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潰れかけ牧場を継いだ俺は、馬の才能と配合相性が見える――見捨てられた血統で勝ち上がり、生産界ごとひっくり返す  作者: ビッグサム


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第22話 走れる形は、まだ地味だ

 朝の仕事を終えたところで、携帯が鳴った。


 画面に出た名前は、史門だった。


「榊原です」 『今、来られますか』 「北斗に?」 『ええ。タチカゼ、見せたい』 「何かあったのか」 『あったというより、ようやく話せる段階に来た』


 それだけで十分だった。


 恒一はすぐに軽トラの鍵を取り、事務所へ顔を出した。


「北斗行ってくる」 「タチカゼ?」  美緒が顔を上げる。 「ああ」 「悪い話?」 「その言い方だと大体悪く聞こえるな」 「だって急に呼ばれる時って、そういうこと多いでしょ」 「今回は違う気がする」


 玲奈がカルテを閉じながら言った。


「行ってきなさい。戻ったら、言葉を省かずに説明して」 「お前はいつもそれだな」 「“悪くない”だけで済ませるからよ」


 北斗トレーニングファームに着くと、史門は馬場の脇に立っていた。


 挨拶は短い。

 そのまま視線で奥を示す。


「ちょうどいいところです」


 角馬場の向こうを、タチカゼが軽く回っている。

 全力ではない。速くもない。

 だが、前よりずっと“人の下にいる馬”の動きになっていた。


 首が抜けすぎない。

 掛かって持っていかれもしない。

 まだ幼さはあるが、前へ行く気持ちと止まる我慢が同じ線の上にある。


「……変わったな」  恒一が言う。 「少し」  史門が答えた。 「すごく良くなった、ではないです」 「でも」 「競馬に持っていく話ができる側に来ました」


 その言葉が、胸に真っ直ぐ入った。


 競馬に持っていく話ができる。

 まだ勝ったわけじゃない。

 でも、ただの売り馬ではなくなった。


「見ていてください」


 史門が言う。


 騎乗しているスタッフが、軽く促す。

 タチカゼは前へ出る。だが、力んで頭だけ上がる前の動きではない。

 脚が先に出て、体があとからついてくる。


「今のところ、一番いいのは食いです」  史門が言う。 「落ちない」 「そこは助かるな」 「助かります。着いてすぐ食えない馬は、それだけで一段遅れますから」


 馬は一度向きを変えた。

 そこで少しだけ、右手前に雑さが出る。

 前に見た紙の文言そのままだった。


「やっぱりそこか」 「ええ。ただ、崩れ方じゃない」 「どういう意味だ」 「急がせると雑になる。でも、今は修正が利く雑さです。怖いのは、崩れてるのに前へ行ってしまう馬の方です」


 それは分かりやすかった。


 走りたがる。

 でも、走れる形じゃない。

 そういう馬の方が危ない。


「時計は?」  恒一が聞く。 「まだ自慢する段階じゃありません」  史門は即答した。 「速い遅いで言うなら、黒峰の方が派手でしょうね」 「……」 「でも、今のタチカゼは“次の負荷に進める馬”です。そこが大事です」


 恒一は黙って見た。


 たしかに速いわけではない。

 人が見て派手だと言う動きでもない。

 だが、前回より明らかに“使える形”に近づいている。


 視界に文字が浮かぶ。



---


タチカゼ

気性安定:B-

折り合い:C+

心肺:B

脚元耐久:B-

右手前の雑さ:残存

推奨方針:基礎継続/急加速回避

総評:派手さは薄いが、競馬に持っていける下地あり



---


 競馬に持っていける下地あり。


 それで十分だった。


「兄さん」


 後ろから声がして振り返ると、美緒ではなく坂口が立っていた。

 いつ来たのか分からないくらい静かだった。


「来てたんですか」 「今着いた」  坂口は短く言った。 「見たかったので」


 史門が軽く会釈する。

 坂口はタチカゼから目を離さないまま聞いた。


「今、どう見てる」 「急がせなければ、進めます」  史門が答える。 「速さより、雑にしないことを優先してます」 「その方がいい」  坂口は言う。 「派手に見せて早く壊すのは、一番金にならない」


