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潰れかけ牧場を継いだ俺は、馬の才能と配合相性が見える――見捨てられた血統で勝ち上がり、生産界ごとひっくり返す  作者: ビッグサム


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第20話 紙に残る信用

 北斗から届いた封筒は、思ったより薄かった。


 朝の事務所で、美緒が裏返しにしながら言う。


「もっと分厚いの想像してた」 「何をだ」 「写真いっぱいとか、すごいレポートとか」 「まだ着いて五日だぞ」 「それもそうか」


 差出人は北斗トレーニングファーム。

 角の揃った封筒の表に、丁寧な字で榊原ファーム宛と書いてある。


 恒一は少しだけ指先を止めた。


 送り出した馬の、その先から返ってくる最初の紙だった。


 封を切る。


 中に入っていたのは、A4用紙が二枚。

 一枚は預託条件の確認書。もう一枚は、史門の手書きに近い短い近況メモだった。


 写真はない。飾った言葉もない。


 ただ、必要なことだけが並んでいる。


 到着後、飼葉食い安定。

 発熱なし。

 環境変化への反応は想定内。

 歩様大きな乱れなし。

 前向きさはあるが、急がせると雑さが出る傾向あり。

 当面は我慢と基礎優先。


「……あいつらしい」  恒一は小さく言った。


「なんて?」  美緒が覗き込む。 「褒めてもいないし、落としてもいない」 「ほんとだ。すごく地味」 「だからいい」


 派手な評価が欲しくないわけじゃない。

 だが、こういう紙に大きな言葉が並ぶ方が、今はむしろ怖い。


 崩れていない。

 問題は早めに見えている。

 だから急がない。


 その三行があれば十分だった。


 玲奈が机の反対側から紙を取る。


「右手前で雑さ、か」 「見てるな」 「見てるわね」 「そこまで書くか」 「そこまで書くから信用できるのよ」


 玲奈は用紙を机へ戻した。


「順調、だけ書かれても困るでしょ」 「まあな」 「気になる癖がどこで出るか、何を優先してるか、そこまで書いてあるから使える」


 使える、という言い方が妙にしっくりきた。


 ただ安心するための紙じゃない。

 次にどうするかを考えるための紙だ。


 美緒が預託条件の方をめくる。


「こっちは現実だね」 「何が」 「費用」 「ああ」


 当然だが、送り出した先ではまた金がかかる。

 タチカゼが北斗で雑に扱われていない。その事実はありがたい。

 だがその“ありがたい”も、紙の上では請求と一緒に来る。


「兄さん」  美緒が言う。 「信用って、お金より遅く効くどころか、お金を連れてくるんだね」 「嫌な言い方するな」 「でも間違ってないでしょ」 「間違ってない」


 その通りだった。


 北斗に流した。

 雑に扱われていない。

 だから次に繋がる。


 だが、繋ぐためには費用も払う。

 信用ってのは、ただ楽にしてくれるものじゃない。ちゃんと重さも一緒に寄越してくる。


 その時、電話が鳴った。


 美緒が受話器を取る。


「榊原ファームです。……はい。……はい、兄に代わります」


 受話器を押さえて顔を上げる。


「片桐さん」 「早いな」


 恒一が代わる。


「榊原です」 『片桐です。朝から失礼』 「いえ」 『一つ頼みがある』 「何でしょう」 『フユノホシの近況、口頭じゃなく紙でもらえる?』


 恒一は一瞬、言葉を止めた。


「紙、ですか」 『ええ。体重がどうとか、そんな立派なものでなくていい。食い、馬房の落ち着き、見学制限の理由、そのくらいで十分』 「……」 『見に行く前に、管理の癖を知りたいの』


 その言葉で、恒一は北斗の紙を見た。


 崩れていない。

 急がせると雑さが出る。

 基礎優先。


 たったそれだけで、自分たちはずいぶん助けられた。

 なら逆も同じだ。


「分かりました」  恒一は答えた。 「今日中にまとめます」 『ありがとう。短くていい』 「はい」 『あと』 「はい」 『黒峰の方からは綺麗な写真が来た』 「……でしょうね」 『でも、写真だけじゃ分からないものもある』


