湖畔の落し物
仕事場の昼休憩、食堂のざわめきの中で弁当をつつきながら、スマホの画面を指で滑らせていた。
久しぶりにキャンプへ行きたいと思い立ち、湖畔のサイトをいくつか見比べる。
暑い時期やし、コテージが空いてたら最高なんやけど……と期待しつつ予約状況を確認すると、案の定コテージは埋まっていた。
けれど、フリーサイトはまだ空きがある。
「おっ、いけるやん」
思わず小さく声が漏れ、ニヤリと笑ってしまう。
その瞬間、向かいに座っていた先輩が怪訝そうに眉をひそめた。
「お前、ニヤニヤして気持ち悪いぞ。大丈夫か?」
「大丈夫ですって」
そう返しながらも、胸の奥はすでにキャンプ気分でいっぱいだった。
昼からの仕事は鼻歌まじりで進み、定時のチャイムが鳴ると同時に足早に会社を出る。
家に着くなり、玄関に置いてあるコンテナを引っ張り出し、必要な道具をひとつずつ車へ積み込んでいく。
エアーベッドを入れたところで、ようやく準備が整った。
「よし」
満足げに頷き、シャワーを浴びて布団に潜り込む。
ピピピッ、と枕元のアラームが鳴って目が覚めた。
外はまだ薄暗く、窓の向こうに朝の気配がうっすらと漂っている。
軽く伸びをしてからキッチンに向かい、淹れたてのコーヒーを水筒に注ぐ。
その香りだけで、今日がちょっと特別な一日になる気がした。
玄関で靴を履き、荷物を確認して車に乗り込む。
エンジンをかけてエアコンを入れると、ひんやりした空気がゆっくりと車内に広がっていく。
長距離になるし、今日はお気に入りのプレイリストを流しながら行こう。
軽くアクセルを踏むと、まだ静かな街を抜けて車はスムーズに走り出した。
高速に乗ると、景色が滑るように後ろへ流れていく。
渋滞もなく、思っていたよりずっと快適だ。
やがてキャンプ場に到着し、受付を済ませて湖のほとりのサイトへ車を停めた。
湖面が朝の光を受けてきらきらと揺れている。
その景色だけで、来てよかったと思える。
テーブルと焚き火台を出し、火を起こす。
パチパチと薪が弾ける音が心地よい。
肉と野菜を網に並べると、じゅうっと音を立てて焼けていき、香ばしい匂いが周囲にふわりと広がった。
焼きたてを頬張りながら、ひとりで「うまっ」と声が漏れる。
食べ終わったら軽く片付けをして、カメラを取り出す。
湖の向こう側で夕日が空を染め始めていて、その色が水面にゆっくりと溶けていく。
夜は焚き火の前で椅子に腰掛け、揺れる炎を眺めながらのんびりとした時間を過ごした。
薪が崩れるたびに小さな火の粉が舞い上がり、静かな湖畔に、心地よい夜の風が通り抜けていく。
翌朝、思ったより早く目が覚めた。
テントの外はまだ柔らかい光で、湖の向こう側がうっすら白んでいる。
せっかくやし、と寝袋から抜け出して湖畔を散歩することにした。
朝の空気はひんやりしていて、昨日の暑さが嘘みたいだ。
湖面を渡ってくる風が気持ちよくて、深呼吸すると胸の奥まで澄んでいくような気がした。
ふと、波打ち際に赤いものが見えた。
近づいてみると、綺麗な漆塗りの簪が一本、砂の上に落ちている。
「あれ? 落し物か?」
しゃがんで拾おうと手を伸ばした、その瞬間。
「兄さん、それは拾わない方がいいぞ」
背後から声がして、思わず動きが止まった。
振り返ると、年配の男性がニコニコと穏やかな顔だが目だけは真剣にこちらを見ている。
「それは、置いておきなさい」
柔らかい口調やのに、不思議と逆らう気にならなかった。
「わかりました」
と返して、その場を離れる。
(持ち主の人が探しに来るんかな)
そんなことを思いながら、自分のサイトへ戻った。
朝食を軽く済ませて片付けをし、受付に挨拶して帰る準備をする。
さっきの簪のことを思い出して受付の人に伝えると、
「あぁ……ありがとうございます……」
と、どこか言葉を選ぶような返事が返ってきた。
車に乗り込み、湖畔を離れて山道を下っていく。
さっきの出来事を思い返していると、湖畔に目が向いた。
波打ち際に、赤いものが小さく揺れているように見えた。




