表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潰れかけ牧場を継いだ俺は、馬の才能と配合相性が見える――見捨てられた血統で勝ち上がり、生産界ごとひっくり返す  作者: ビッグサム


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/35

第28話 使うか、待つか

 番組の本線が芝千八に絞られてから、牧場の空気が少し変わった。


 前までの「いつか走るかもしれない」ではない。

 今はもう、「本当にそこへ出すかどうか」を決める段階に入っている。


 だからこそ、浮つけない。


 朝の事務所で、美緒が壁のカレンダーを見ながら言った。


「来週なんだね」 「今のところはな」  恒一が答える。 「まだ決まったわけじゃない」 「でも本線なんでしょ」 「本線だ」 「じゃあ、かなり近い」 「かなり近い」


 玲奈が横から口を挟む。


「近い時ほど、止める判断が要るわよ」 「分かってる」 「分かってる顔してない」 「お前、それ前にも言ったな」 「同じ顔してるからよ」


 図星だった。


 行けるかもしれない。

 そこまで来ている。

 そう思うと、人は簡単に前のめりになる。


 でも今のタチカゼに要るのは、前のめりの期待じゃない。

 今の形で競馬に持っていけるかどうかの確認だ。


 昼前、春日から電話が入った。


『明日、少しだけ時計を出します』 「追い切りですか」 『追い切りというほど派手なものではありません。今の段階で、どういう形で動けるかを見るだけです』 「俺も行きます」 『来た方がいいでしょうね』 「判断ですか」 『判断です』


 それだけで、腹の奥が重くなった。


 翌朝、トレセンはまだ空気が硬かった。


 春日と坂口が厩舎前で待っている。

 史門も来ていた。

 みんなの目つきが、少しだけ細い。


「おはようございます」  恒一が頭を下げる。 「おはようございます」  春日が返す。 「先に言っておきます」 「はい」 「今日よく見たいのは、時計そのものじゃありません」 「……」 「前へ行く気を残したまま、我慢して動けるかです」


 タチカゼが出てくる。


 前より体が締まっている。

 ただ細くなったわけではない。

 余計な肉が落ちて、馬体の線がはっきりしてきた。


「気配は?」  恒一が聞く。 「悪くありません」  春日が言う。 「食いは落ちてない。テンションも上がりすぎていない。だから今日、出すか待つかを決められます」


 騎乗するのは若い助手だった。

 春日が短く指示を出す。


「前半は我慢。終いだけ少し伸ばす。速く見せようとするな」 「はい」


 タチカゼがコースへ出る。


 最初は抑える。

 前へ行く気はある。

 だが、頭だけ上げて行きたがる前の感じではない。

 手綱の中で、前へ行きたい気持ちを一度飲めている。


「そこはいい」  春日が言う。 「前は、前へ行きたい気持ちをそのまま出していました」 「今は?」  恒一が聞く。 「一回飲めてる。だから距離が延びても形が崩れにくい」


 そこが大きかった。


 やがて終いだけ少し伸ばす。

 タチカゼは反応する。

 ただ、一気に飛びつく感じではない。

 反応したあとも、すぐ頭を上げず、脚の回転で前へ進もうとしている。


 そこで右手前の雑さが少しだけ出た。


 前肢の入りが半拍だけ乱れる。

 だが、流れを壊すほどではない。

 我慢したまま動けている線の上に、まだ弱いところが残っている。そんな出方だった。


「どうですか」  恒一が聞く。


 春日は最後まで見て、馬が止まって、息が戻り始めるまで待ってから言った。


「使えます」 「……」 「ただし、条件付きです」


 坂口が資料を閉じる。


「条件は?」 「三つあります」  春日が指を折った。 「一つ目、芝千八。本線は変えません」 「はい」 「二つ目、相手を見ます。前半から速くなる組み合わせが揃いすぎるなら、無理にそこへ入れません」 「頭数も?」 「もちろん見ます」 「三つ目は」 「当日、馬が浮いたらやめます」


 そこまで聞いて、恒一は少しだけ息を吐いた。


 やめる。

 その言葉がちゃんと入っているのが、むしろありがたかった。


「そこまで徹底しますか」  恒一が聞くと、春日は即答した。


「します」 「……」 「初戦で雑に負けると、次に修正する方が高くつく」 「そうですね」 「だから今日の結論は、“使える”ではなく“この条件なら使う”です」


 かなりはっきりしていた。


 使える。

 でも、いつでもどこでもではない。

 そういう馬の方が、むしろ信用できる。


 史門が横から言った。


「私は賛成です」 「珍しく即答だな」  恒一が言う。 「ここまで来て短いところへ逃げる方が嫌ですから」 「お前、本当にそこ嫌いだな」 「嫌いです。速そうに見える馬を、速そうに使って終わるのは」


