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「チヨさん、おはようございます。滝本です」
部屋に入り、ミモザの刺繍のキーホルダーを翳して見せた。
「あらぁ、お兄ちゃんおはよう」
午前六時半。いつもなら彼女はベッドの中で横になってテレビを見ている時間だが、今朝はテーブルに向かって鶴を折っていた。
その傍らには僕が描いた作り方の紙を置いてある。
鶴は机から溢れ、床に置いた段ボール箱にもたっぷりと詰め込まれている。
「凄いですね、これ。あと何羽くらいで完成ですか?」
「千羽鶴だからね。これだけじゃ、ぜーんぜん駄目。一人では大変よねぇ」
「じゃあ僕も手伝いますよ。仕事もあるので家で作ってきます。だから、チヨさんは少し休みませんか?」
「悪いわぁ……でもそうねぇ、このままじゃ埒が明かないわよねぇ。じゃあ、半分お願いしようかしら」
その時、ふと箪笥の上に目が留まる。
そこにあったはずの旦那さんの写真が、見えないように伏せられている。
いつもなら自分が飲むより先に旦那さんのためにお茶を淹れて、手を合わせていた場所だ。
「旦那さんの写真、倒れちゃってますよ」
するとチヨさんは照れたように頬に手を当てて笑う。
「よその人も出入りする場所でお父さんの写真飾るなんて恥ずかしくてねぇ。わざとああしてるのよ。それに、写真なんて飾ってたら死んだみたいだろって怒られちゃいそうでね」
やっぱり……と心の中で独り言ちる。
そのあとも、チヨさんはふとした瞬間に「今日はお父さん何時ごろに帰るのかしら」「ノリオのお見舞いにも行かなきゃいけないのに」とそわそわと窓の向こうを覗き込む。
ノリオ君は、生後五か月で亡くなったチヨさんの息子さんだ。
やはり彼女の中では、息子さんは生きているのだろう。
「あ、お兄ちゃん見てごらん。猫がいるわ」
チヨさんが指した場所に、黒猫がいた。
施設の門の前にテトテトと小走りでやって来て、じっとこちらを見上げている。
「あらぁ可愛らしいわねぇ。あ、頭搔いてるわ。おーい、猫ちゃん。滝本さんは猫好き?」
「そうですね。黒い猫が特に好きです。月との組み合わせが綺麗だなって――」
そういえば、ミモザの樹の下で会ったあの猫と同じだ。
くりくりの目。いや、猫は大抵くりくりの目をしているのかもしれないが、それでも雰囲気が似ているような気がする。
ここはあの店からかなり距離がある。電車に乗ってやっとの場所だ。
いくらなんでも思い過ごしだろうと思った時、黒猫がこちらを見上げてひとつ鳴いた。
みゃあ
声は聞こえないが、大きな口を開けて鳴いていた。
「おーい、ふふふっ。可愛い。そうだ、黒猫ちゃんが好きなら、また刺繍してあげる。黒猫はそう難しくないから。お月様と一緒に刺繍して、額装にしてプレゼントするわ」
「いえいえ、そんな。僕はミモザの刺繍を貰ったので充分です」
遠慮する僕に、チヨさんは鶴の折り方を描いた紙を手に取って顔の横に掲げる。
「ううん、これのお礼。私が作らなきゃ気が済まないの。ね、お願い」
「わかりました。でも無理だけはしないでください。鶴のほうは僕が作っておきますから」
窓の向こうに視線を戻すと、黒猫はもう居なくなっていた。




