第18話 削って、薄くしない
飼葉は、減らそうと思えば減らせる。
だが、減らした分だけ金が浮いて終わるなら、誰も苦労しない。
問題はそのあとだ。
削った分が、そのまま馬の中身から抜ける。
焦りやすい馬は気持ちが先に痩せるし、母馬は乳が落ちる。若い馬は、見た目より先に芯が薄くなる。
だから、削るのと薄くするのは違う。
朝の飼料庫で、恒一は積まれた袋を見上げながらそう思った。
桐生と話した条件変更で、次の乾草は一度にどんと来ない。刻んで入る。
首はつながった。だが余裕はない。
余裕がないからこそ、今ある飼葉の意味が重くなる。
「兄さん」
後ろから美緒が来て、メモ板を差し出した。
「昨日の配分、もう一回確認して」 「シラユキノハナは維持」 「ああ」 「仔馬は急にいじらない。フユノホシは落としすぎない。問題は――」 「問題は、“大丈夫そうに見える馬”だね」 美緒が先に言った。
恒一はうなずいた。
見た目が崩れていない馬ほど危ない。
人は“まだ食わせなくても持つ”と思いがちだ。
だが、持つことと、価値が残ることは違う。
そこへ玲奈が入ってきた。
診療所へ行く前らしく、今日は早い。
「始めるの?」 「ああ」 恒一が答える。 「配分を変える」 「じゃあ一つだけ先に言う」 玲奈は飼料袋の前で立ち止まり、指を一本立てた。 「全部を少しずつ減らすのが、一番下手なやり方よ」 「昨日も言ってたな」 「だって本当だもの」
玲奈は、飼料庫の奥に積んである濃厚飼料の袋を軽く叩いた。
「母馬、当歳、一歳、維持だけの馬。必要なものが違うのに、みんな同じ割合で削ったら、全員が中途半端に弱る」 「じゃあ」 「優先順位を決める」
美緒がすぐメモに書く。
「一番上はシラユキノハナ?」 「今はそう」 玲奈が答えた。 「乳が落ちたら仔馬に来る。母を薄くすると、二頭まとめて薄くなる」 「仔馬は?」 「急に増やさない。急に減らさない。まだ胃も腸も未熟なんだから、“いじりすぎない”のが正解」 「フユノホシは?」 恒一が聞く。
玲奈は少し考えてから言う。
「体を太らせるんじゃなくて、細いまま崩さない。そこ」 「難しい言い方するな」 「難しいのよ」
それはその通りだった。
フユノホシはいま、派手に肉をつける時期じゃない。
だが、薄いからといって焦って入れれば、気持ちや腹が先に崩れる。
静かに持たせて、春まで形を残す。そこが勝負だ。
「じゃあ、削るのはどこ?」 美緒が聞く。
恒一はメモ板を見ながら答えた。
「まず、今もう走ってなくて、維持だけの馬」 「うん」 「次に、気性に響きにくいところ。乾草は切りすぎない。濃厚飼料の入れ方を変える」 「乾草は切らないの?」 「切りすぎると胃が荒れる」 玲奈が即答した。 「空腹の時間が長くなる方が、あとで面倒になる」 「じゃあ濃厚飼料だけ?」 「だけ、じゃない」 恒一が言う。 「回数も見る。一回で重くやるんじゃなく、馬によっては軽く分ける」 「……」 「要するに、“量を減らす”じゃなくて“入れ方を変える”」
その言葉に、自分でも少しだけ手応えを感じた。
これまでは足りない、足りないで追われていた。
今は同じ足りないでも、どこを守るための足りなさかを考えられている。
飼葉桶を持って厩舎に入る。
シラユキノハナは落ち着いていた。
仔馬も、母の横で少しずつ歩幅が伸びてきている。
恒一はまず母馬の桶に手を入れ、量を確かめる。
増やしすぎず、落としすぎず。乳の出を見ながら、あくまで維持。
その桶を見下ろした時、ふいに嫌な想像がよぎった。
ここで一段、量を落とす。
数日は持つ。
だが乳が薄くなる。仔が焦る。戻り方が変わる。気持ちが先に痩せる。
そうなった時、削った金より、失うものの方が大きい。
シラユキノハナは派手な母じゃない。
だからこそ、雑に薄くしていい母でもない。
「ここは削らない」
恒一は低く言った。
「そんな顔してた」 玲奈が横で言う。 「何の顔だ」 「削った後まで見た顔」 「……見えた気がしただけだ」 「そういうの、大体合ってるわよ」
美緒が後ろから聞く。
「こういうのって、正解あるの?」 「ある時もあるし、ない時もある」 恒一が答える。 「なんだそれ」 「馬は計算通り食って、計算通り動く機械じゃないからな」
その時、仔馬が少しだけ前に出て、母の桶へ鼻先を寄せた。
シラユキノハナが耳を動かす。だが、払いはしない。
「そこはいい」
玲奈が横から見て言う。
「何が」 「母と仔の距離。無理に離してないし、べったりでもない」 「それも配分に関係あるのか」 「あるわよ。乳の出が落ちて仔が焦ると、戻り方まで変わるから」
恒一は仔馬を見る。
たしかに今は、焦りが薄い。
視界に文字が浮かんだ。
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当歳牡馬(シラユキノハナの仔)
心肺:A
成長力:A
気性安定:C