 坂口が少しだけ笑った。


「みんな言うことは同じか」 「同じです」  史門が言う。 「この馬は最初の形が大事なんです」


 春日はタチカゼを見ながら続けた。


「初戦に求めるのは、勝ち負けだけじゃありません」 「はい」 「ゲートを出る。流れに乗る。我慢をなくさない。最後まで脚を残して終える」 「順位じゃなくて?」  恒一が聞く。


 春日はすぐ答えた。


「順位も見ます」 「……」 「でも、最初に欲しいのは“次で勝てる形”です」 「逆に」  恒一が聞く。 「前だけで行って、最後に止まる競馬を覚えると、次が面倒です」


 その違いは大きかった。


 ただ走る。

 ただ負ける。

 ではなく、次で勝てる負け方をするかどうか。

 それが今のタチカゼの初戦に求めるものだった。


「では」  坂口が言う。 「来週の芝千八、本線で動きます」 「お願いします」  恒一は頭を下げた。


 その時、春日が一つだけ付け加えた。


「榊原さん」 「はい」 「初戦で勝つ可能性もあります」 「……」 「でも、そこだけ見ないでください」 「分かっています」 「本当に?」 「はい」 「ならいい」


 少し間を置いて、春日は続けた。


「この馬は、初戦で全部を見せ切る馬じゃないかもしれません」 「そうですか」 「でも、形が合えば二戦目、三戦目で一気に変わる可能性はあります」 「……」 「だから最初で壊さない。それが一番大事です」


 その言葉は、今の榊原ファームそのものだった。


 すぐ全部を取りにいかない。

 でも、ちゃんと次で勝てる形を残す。


 帰りの軽トラで、美緒に電話を入れる。


「どうだった」 「本線で行く」 『ほんとに?』 「ああ。芝千八」 『決まった?』 「条件付きだ」 『どんな』 「相手と頭数を見る。当日浮いたらやめる。そこまで含めて本線」 『……』 「でも、行く気ではいる」 『うわ』  受話器の向こうで、美緒が息を呑んだ。 『じゃあもう、来週なんだ』 「来週だ」 『かなりすごくない?』 「かなり、な」


 牧場へ戻ると、玲奈がすぐ聞いた。


「行くの?」 「本線で行く」 「いいわね」 「そこも即答か」 「短いところへ逃げなかった時点で、かなりいい」 「お前、本当にそこだけはぶれないな」 「馬を雑に使うのが嫌いなだけよ」


 事務所では、美緒が帳簿の余白を見ながら待っていた。


「何て書く?」 「またか」 「まただよ。今度はかなり大きいでしょ」 「……そうだな」


 少し考えてから、恒一は言った。


「レース線でいい」 「前と同じ」 「じゃあ足す」 「何を」 「本線決定」 「そのまんまだね」 「分かりやすい方がいい」


 美緒はそのまま書いた。


 タチカゼ レース線・芝1800本線


 悪くなかった。


 売上じゃない。

 でも、期待だけでもない。

 もう、来週どこへ出すかの話になっている。


 夕方、恒一はフユノホシの前に立った。


 牝馬は相変わらず静かだ。

 まだ待つ側にいる。

 シラユキノハナの仔も、まだ時間が要る。


 だがタチカゼは、もう番組まで決まった。


 同じ牧場の馬でも、時間は違う。

 でも、全部前へ進んでいる。


「兄さん」  美緒が横に来た。 「なんだ」 「今、かなりいい顔してる」 「また顔か」 「だってもう、番組でしょ」 「ああ」 「どんな気分?」 「……嬉しい」 「だけ?」 「ちょっと怖い」 「そっちの方が本音っぽい」 「たぶんな」


 恒一は少しだけ笑った。


 勝ったわけじゃない。

 でも、もう来週走るかもしれない馬の話をしている。


 それだけで、今日の前進は十分だった。



---


榊原恒一


牧場経営力:B


配合読解:C-


繁殖観察:B+


若駒評価:A-


現場判断:A-


資金繰り判断:B


交渉・信頼:B+


牧場再建度:58%



榊原ファーム


現金余力:低


資金繰り危険度:高


繁殖牝馬群期待値:再編中


若駒資産価値:B+


自家保留価値:A-


牧場ブランド:D+


倒産危険度:高



補助表示


若馬売却成否:成立


育成先:北斗トレーニングファーム


レース線:タチカゼが芝1800本線で番組決定段階

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