 そこで電話は切れた。


 美緒がすぐ聞く。


「何て?」 「フユノホシの近況を紙でくれって」 「紙?」 「管理の癖を見たいらしい」 「……」 「あと、黒峰は写真を送ってる」


 事務所の空気が少しだけ重くなる。


 向こうは派手に見せる。

 こちらは静かに積む。

 勝ち筋が違うのは分かっている。だが、違う勝ち筋を通すには、その違いを言葉にしなきゃならない。


「兄さん」  美緒が言う。 「ある?」 「何が」 「紙にできるもの」


 恒一は答えなかった。


 頭の中にはある。

 フユノホシが人の出入りでどう硬くなるか。空き馬房がどう効いたか。桶の位置や時間を変えない方がいいこと。

 シラユキノハナの乳が安定していること。仔馬の戻り方が少しずつ良くなっていること。


 だが、それは全部、厩舎の中にある感覚だ。

 紙に落としたことは、ほとんどない。


「……作るしかないな」  恒一は言った。


 午前のうちに、恒一、美緒、玲奈の三人で記録をまとめ始めた。


 大げさな様式は作らない。

 必要なことだけを書く。


 フユノホシ。

 接触人数を絞ってから耳の動きと視線の忙しなさが減少。

 空き馬房を緩衝帯として維持。

 急な環境変化に敏感なため、見学頻度を制限。

 飼料は量より変化に反応しやすく、順番と時間を固定。


 シラユキノハナ。

 分娩後の食い安定。乳量維持。

 仔馬との距離は近いが過干渉ではない。

 急な配分変更なし。


 当歳牡馬。

 哺育安定。

 驚いて離れても自分で戻る。

 急な刺激を避け、現状維持優先。


 美緒が書きながら言う。


「なんか変な感じ」 「何が」 「毎日見てることを、わざわざ文章にするの」 「でも、文章にしないと伝わらない」 「うん。それが不思議」


 玲奈がカルテをめくりながら口を挟む。


「みんな現場で見てるものを“見れば分かる”で済ませるのよ」 「でも分からない人もいる」 「いる。というか、そっちの方が多い」 「じゃあ」 「だから、分かる人に分かる形で残すの。写真より、そういう方が効くこともある」


 恒一はフユノホシの欄を見下ろした。


 “見学制限の理由”。

 この一行が、前の自分には書けなかった気がする。


 見せないのは弱さだと思っていた。

 今は違う。

 見せない方が守れる価値がある、と説明できる。


 昼過ぎ、三雲が来た。


「何それ」  机の上の紙を見て言う。 「フユノホシの管理メモ」  美緒が答える。 「へえ。ついに書くようになったか」


 三雲はざっと目を通して、笑みを消した。


「……悪くない」 「本当か」  恒一が聞く。 「下手な飾り文句より、よっぽど信用できる」 「それならいい」 「ただ」  三雲が紙を置く。 「これ、分かる人にしか刺さらないよ」 「それでいい」  恒一は答えた。 「分からない相手に写真だけで値段を上げるのは、うちの勝ち方じゃない」


 三雲は少しだけ目を細めた。


「言うようになったね」 「言わないと、また同じことになる」 「そうかもな」


 その日の夕方、片桐から短い返信が来た。


 長い感想はない。

 ただ、三行だけだった。


 写真より分かる。

 牝馬を崩さない管理として筋が通っている。

 春までこのまま持てるなら、話を前に進められる。


 美緒がそれを声に出して読んだあと、しばらく黙った。


「兄さん」 「なんだ」 「地味だね」 「かなりな」 「でも、嬉しいね」 「……ああ」


 その“嬉しい”が、昔よりずっと重い。


 見た目がいい。

 値段がつく。

 それも嬉しい。


 だが今は、崩れていないことが伝わる方が、ずっとありがたかった。


 ただ黙って待っているだけじゃない。

 静かに守ってきたものが、ようやく“何もしていない”ではないと外から読まれた。

 そのことが、妙に胸に残った。


 夕方の見回りで、恒一はまたフユノホシの前に立つ。


 牝馬は落ち着いていた。

 目の焦点も、呼吸の深さも、前より安定している。


 視界に文字が浮かぶ。



---


フユノホシ

気性安定:B

成長力:A-

環境変化耐性:低

管理適応:上昇

現状評価:待機価値維持

総評:崩れていないこと自体が評価材料化



---


「そういうことか」


 小さく呟く。


 崩れていない。

 それは、ただ“何も起きていない”のとは違う。

 ちゃんと守った結果で、記録に残せる事実で、次の話をする材料になる。


 その隣、空いた馬房はまだ空いたままだ。

 もったいない。

 だが、今はその“もったいない”が、フユノホシの値段を守っている。


 美緒が後ろから来て、柵に寄りかかる。


「兄さん」 「なんだ」 「最近、牧場って静かな方が強いのかなって思う時ある」 「静かな方がいい時はある」 「昔は、“人が来る”“売れる”“動く”の方が強く見えたのにね」 「今もそういう強さはあるよ」 「でも?」 「静かに崩れていない方が、高い時もある」


 言ってから、自分でも少し驚いた。


 そうか。

 いま自分たちは、派手に進んでいるわけじゃない。

 だが、静かに崩れていない。


 それが初めて、紙になって返ってきた。



---


榊原恒一


牧場経営力:B


配合読解:C-


繁殖観察:B+


若駒評価:B


現場判断:B+


資金繰り判断:B


交渉・信頼:B


牧場再建度:51%



榊原ファーム


現金余力:低


資金繰り危険度:高


繁殖牝馬群期待値:再編中


若駒資産価値:B-


自家保留価値:A-


牧場ブランド:D-


倒産危険度:高



補助表示


若馬売却成否:成立


育成先:北斗トレーニングファーム

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