 その言い方が、妙にしっくりきた。


 しばらくして騎乗を終えたタチカゼが戻ってくる。

 汗のかき方も悪くない。

 息の戻りも、想定の範囲だ。


 恒一が首元に触れると、タチカゼは耳を動かした。

 牧場にいた頃より少し締まった。

 だが、きつくなったわけじゃない。


「榊原さん」  坂口が言った。 「はい」 「厩舎の候補を一つ当たってみる」 「……」 「まだ入ると決める話じゃない。だが、“競馬場に連れて行ける馬か”を見る段階には来た」


 その一言で、胸の奥が少し熱くなった。


 売れた。

 預けた。

 崩れていない。

 そして今、厩舎の話が出た。


 ようやくここまで来た。


「ありがとうございます」  恒一は頭を下げた。 「礼は早い」  坂口は言う。 「走ってからだ」 「……はい」 「ただし」  坂口の目が少しだけ細くなる。 「早く結果が欲しいからといって、短いところへ押し込んで誤魔化す話は嫌いだ」 「俺もです」 「ならいい」


 史門がそこで口を挟む。


「多分この馬、速さだけで押すより、我慢を覚えさせた方が最後に残ります」 「距離は?」  恒一が聞く。 「今ここで決める話じゃないです。でも、“短いところでごまかす馬”ではない」 「そうか」


 それだけでも十分な前進だった。


 帰りの軽トラの中で、恒一はしばらく黙っていた。

 信号待ちで、美緒から着信が入る。


「どうだった」 「厩舎の候補を当たるって」 『……ほんとに?』 「ああ」 『それ、かなり大きくない?』 「大きい」 『勝ったわけじゃないよね』 「勝ってない」 『でも、走る話になったんだ』 「そうだ」


 受話器の向こうで、美緒が息を吐くのが分かった。


『じゃあ今日は、かなり前進だね』 「かなり、な」


 牧場へ戻ると、玲奈が待っていた。


「省かずに」  開口一番、それだった。


 恒一は苦笑して、北斗で見たことを順番に話した。

 食い。気性。右手前の雑さ。急がせない方がいいこと。厩舎候補の話が出たこと。


 玲奈は最後まで聞いてから、短くうなずいた。


「いいわね」 「そこも短いな」 「十分よ。要するに、“走る話ができる馬”になったんでしょ」 「……そうだ」 「それなら大きい」


 事務所では美緒が帳簿を開いていたが、今日はすぐにはペンを取らなかった。


「入れないよね」  美緒が言う。 「何を」 「厩舎候補」 「入れない」 「だよね」 「でも、覚えてはおく」 「先約と同じ?」 「少し違う」 「どう違うの」 「こっちは、売上じゃないけど、結果に近い」


 美緒はそこで、少しだけ笑った。


「それ、今の一番いい言い方かも」 「そうか?」 「うん。売上じゃない。でも、結果に近い」


 夕方、恒一は厩舎を回った。


 フユノホシは相変わらず静かだ。

 シラユキノハナの仔も、地味なまま少しずつ前へ出ている。


 そしてタチカゼは、もうここにはいない。

 だが、いない馬の話が、ようやく“走る”ところまで来た。


 空いた馬房の前で、恒一は少しだけ立ち止まった。


 あそこを空けたこと。

 見せないと決めたこと。

 紙を残したこと。

 順番を守ったこと。


 全部が回り道に見えて、ちゃんとここへ繋がっていた。


「兄さん」  後ろから美緒が来る。 「なんだ」 「今の顔、分かりやすい」 「また顔か」 「今日はかなりいい顔」


 恒一は小さく息を吐いた。


 まだ勝っていない。

 まだ金も楽じゃない。

 でも、ようやく走る側の話になった。


 それだけで、今日の前進は十分だった。



---


榊原恒一


牧場経営力:B


配合読解:C-


繁殖観察:B+


若駒評価:B+


現場判断:B+


資金繰り判断:B


交渉・信頼:B+


牧場再建度:54%



榊原ファーム


現金余力:低


資金繰り危険度:高


繁殖牝馬群期待値:再編中


若駒資産価値:B


自家保留価値:A-


牧場ブランド:D-


倒産危険度:高



補助表示


若馬売却成否:成立


育成先:北斗トレーニングファーム


レース線:タチカゼが厩舎候補検討段階

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