立っていたのは?
仕事を終えて更衣室でシャツを脱いでいると、ポケットの中でスマホが震えた。
画面を見ると、友人の名前がぽつんと浮かんでいる。
「珍しいな」と思いながら、汗の残る首筋をタオルで拭き、手早く着替えて会社を出た。
外に出ると、夕方前の空はまだ明るく、透き通るような青の奥で、入道雲がゆっくりと立ち上がっていた。
白い塔みたいに空へ伸びていて、見ているだけで胸の奥が少しだけ熱くなる。
「夕立来るな…」
そう思いながらオープンイヤーのイヤホンを耳にかけ、流れてきた曲と蝉の声が混ざるまま、駅へ向かう。
歩きながらメッセージを開く。
「久しぶり〜、今時間ない?ちょっと聞いて欲しい話あるんだけど?」
久しぶりの名前に、久しぶりのテンション。
なんやろと思いながら
「今帰ってるから、帰ってからで良ければ聞けるけど?」
と返すと、すぐに
「なら、帰ったら教えて〜」
と軽い返事が返ってきた。
電車に揺られながら窓の外を見ると、さっきの入道雲の影が、町の上にゆっくり伸びていくのが見えた。
最寄りに着いた頃には、空気がひんやりして、一滴、二滴と雨が落ちてきた。
「やっぱりな」
そう呟いた瞬間、ざあっと音が変わり、夕立が本気を出した。雨に打たれながら家まで走り、濡れた髪をタオルで拭きつつ部屋着に着替える。
冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出し、氷の入ったグラスに注ぐと、カラン、と澄んだ音が部屋に響いた。
「今からなら通話できるでー」
と送ると、すぐにコール音が鳴った。
「もしもし」
「やっほー、久しぶり。急にごめんね」
明るい声が耳に届いて、雨の音と混ざって、なんとなく懐かしい気持ちになる。
「久しぶりやん、大丈夫やで。それでどうしたん?」
「いや、ちょっと不思議なことあってさ。あんたなら分かるかなって」
「いやいや、ウィキペディアちゃうで」
「怪奇譚集めてるやん、あんた」
「まぁ、確かに」
「でしょ」
「まぁね」
「それで本題なんやけどさ、話していい?」
「ええで」
「実はこないだ引っ越したって話したっけ?」
「してたで」
「そこでさ、この前の休み、暑すぎて出かける気にならんくて部屋でゴロゴロしてたんやけど」
「そうなん?」
「この時期外へ出るなんて私にはむり!!」
「そういや、暑いのアカンかったな」
「そうよ」
「でね、夜までクーラーの効いた部屋でうちの子と遊んでたらね、外の廊下から足音みたいなん聞こえてさ」
「足音?」
「うん、コツコツって感じの。普段なら全然気にならないのに、その時は妙に気になってさ」
「まぁ、アパートならよくあるんじゃないん?」
「そうなんだけど、とりあえず静かに扉の前に行って、覗くやつで外見たの」
「うん」
「そしたら、真っ赤になってて何も見えなかったのよね」
「真っ赤? ドアスコープ覗いたら外が真っ赤やったってことやんな?」
「そうよ〜」
「なんか怖くなってその日はそのまま寝たんだけどさ、次の日覗いて見ても普通に見えるの。なんかそんな話聞いたことない?」
「えらいピンポイントな話やけど…聞いたことないなぁ…」
「そうなん?なんか知ってると思ったんやけど…」
「まぁ、また、時間ある時でも調べとくよ」
「ありがとう。またご飯でも行こー」
「おぅ、また行こやー」
そう言って通話を終えた。テーブルに置いたメモを読み返しながら冷たい麦茶をひと口飲む。
氷がカランと鳴って、夕立の湿気が少しだけ和らいだ気がした。そのときだった。
外の廊下から、
カツ…カツ…
と、乾いた音がした。
そう思って耳を澄ますと、音はすぐに止んだ。




