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潰れかけ牧場を継いだ俺は、馬の才能と配合相性が見える――見捨てられた血統で勝ち上がり、生産界ごとひっくり返す  作者: ビッグサム


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第3話 高い種牡馬が正解じゃない

 黒峰からの電話を切ったあとも、事務所の空気はしばらく冷えたままだった。


 美緒は帳簿を閉じ、机の端を指で軽く叩いた。


「で」 「で、とは」 「さっきの最後の顔。あれ、もう何か考えてる顔だった」 「そんな顔してたか」 「してた。だいたい兄さんが面倒くさい方向に腹を括る時は、ああいう顔になる」


 ひどい言われようだ。


 だが、否定もできない。


 恒一は机の上の請求書を横に寄せた。

 今月を越えるために頭を下げる。使っていない機材も洗う。残す馬と切る馬も決める。

 やることは山ほどある。


 それでも、その先の一手を間違えたら意味がない。


「シラユキノハナの種付け、考え直す」 「今年の?」 「ああ」


 美緒の眉が少し動いた。


「まだ生まれたばかりの仔の話してるのに、もう次?」 「今月を越えるだけなら、来年また同じ目に遭う」 「それはそう」 「だから、延命じゃ足りない。勝ち筋を作る」


 言いながら、自分でも腹の底が熱くなるのが分かった。


 昨日生まれた仔を残す。

 それは決めた。


 だが、一頭を残すだけじゃ牧場は立ち直らない。

 その一頭が未来なら、次に必要なのは、その未来を偶然で終わらせないことだ。


「人気の種牡馬をつける金なんて、うちにはないよ」 「分かってる」 「今年も名前だけで売れる血統に寄せる案なら、最初から無理」 「分かってるって」


 恒一は立ち上がった。


「どこ行くの」 「血統表、見てくる」 「急に格好つけたこと言っても、紙は勝手に金を生まないよ」 「生むかどうかを決める紙ではある」


 そう返して、事務所の奥へ入る。


 父が使っていた古い棚の一角に、何年分もの配合メモと血統表の束が残っていた。

 ページの端は擦り切れ、ところどころ鉛筆で印が入っている。父の癖だった。


 この馬にはこの系統が合う。

 この牝系は一本気が強い。

  この枝は芝より脚抜きのいい馬場でしぶとい。


 そういう断片が、几帳面でも乱雑でもない字で残っている。


 恒一は一枚、また一枚とめくっていく。

 シラユキノハナのページで手が止まった。


 若い頃の戦績は地味。

 産駒も派手に稼いだ馬はいない。

 市場で食いつくような“映える血統”でもない。


 だから値が落ちた。

 だから、終わった牝馬だと思われた。


 だが昨夜、見えたものは違った。



---


シラユキノハナ

繁殖価値:B

母系活力:A-

受胎安定:C

分娩安定:D

産駒伝達率:A

脚元リスク伝達:低

配合残光:未消失

潜在母系因子:《晩成持続》《心肺伝達》《勝負根性》

総評:まだ終わっていない



---


 母系活力。

 産駒伝達率。

 勝負根性。


 恒一はゆっくり息を吐いた。


「……じゃあ、何を足す」


 牝馬に足りないもの。

 逆に、この牝馬が強く伝えるもの。


 人気種牡馬をつければ、それで走るわけじゃない。

 むしろ、人気の理由はだいたい“見栄え”と“市場受け”の両方を持っているからだ。


 もちろん、それが悪いわけじゃない。

 市場で高く売れるのは強い。牧場としては、それも正解の一つだ。


 だが、今の榊原ファームが大手と同じ土俵で戦っても、勝てるわけがない。


