11
「あ、滝本くん。今日、アキちゃんとごはん行くんだけど一緒に行かない?」
日勤を終え、利用者さんに挨拶を済ませてフロアを出ようとした時、同じく帰り支度をしていたリーダーが声を掛けて来た。
「あー、すみません。今日は早く帰らなきゃいけなくて」
「なーに? 最近付き合い悪いわねぇ」
「彼女でもできたんじゃないですかー?」
南君が、人差し指でぎこちなくパソコンのキーボードを打ちながらにやにやと言う。
「違いますよ。猫と金魚にご飯やらないといけないんです」
「はーっ。動物飼うと嫁に行けなくなるって聞いたことあるけど、本当かもねぇ」
リーダーが同意を求めるように南君に言うと、彼は「あー、泊まりとかできなくなるからってやつですねぇ」と、相変わらずモニターを凝視しながら笑った。
「一緒に暮らしている以上は責任がありますからね。僕が飼いたくて飼ってるんです。それで結婚できないならまぁ、仕方ないですよ。僕はあの子たちと過ごす今の方が大事です。では、お疲れさまでした」
少し言葉が悪かっただろうか。気を悪くしたかもしれないな。
呆気にとられた二人に頭を下げてからフロアを出た。
エレベーターのドアが開く。
廊下を抜けて、自宅のある一番奥の部屋に向かう足が無意識に大股になる。
ちゃんと愛さんは待ってくれているだろうか。
一緒に暮らし始めて四日目。
未だに家を離れる時は、この間にいなくなっているんじゃないかと不安に襲われる。
チヨさんから貰った、ミモザの刺繍が付いた家の鍵を取り出す。
鍵穴にさして半周させ、ドアノブに手を掛ける。
「ただい――」
みゃあ
僕が言うより先に、玄関でお出迎えしてくれた愛さんが挨拶してくれた。
まるで、黒猫と月に行った時、ドアベルの音と共に愛さんが微笑んで迎えてくれたみたいだ。
「ただいま」
僕がしゃがみこむと、嬉しそうに寄って来て手の甲を舐める。
部屋の水槽では、金魚が「よう。おつかれさん」とこちらに視線を送っていた。
愛さんと金魚はとても仲良くやってくれている。
最初は、猫の姿を見た金魚が水草の影に隠れて出てこようとしなかったが、愛さんが何もしないとわかると一緒に遊んだりしている。
愛さんがジャンプして水槽にタッチすると、金魚がぴゅんと逃げる。
そこにまた愛さんがジャンプしてタッチすると、またぴゅんと逃げるのだ。
まるで二人でもぐらたたきでもしているみたいで、そんな姿を見ているのもとても微笑ましかった。
風呂からあがり、夕飯を済ませ、開けた窓からの夜風に涼みながら体をくっつけてくる黒猫の丸い背中を撫でる。
こうしていると、店が無くなった今も、喫茶店にいるような気分になれるのだ。
【ねぇ、愛さんの写真送りなさいよー】
小鳥遊が送って来たLINEに貼り付けられているのは、どこかの飲み屋で突っ伏して酔いつぶれている樋口さんの写真だ。
テーブルの上には、空になった大ジョッキと、瓶ビールが二本開いていた。
二人は仲の良い友人として、こうして時折飲みに行くらしい。
毎回樋口さんから誘っては断られ、だけどめげずに誘い続けてはこうして潰されているようだ。
その時、小鳥遊からの着信画面に切り替わった。
「愛さんと仲良くやってるー?」
電話の向こうの騒がしさに負けじと声を張るので、耳がびりびりとする。
「うん。あんまり樋口さんに無理させるなよ。飲めない人に飲ませたら身体壊すぞ」
「違うのよ。私が飲ませてんじゃなくて彼が勝手に飲んでんの。で、私が付き合ってくれないって愚痴ってくんのよ。私によ?意味わかんないでしょ。滝本君は良い人だーとか、僕には勝てない―とか。そりゃ勝てないわよねぇ。こんなんじゃねぇ。あ!どこ行くの?!危ないって!ごめん、切るわ!何かあったらすぐ教えてよ、じゃあね」
一方的に切られた電話と、スマホを持ったまま状況が読めない僕を愛さんが不思議そうに見上げている。
「なんだかよくわからないけど、仲良くやってるみたいですよ」
喉の辺りを触ると、愛さんは耳を後ろに倒して笑ったような表情を浮かべる。
窓から見える国道には、オレンジ色の明りがぽつぽつと灯る。
がたん、がたん、とダンプカーが大きな音を響かせていた。




