歩いたのは?
仕事帰りの駅前は、いつものように人の流れが速かった。
バス停へ向かって歩いていると、背中を軽く叩かれる。
振り向くと、友人が立っていた。
「よぅ、久しぶり」
「おぅ、久しぶり」
雑踏の中で顔を合わせるのが、なんだか少しおもしろい。
「ちょうどええとこで会ったわ。お前、今から時間ある?」
「ん? あるけど、どうした?」
「ちょっと聞いてほしい話があってな」
「聞いてほしい話?」
「おぅ。まぁ、いつもの居酒屋で話聞いてくれ」
「まぁ、ええけど」
そんなやり取りをしながら、二人で駅前の通りを抜けていく。
暖簾をくぐると、平日の夜にしては賑わっていた。
焼き場の香ばしい匂いと、酒の匂いがふわっと混ざって漂ってくる。
席に通され、向かい合って腰を下ろす。
彼はビール、俺は烏龍茶を頼んだ。
お通しが届き、何品か注文して、軽くグラスを合わせる。
ぐびりと飲んで、ジョッキとグラスを置く。
俺は彼の顔を見ながら聞いた。
「で? 話って?」
「うん。実はな、こないだ彼女と温泉旅行に行ったんやけどな」
「ほぅ、ええな」
「おぅ。山間の静かな温泉街で良かったぞ」
「へぇ、また場所教えてくれ」
「おぅ。それでな、宿は少し古い感じのとこやってんけどな、綺麗で良かったよ」
「ええやんか」
「古い旅館やからか、部屋の上の方に豪華な彫り物もしててな。お前好みやと思うわ……」
そう言って、彼は少し目線を下げた。
「で? 楽しかったんじゃないん?」
彼は少し笑って、うなずいた。
「楽しかったで。飯も豪華で美味かってよ。二人で夜の温泉街で射的もやってさ」
「射的か、ええな」
「おぅ。でもな……」
そこで、彼はふっと目線を落とした。
その仕草に、ほんの少しだけ“話の重さ”が混ざる。
「部屋に帰ってきて、ふと彫り物の方から視線みたいなん感じてな。ついそっち側見てもてん」
「それで?」
「なんか目みたいなんが覗いてて、それと目が合った気がしてん。でも瞬きしたら何も無くてな」
「まぁ、古い旅館ってことで気にしすぎちゃうか?」
「俺もその時はそう思ってたよ。」
彼はジョッキを少しだけ遠ざけて、声を落とした。
「寝よかって電気消して、布団入って、ちょっとしたらよ。枕元を ぺちゃ…ぺちゃ… って聞こえてきてさ」
「濡れた感じなん? 普通ぺたぺたとかじゃなくて?」
「おぅ。なんやろ……靴下に限界まで水吸わせて歩く感じや」
「それは嫌やな……」
「おぅ。でもな、俺も彼女も寝たフリしたまま、気付いたらいつの間にか寝落ちててよ」
「よう寝れたな」
「まぁな……でもな、朝起きたら、布団の枕元に濡れたような足跡がめっちゃ付いててよ……」
慌てて受付に内線で連絡したら、若い人が電話に出たらしい。
事情を説明すると「お部屋にお伺いします」と言われて、しばらくして来たのは、若い人ではなく女将さんと年配の中居さんだったという。
「まぁ、古い旅館なら、畳やろし、濡れてたら一大事やからな」
そう言うと、友人はうなずいた。
「せやねんな。でもな、部屋に来て、部屋の状態見てな。中居さんがボソッと女将さんに何か言うたら、女将さんがこう言うてん
『お部屋については問題ありませんので、朝食にお向かいください』
……ってよ」
「怒られると思ったけど大丈夫ってなって、良かったねって飯食いながら話してたんやけどな。部屋帰ったら、掃除してくれたんか足跡もなかったんよな」
そこで友人は、俺の顔をじっと見た。
「お前、どう思うよ?」
「うーん……わからん……」
「まぁ、そうよな……悪いな。いや、こんな話まともに聞いてくれるのお前くらいやからな。話したらスッキリしたわ」
「ならええけどな……」
そこからは普通に飯を食って、店を出て、そのまま別れた。
「オモロい話ではあるけど、なんやったんやろ? 後は、中居さんは何を知ってたんやろか?」
そう思いながら、バス停に向かって歩き始めた時だった。
ぺちゃ…
後ろから、そんな音が聞こえた気がした。