 高い種牡馬をつける。

 見栄えのいい血統に寄せる。

  セリで注目を集める。


 全部、金のある牧場がやれば強い。

 だが、うちは違う。


 足りない金で同じことをやれば、外した時に一年が消える。


 その時、ふいに視界の端に光が走った。


 机の上に広げた種牡馬名鑑の文字が、ゆらりと揺れる。


 恒一は息を呑んだ。


 まただ。


 馬だけじゃない。

 種牡馬候補を見比べた時にも、何かが浮かぶ。



---


候補種牡馬:ロードグランツ

種付け料:高

市場人気:A

早熟性付与:A

馬体映え:A

配合共鳴率シラユキノハナ:C

勝ち上がり期待:中

牧場収支適合:低


候補種牡馬:レッドアーク

種付け料:中

市場人気:C

心肺補強:A

持続力補強:A-

気性補正:B

配合共鳴率シラユキノハナ:S

勝ち上がり期待:高

牧場収支適合:高


候補種牡馬:ブルーロータス

種付け料:低

市場人気:D

ダート適性補強:B

頑健性補強:A-

配合共鳴率シラユキノハナ:A-

勝ち上がり期待:中

牧場収支適合:高



---


「……おい」


 思わず、誰もいない部屋で声が漏れた。


 ロードグランツ。

 今年も人気を集める大型種牡馬。産駒は見栄えがいい。セリでも買い手がつきやすい。名前だけで値が乗る。


 父も、生きていた頃なら一度は考えたはずだ。

 実際、メモの端にも小さく丸が打ってある。


 だが、共鳴率はC。


 対してレッドアークは、市場人気こそ高くない。

 派手でもない。名前で吊れるタイプでもない。

 それでも、シラユキノハナとの共鳴率はS。


 S。


 そんなものを見せられて、平静でいられるわけがなかった。


「兄さん?」


 いつの間にか、美緒が戸口から覗いていた。


「何か見つかった?」 「ああ」 「その顔、また面倒くさいやつだ」


 恒一は名鑑を閉じなかった。

 むしろ、美緒にも見える位置にぐっと寄せる。


「人気のある種牡馬が、必ず正解じゃない」 「それはまあ、分かるけど」 「いや、“分かる”で済ませたら駄目だ。そこが勝負なんだよ」


 美緒は一歩部屋に入り、机の上の資料を見た。


「ロードグランツ? 今年も人気なんでしょ」 「ああ。見栄えもいいし、名前で買われる」 「じゃあ普通はそっち?」 「普通はな。でも普通にやって勝てるなら、うちはここまで苦しくなってない」


 言い切ると、美緒が黙った。


 恒一は資料を指先で叩く。


「高い種牡馬ってのは、それだけでリスクなんだよ」 「値段が高いから?」 「それだけじゃない。期待も高くなる。もし外した時、“高い金を払ったのに走らない馬”が残る。そうなると一年分の勝負がまとめて腐る」 「……ああ」


 美緒の顔に、ようやく実感が落ちたのが分かった。


 高い種牡馬をつける。

 聞こえはいい。夢もある。

 だが、零細牧場にとっては“勝負を大きくしすぎる”ことでもある。


「安い方が安全って話?」 「違う。安けりゃいいなら誰でもやってる」 「じゃあ?」 「噛み合う相手を当てるんだよ」


 恒一は、自分の言葉に少しだけ震えた。


 今まで感覚でしか言えなかったものが、今ははっきり輪郭を持っている。

 何を足せばいいか。何を足しちゃいけないか。

 人気でも格でもなく、相性で決める。


「シラユキノハナは、心肺と勝負根性を伝える」 「うん」 「なら、足すべきは見栄えじゃない。もう一段、持続力と、脚を使い続ける形だ。派手な瞬発力じゃなくていい。最後まで止まらない方がいい」 「それがレッドアーク?」 「ああ」


 言った瞬間、昨夜見た仔馬の数値と、今目の前にある種牡馬の補強項目が、一本の線に繋がった気がした。


 心肺。

 持続力。

 晩成。

 勝負根性。


 シラユキノハナの産駒に見えたものは、偶然じゃない。

 母系の火が、ちゃんと残っている。


 なら、その火をどう燃やすかだ。


「でも人気ないんでしょ、レッドアーク」 「人気は低い」 「セリ映えもしない」 「多分な」 「それでもそっち?」 「それでもだ」


 美緒は腕を組んで、兄の顔をしばらく見た。


「兄さん、変わったね」 「何が」 「前は“売れるかもしれない方”から考えてた」 「今も考える」 「でも今は、“走らせたい方”を先に見てる」 「……そうかもな」


 自分でも意外だった。


 いや、違う。

 本当は最初から、そうしたかったのかもしれない。


 ただ、それを選べる余裕がなかった。

 市場に合わせるしかないと思っていた。

 売れなければ終わるから、売れる形に寄せるしかないと。


 でも今は違う。

 見えてしまった。


 売れる馬と、走る馬が、必ずしも同じではないことを。

 そして、自分の牧場が賭けるべきなのは、名前で一度高く売れる夢より、本当に走る馬を出して名前を変える未来だということを。


「玲奈さんに聞く」 「獣医さんに?」 「繁殖の体調面もある。相性だけじゃ決めない」


 そう言った時、ちょうど部屋の外で車の音がした。

 雪混じりの土を踏む、軽いタイヤ音。


 美緒が窓を見る。


「……噂をすれば」


 数分後、玄関から白い息と一緒に天城玲奈が入ってきた。

 分厚いコートの襟を払って、いきなり本題に入る。


「シラユキノハナの様子は?」 「落ち着いてる」 「仔は?」 「立つ回数が増えた」 「そう」


 玲奈は短くうなずき、すぐに気づいた。


「何その顔」 「顔で分かるのか」 「分かる。面倒なこと考えてる顔」 「お前もかよ」 「美緒ちゃんに聞いたら九割同意すると思う」


 美緒が無言でうなずく。ひどい。


 玲奈は机の上の名鑑と血統表を見て、目を細めた。


「もう種付けの話?」 「ああ」 「気が早いわね」 「早くない。遅いと終わる」


 玲奈は一瞬だけ黙り、それから小さく息をついた。


「で?」 「シラユキノハナに、ロードグランツかレッドアークかで迷ってる」 「迷ってる顔じゃないけど」 「……レッドアークに傾いてる」 「理由は?」 「噛み合う」


 短く言うと、玲奈は少しだけ眉を上げた。


「珍しい答え方するわね」 「何が」 「普通は“人気がある”“血統がいい”“値がつく”って言うのよ。噛み合う、って言う人は少ない」 「じゃあ、お前はどう思う」 「獣医として言うなら、シラユキノハナに無茶はさせたくない。年もあるし、分娩の安定は強くない」 「……ああ」 「だから、もし次を狙うなら、産駒の売れやすさより、母体に無理が少なくて、産駒にも無茶を押しつけない方がいい」


 恒一は黙って聞いた。


 その言葉は、自分の見た数字とも重なった。

 高い種牡馬は、期待も負荷も乗る。

 外した時の痛みも大きい。


「レッドアークは?」 「極端じゃない。派手さはないけど、バランスは悪くないわね。少なくとも、“見栄えのために賭ける”配合よりはマシ」 「それなら十分だ」


 恒一が言うと、玲奈はちらりと見た。


「ずいぶん言い切るのね」 「言い切れなきゃ、この牧場じゃやっていけない」


 玲奈は少しだけ笑った。

 からかうようでもなく、認めるようでもない、曖昧な笑いだった。


「だったら一つだけ。配合で全部決まると思わないこと」 「分かってる」 「生まれてからも勝負よ。むしろそこからの方が長い」 「ああ」 「ならいいわ」


 そのやり取りを聞いていた美緒が、ふっと口を挟んだ。


「でも、レッドアークにしたら、見た目の派手さは落ちるよね」 「落ちる」 「セリでも苦しい」 「苦しい」 「それでも?」 「それでもだ」


 恒一は、今度は迷わず言った。


「うちは大手じゃない。名前で買わせる戦いをしたら負ける。だったら、走る馬を出して、向こうから見方を変えさせるしかない」


 口に出した瞬間、自分でもはっきりした。


 これだ。


 高い種牡馬が正解じゃない。

 人気のある配合が正解じゃない。

 うちに必要なのは、“高く売れそうに見える一頭”じゃない。


 本当に勝ち上がる一頭だ。


 それが出れば、牧場の値札そのものが変わる。


 玲奈は机の資料を閉じた。


「じゃあ、腹は決まったわね」 「ああ」 「後悔しない?」 「するかもしれない」 「正直ね」 「でも、外した時に納得できる負け方はある。最初から市場に媚びただけの負け方は、二度としたくない」


 部屋の中が少し静かになった。


 美緒も、玲奈も、その言葉の意味をすぐに口にはしなかった。

 父の代から続けてきた“売れる方に寄せるだけの苦しさ”を、二人ともどこかで見てきたからだろう。


 恒一は名鑑を閉じた。


 決まりだ。


 シラユキノハナには、レッドアーク。

 派手さより相性。

 市場人気より勝ち上がり。

 見栄えより、走る芯。


 それが今の榊原ファームの一手になる。


 その時、玲奈がふと思い出したように言った。


「そういえば、黒峰スタッド」 「黒峰?」 「昨日の分娩の話、もう向こうにも回ってるみたいね。さっき診療所で少し聞いた」 「早えな」 「業界なんてそんなものよ」


 恒一は鼻で笑った。


「電話も来た」 「へえ」 「売る気があるなら話くらい聞いてやる、だと」 「感じ悪」 「感じ悪いで済めばいいけどね」


 美緒がぼそりと挟む。


 恒一は名鑑の表紙に手を置いたまま、低く言った。


「聞かせてやるよ」 「何を?」 「うちの答えをだ」


 高い種牡馬じゃない。

 人気だけの配合じゃない。

 零細牧場でも、相性を当てて、走る馬を作れる。


 そう証明してやる。


 そう思った時、胸の奥で何かが静かに燃えた。

 怒りだけじゃない。意地だけでもない。


 ようやく、自分の戦い方が見えた感覚だった。



---


榊原恒一の現状


牧場経営力:C


配合読解:D


繁殖観察:C


若駒評価:D


現場判断:B-


資金繰り判断:C-


交渉・信頼:D


牧場再建度:10%


榊原ファーム経営状況


現金余力:危険


資金繰り危険度:高


繁殖牝馬群期待値:B-


若駒資産価値:D


自家保留価値:A-


牧場ブランド:E


倒産危険度:高

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