哺育安定:B
推奨管理:現状維持/急な配分変更回避
総評:地味だが順調。急かさないほど芯が残る
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急かさないほど芯が残る。
嫌に腑に落ちる文だった。
次はフユノホシだ。
牝馬は桶を置く前から、少しだけ鼻を動かして匂いを取る。
こういうところが敏い。
量が減ったかどうかより、“何か変わった”の気配を先に拾う。
恒一は桶を前に置き、少し待つ。
フユノホシはすぐ食いつかない。
ひと呼吸おいて、確かめるように口をつける。
「どう?」 美緒が聞く。
「悪くない」 恒一は答えた。 「食わない?」 「いや。警戒してるだけだ。こういう馬は、ここで無理に押す方があとで崩れる」
玲奈がうなずく。
「量を少し落としても、落ち着いて食えるなら大丈夫。怖いのは、量より気持ちの方が先に削れること」 「それ、見て分かるの?」 「分かる馬は分かる」
恒一の視界に、また文字が浮かぶ。
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フユノホシ
気性安定:B
成長力:A-
環境変化耐性:低
飼料変化反応:敏感
推奨対応:少量調整/同時に環境固定
総評:量より“変化”に反応。雑な切り替え厳禁
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量より変化。
やはりそうか。
食わせる量をどうするかより、変えることそのものの雑さがこの馬には効く。
だから、今日は量より順番だ。桶の位置、持ってくる時間、人の動き。そこを変えない。
「兄さん」 美緒がぽつりと言う。 「なんか最近、金の話してるのに気性の話ばっかりしてるね」 「同じ話だよ」 「そうなの?」 「気性が崩れたら、結局あとで高くつく」
それが、ようやく実感として分かってきた。
安く済ませたつもりが、馬を崩して全部高くなる。
零細が一番やっちゃいけないのは、だいたいそういう節約だ。
昼前、桐生のところから新しい乾草が一部届いた。
量は少ない。
だが、少ないなりに綺麗な束だった。
搬入を見ながら、恒一はふと気づく。
前なら、この少なさに不安しか覚えなかった。
今も不安はある。
だが今は、その少なさの中で何を守るかを考えている。
「変わったわね」 玲奈が横で言った。
「何が」 「乾草が少ない時の顔」 「そんなのまで分かるのか」 「前は“足りない”だけの顔だった。今は“どこに回すか”の顔してる」 「……お前ら、本当に顔ばっか見てるな」 「顔に出る方が悪い」
その時、軽トラの音がして、桐生本人が少し遅れて降りてきた。
今日は伝票だけ置いて帰るつもりらしかったが、厩舎の前で足を止めた。
「少し見ていいか」 「どうぞ」 恒一は答える。
桐生はシラユキノハナの方を見て、次にフユノホシの方を見た。
それから、空いた馬房を見た。
「埋めないのか」 「今は」 「もったいなく見える」 「そうですね」 「でも、こっちの牝馬の顔は前よりましだ」
恒一は少しだけ驚いた。
「分かりますか」 「長く飼葉やってると、分かる顔くらいはある」
桐生はそこで、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「前よりは、金の使い方が馬に残り始めたな」 「……」 「それなら、待つ理由も少しは分かる」
たったそれだけの言葉だった。
だが、片桐の“春を待つ価値がある”とは別の重さがあった。
買う側じゃない。
支える側の人間が、少しだけ待つ理由を認めた。
信用は現金より遅い。
でも遅いだけで、ゼロではない。
桐生が帰ったあと、恒一はしばらく厩舎の前に立っていた。
フユノホシは静かだ。
シラユキノハナも落ち着いている。
仔馬は、地味なまま少しずつ前へ出ている。
派手な変化じゃない。
それでも、削っても薄くしていない。
今日はその実感があった。
「兄さん」 美緒が後ろから呼ぶ。 「なんだ」 「今、少しだけ笑った」 「そうか?」 「うん。かなり珍しい」 「……気のせいだろ」 「たぶん違う」
恒一はもう一度、飼葉桶の並びを見た。
待つ。
見せない。
削る。
でも、薄くしない。
そういう地味な線が、少しずつこの牧場を支え始めている。
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榊原恒一
牧場経営力:B
配合読解:C-
繁殖観察:B
若駒評価:B
現場判断:B+
資金繰り判断:B
交渉・信頼:B
牧場再建度:49%
榊原ファーム
現金余力:低
資金繰り危険度:高
繁殖牝馬群期待値:再編中
若駒資産価値:B-
自家保留価値:A-
牧場ブランド:E+
倒産危険度:高
補助表示
若馬売却成否:成立
育成先候補:北斗トレーニングファーム




