチカゼは走る。

 それだけで、今日の前進は十分だった。



---


榊原恒一


牧場経営力:B


配合読解:C-


繁殖観察:B+


若駒評価:A-


現場判断:A-


資金繰り判断:B


交渉・信頼:B+


牧場再建度:60%



榊原ファーム


現金余力:低


資金繰り危険度:高


繁殖牝馬群期待値:再編中


若駒資産価値:B+


自家保留価値:A-


牧場ブランド:D+


倒産危険度:高



補助表示


若馬売却成否:成立


育成先:北斗トレーニングファーム


レース線:タチカゼが出走確定段階

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