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「あぁ、滝本君ありがとね。それ二号室のベッドに置いといて。あと私やっとくから、あがってくれていいよ」
「わかりました」
先月まではこの時間はまだ明るかったのに、10月にもなると陽が落ちるのが随分と早くなった気がする。
リーダーに頼まれてリネン庫から持って来た新しいシーツ類を抱えて、二号室の扉を開けた。
がらんとした殺風景な部屋。どこかひんやりとしていてうら寂しい。
それは空気の入れ替えの為に窓を開けていたからではない。
住人を失った部屋そのものが、僕の心にぽっかりと空いた穴に重なって、余計にそう感じさせるのだろう。
チヨさんが亡くなって1週間が過ぎた。
搬送中に意識を失ったチヨさんは、別れの挨拶も、お礼も言えないまま天国に旅立った。
この一週間の時間の流れは、自分でも驚くくらいあっという間だったように感じる。
忙しい仕事なのもあって、普段から毎日が飛ぶように過ぎていく。
それでも、チヨさんという自分の中で存在の大きかった人が亡くなった事は、想像していた以上にダメージが大きかったらしい。
介護の現場は、普通以上に人の死と接する。ひとりの死に心を病んでいては仕事にならないし、他の利用者さんにも失礼な気がして、周りに悟られないように、とにかくいつも以上に仕事をこなしていた。
そうして目の前の事に必死に打ち込むも、チヨさんが僕を呼ぶ声がしないこと。フロアで食事風景を見渡しては、嬉しそうにしていた彼女の姿が無いこと。
入浴介助の際にも、最後までチヨさんの姿が無いことなど、ふとした瞬間に死という現実が突き付けられて、胸を鷲掴みにされる感覚になる。
窓の向こうで、樹々の黒いシルエットがざわざわと揺らぐ。
枝葉の隙間から見える空には、一番星がひとつ輝いていた。
シーツをベッドに置き、窓辺に立つ。
そういえばあれから黒猫の姿は見ない。どうしているのだろう。
チヨさんが搬送される時、危うく救急車にぶつかりそうになった黒猫。
休み時間の度に外に散歩に出て見たり、窓の傍に立つたびにふと探してみたりするが、野良猫一匹見ていない。
チヨさんが旦那さんの写真を置いていた箪笥をさらりと撫でる。
壁に掛けていた千羽鶴は、チヨさんの棺に一緒に入れられたらしい。
明日からは新しい入居者がここに来ることになっている。
悲しんでいても時間は過ぎる。
亡くなる人を静かに見送り、また新しい人と出会う。
僕の仕事は、そういうものだ。
そういうものなのだ。
「帰るか」
ぽつりと呟いた僕の声。部屋を出て、そっと扉を閉めた。
♢ ♢ ♢
「ただいまー」
水槽に取り付けたエアーポンプがブーンという音を立てている。
その中で、僕の同居人である金魚がひれをはためかせて「よう、おかえり」と口をぱくつかせる。
おかえりじゃないな。あれは「よう。腹減ったぞ」と言っている気がする。
口元にふっと笑みを浮かべる。
ここ数日、また荒れ始めた部屋を前にため息が漏れた。
廊下に部屋にと、散乱する服をかき集めて洗濯籠に突っ込む。
机に置きっぱなしのコップを流しに入れて、僕の動きにいちいち付いて回るように右往左往する金魚に餌をやった。
餌の袋に手を伸ばそうとしただけで「待ってました!」とばかりに、水面に上がって来る。
口をあーんを開ける金魚の周りにぱらぱらと撒くと、ひとつひとつ取り逃さないよう凄いスピードで泳いで追いかける。
追い付かずに砂利に落ちた餌を探すように、口先で突っつく金魚。
「いつ見ても、お前は変わらないな。平和で羨ましいよ」
僕のボヤキなんてわからない金魚が「もういっちょくれ」と、水面に上がって来た。
最後に少しだけ撒いて餌袋を置く。
今度は一粒も逃さずに食べきった金魚が、満足気に水槽の中をのんびりと泳いでいた。




