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それからも、僕は愛さんの店に休みの度に顔を出した。
珈琲を飲み、ケーキや美味しい料理を食べる。
小鳥遊に薦められていたクロックムッシュという、ハムとチーズを挟んだ食パンの上に、ホワイトソースと、とろりとしたチーズがたっぷりのったものも堪らなく美味しかった。
あれから小鳥遊はまた頻繁にブサ犬・ブサ猫写真を送り付けてくるようになったし、くだらないメッセージのやりとりも再開している。
家族をもつ職員に代わって、僕の年末年始のシフトは激務になった。
やっと通常のシフトに戻って気が抜けた僕は盛大に風邪をひき、一週間寝込む羽目になった。
ようやくシャバの空気が吸えたような気分で外に出られたのが2月の上旬。
昼間でもまだまだ寒いので、シャツにシャツを重ねて裏起毛のトレーナーにダウンコート、厚手のマフラー、手袋に帽子を被って雪だるま状態で喫茶店のドアを開いた。
「いらっしゃいませ」
「よう」
髪をお団子に纏めた愛さんの向かいで、巳影さんが軽く手を上げて会釈した。
最初の不愛想な彼からは想像もつかない変化だ。
この変化は嬉しいものの、やっぱりなかなか慣れそうにない。
僕が体調を崩していることを小鳥遊から聞いたらしく、なんと家にまで見舞いに来た。
と言っても、何か持って来てくれたわけじゃないし、優しい言葉をかけて貰ったわけでもないが、散らかり放題だった部屋を片付けてくれた。
「巳影さん、先日はありがとうございました」
「あの金魚、お前にすげぇ懐いてんな。人間以外の生き物に好かれる才能あるんじゃね」
そういえば、巳影さんは時々水槽を覗き込んでは何やらぶつぶつと話しかけていた。
「あら、滝本さんは人間からだって好かれていますよ。ねぇ」
愛さんがミルクティーを飲んでいた小鳥遊と樋口さんに声を掛ける。
「んぇっ?!あ、あぁ、そうだねぇ。うんうん、滝本君は良い人だから」
「そうですね。小鳥遊さんのお墨付きですし」
「余計な事言わないでよね」
クロックマダムにナイフを入れながら睨みつけられた樋口さんは「あはは、すみません」と悪びれる様子も無く笑う。
二人の言葉に、愛さんが満足気に「ほらね」と巳影さんに視線を送る。
小鳥遊は言うだけ言って、あとは口いっぱいにクロックマダムを頬張っていた。
クロックムッシュに卵が乗ったクロックマダムは、黄身が皿の上にも溢れてとろりと広がっていて、見ているだけでお腹が鳴る。
僕がいつも座っている場所は小鳥遊が食事中だったので、樋口さんの隣の席に座る事にした。
窓ガラスの向こうの海は灰色で、冷たい風に吹かれた白波が浜に次々と押し寄せる。
店の中央付近に置かれた、昔の小学校にありそうなレトロな石油ストーブが、店内を優しい温もりで包み込んでいた。
樋口さんの手元には、さっきまで読んでいたらしいオリエント急行の殺人がふせてある。
「いやぁ、ここに来てからミステリーにはまっちゃいました。現実を忘れて本の世界にどっぷり浸かる事なんて今まで無かったから、新鮮で楽しいですよ」
樋口さんはここで読んで気に入った本を手元にも置いておきたいと、アガサ・クリスティーの他の本も集めているらしい。
「本棚も買いましてね。でもきっとすぐいっぱいになるから、また大きいのを買い足すことになりそうですよ。それくらいには本の虫状態になってます」
「あんまり現実のこと、忘れられても困るんだけどねぇ」
和やかな空気を小鳥遊が破る。
空になった皿を下げに来た愛さんをちらりと見上げ、僕にも視線を投げかける。
「本当さぁ。ここのこと、どうにかなんないの?」
隣の樋口さんの右腕を肘で小突く。
樋口さんは困ったように「僕なんかにはどうすることもできませんよ」と、眉をハの字にしてうなじを掻いた。
「良いんですよ、小鳥遊さん」
取り壊しの事をしらない巳影さんが「なんの話だ?」と怪訝そうに尋ねる。
「あ。ご、ごめんなさい」
漸く気付いた小鳥遊が慌てて口を押えて、気まずそうにシナモンミルクティーを飲んで誤魔化す。
「裕二、なんだよここの事って。こいつら何の話してんだ?」
「いや、えっと……」
口ごもる僕を見た愛さんが、洗おうとしていた皿を流しの中に置いて咳ばらいをした。
「巳影さん。このお店、もうすぐ取り壊されるの」
「は?おい、なんだよそれ、取り壊されるって――」
「もう古いし、潮風であちこち錆びてるしね。仕方ないのよきっと。樋口さんは何も悪くないの。彼の手の届かない所で決まった事だから、怒っちゃ駄目よ」
愛さんが言い終わる前に、初めて巳影さんが激しい物音を立てた。
椅子が床とぶつかる音が店に響き渡る。
「どいつもこいつも……」
「どのみち私はもう――」
「んな事わかってるってーの。今年の春にこの店を閉める事だってわかってる。でも、自分で終わるのと、勝手に他人に壊されて終わるのとでは違うだろ。人間はいつだって勝手だ。無責任で、勝手で……」
巳影さんが僕を睨む。
彼は「帰る」と言うと、愛さんに挨拶もしないまま店を出て行った。




