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潰れかけ牧場を継いだ俺は、馬の才能と配合相性が見える――見捨てられた血統で勝ち上がり、生産界ごとひっくり返す  作者: ビッグサム


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第23話 入厩の条件

 タチカゼの話は、思ったより早く次へ進んだ。


 北斗へ行った二日後、坂口から電話が来たのは昼前だった。


『厩舎、ひとつ当たりました』 「早いですね」 『早い方がいいでしょう』 「それはそうです」 『ただし、すぐ決まりとは言いません。見る人間が厄介なので』 「厄介?」 『馬を褒めて終わるタイプじゃない。嫌なら嫌とその場で言う』


 それはむしろありがたかった。


 曖昧に持ち上げられて、あとで切られる方がよほど困る。


『今日、北斗で見るそうです』 「俺も行きます」 『来た方がいいでしょうね』


 電話を切ると、美緒がすぐ顔を上げた。


「決まりそう?」 「まだだ」 「でも進んだ」 「ああ。厩舎候補が一つ当たった」 「それ、かなり大きくない?」 「かなり大きい」


 玲奈がすぐに口を挟む。


「で、何を見られるの」 「そこだよな」


 恒一は頷いた。


「速いか遅いかだけじゃないはずだ」 「当たり前でしょ」  玲奈が言う。 「今の時点なら、壊れないか、指示が入るか、輸送後に崩れないか、その辺りを見られる」 「やっぱりそこか」 「そこを超えないと、レースの話にならない」


 北斗に着くと、史門と坂口に加えて、初対面の男がいた。


 四十代後半。

 背は高くない。顔も地味だ。

 だが、立っているだけで周囲が少し締まる。そういう空気がある。


「春日です」  男は短く名乗った。 「榊原です」 「坂口さんから話は聞いています」


 それだけ言って、春日はすぐに馬場の方を見た。


「まず動きを見ます」 「お願いします」


 余計な雑談はない。

 それがかえってありがたかった。


 タチカゼはすでに引かれてきていた。

 体つきは、牧場にいた頃より少し締まっている。

 見映えの良さはまだある。だが今は、それだけではない。


 史門が言う。


「まず軽く見せます。そのあと、少しだけ負荷を上げる」 「それでいい」  春日は答えた。


 スタッフが跨り、タチカゼを出す。


 最初は軽く流す。

 春日は一言も喋らない。

 脚の出、首の位置、耳の動き、息の入り方。そういうところを一つずつ拾っているのが分かった。


 少しして、史門がスタッフに合図を出す。

 タチカゼの前進気勢が少し上がる。


 そこで、右手前の雑さが出た。


 前肢の入りが少しだけバラつく。

 ただ、崩れて前へ行けなくなる感じではない。修正の余地がある雑さだ。


「そこです」  史門がすぐ言った。 「見えてます」  春日が返す。


 春日は視線を切らずに聞く。


「急がせたらどうなる」 「もっと雑になります」  史門が言う。 「ただし、止まらなくなるタイプではない。前へ行きたがるが、我慢はまだ教えられる」 「食いは」 「落ちてません」 「輸送後は」 「想定内です。大きく崩してない」


 春日はそこで初めて、恒一の方を向いた。


「榊原さん」 「はい」 「この馬、牧場にいた頃から扱いは丁寧でしたか」 「丁寧に見ていたつもりです」 「つもり、では困る」 「……雑には扱っていません」 「売るために無理に見せたことは?」 「下見の時は、見せる順と動線はかなり整えました。ただ、馬を追い込んでよく見せるやり方はしていません」 「そうですか」


 春日の顔は動かない。

 だが、少しだけ空気が変わった気がした。


 タチカゼが戻ってくる。

 息の戻りは悪くない。

 汗も変なかき方ではない。


 春日が首元を一度だけ触る。


「悪くない」  その一言に、美緒ならたぶん飛び上がって喜ぶ。

 だが、ここで喜びすぎるのは違うと恒一は分かっていた。


「ただし」  春日が続ける。 「今すぐ使って勝てる馬かと言われると、そういう感じではない」 「はい」 「見映えだけならもっと派手な馬もいる」 「……」 「でも、進め方を間違えなければ競馬にはなる」


 その言葉は、はっきり重かった。


 競馬にはなる。

 勝てる、とまでは言っていない。

 だが、競馬場まで連れていく価値はあると言っている。


「条件がありますか」  坂口が聞く。


 春日は頷いた。


「二つあります」 「聞きます」 「一つ目。急がないこと。ゲートだけ先に受からせて、無理に夏へ押し込む形は嫌いです」 「分かります」  坂口が言う。 「二つ目。右手前の雑さを、速さで誤魔化さないこと」 「それもそのつもりです」  史門が答えた。


 春日は少しだけ考えてから言った。


「なら、一度入れます」 「……」 「今月末か、遅くても来月頭。トレセンへ一回入れて、まず環境とゲートと気持ちを見る」 「ありがとうございます」  恒一は思わず頭を下げた。


 春日はそこで初めて、ほんの少しだけ表情を緩めた。


「礼は早い」 「はい」 「まだ“入れてみる”だけです。競馬に使うと決めたわけでもない」 「分かっています」 「その上で」  春日はタチカゼを見る。 「この馬は、雑に使わなければちゃんと競馬になると思います」


 その一言で十分だった。


 北斗の事務所に戻ってから、坂口が書類を広げる。


「入厩前提で準備を進めます」 「条件付き、ですね」  恒一が言う。 「そうです。あくまで条件付き。ただ、ここまで来れば線は太い」 「……」 「榊原さん、これが一番大事です」  坂口が書類から顔を上げる。 「はい」 「売ったあと、崩れてない。育成で進めた。厩舎が一度見て、入れると言った」 「……はい」 「ここまで来ると、“たまたま売れた馬”ではなくなる」


 その言葉は、まっすぐ腹に落ちた。


 たまたまじゃない。

 そこまで来るのに、どれだけ細かい判断が要ったかは、自分たちが一番知っている。


 帰り際、史門が外まで送ってきた。


「一個だけ」  史門が言う。 「何だ」 「入厩したら、牧場の馬じゃなくなる場面が増えます」 「……」 「もちろん元はそっちです。でも、走る段階に入ると、厩舎の論理が強くなる」 「分かる」 「ならいいです」


 少し間を置いて、史門が続けた。


「でも、ここまで連れてきたのはそっちです」 「……」 「そこは、向こうも見てます」


 それは少し意外だった。

 もっと切り分けて考える人間だと思っていた。


「お前、たまにそういうこと言うな」 「たまにです」 「いつもは言わないのか」 「言わなくて済む相手には言いません」


 牧場へ戻ると、美緒が玄関まで出てきた。


「どうだった」 「条件付きで入れる」 「ほんとに?」 「ああ。トレセンに一回入れて、ゲートと環境と気持ちを見る」 「うわ……」  美緒はそこで、言葉より先に息を吐いた。 「すごいね」 「まだ早い」 「でも進んだ」 「かなりな」


 玲奈は事務所で話を聞き終えると、すぐに言った。


「じゃあ問題は次ね」 「何だ」 「入厩したあと、雑に使われないこと」 「そこは春日が嫌うらしい」 「なら少し安心」 「少しかよ」 「ゼロじゃないだけよ」


 美緒が帳簿の端に何か書く。


「今度は何書いてる」 「売上じゃない方」 「またか」 「だって、これは大きいでしょ」 「まあな」


 美緒が書いたのは、こうだった。


 タチカゼ 条件付き入厩前提


 売上欄には入らない。

 だが、見込みとも違う。

 結果に近い、まだ途中の線だ。


 夕方、恒一は空いた馬房の前で立ち止まった。


 ここからタチカゼは出ていった。

 あの時は、売れることが大きかった。

 今は違う。

 売れた先で、ちゃんと競馬の入口まで来たことが大きい。


 その隣で、フユノホシは静かに乾草を食っている。

 シラユキノハナの仔も、いつも通り地味だ。

 でも、今日はその地味さが前より頼もしく見えた。


 急がない。

 崩さない。

 それでも、ちゃんと前に進む。


 それができるなら、この牧場はまだ伸びる。


 視界に文字が浮かぶ。



---


タチカゼ

気性安定:B-

折り合い:C+

心肺:B

脚元耐久:B-

右手前の雑さ:残存

現状評価:条件付き入厩前提

総評:派手さは薄いが、進め方を間違えなければ競馬になる



---


榊原恒一


牧場経営力:B


配合読解:C-


繁殖観察:B+


若駒評価:B+


現場判断:B+


資金繰り判断:B


交渉・信頼:B+


牧場再建度:55%



榊原ファーム


現金余力:低


資金繰り危険度:高


繁殖牝馬群期待値:再編中


若駒資産価値:B


自家保留価値:A-


牧場ブランド:D


倒産危険度:高



補助表示


若馬売却成否:成立


育成先:北斗トレーニングファーム


レース線:タチカゼが条件付き入厩前提段階

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