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夏の香りに誘われて

休日の夕方、クーラーの冷気に包まれながらアイスコーヒーを片手に、最近お気に入りのボイストレーナーの動画を流していた。

透き通る高音が部屋に広がり、その声に合わせてレジンを型に流し込む手も自然と軽くなる。

ふと、パシ、パシ、と出窓に水滴が当たる音がして、

顔を上げると外では夕立が降り始めていた。

「これで少しは涼しくなるかな」

そんな独り言をこぼしながら、汗をまとったグラスを持ち上げてコーヒーをひと口。

動画を止め、クーラーも一度切って、ベランダ側の窓を開ける。

むわっとした湿気と、雨の匂いが一気に流れ込んできて、部屋の空気がゆっくりと夏の夕方に切り替わる。

立ち上がって軽く腰を伸ばしながら空を見上げると、少し離れたところに青空がのぞいていた。

どうやら通り雨らしい。

「これなら夜の散歩、行けそうやな」

そう思いながら、肩や首をゆっくり回して体をほぐしていく。

外の雨音と、部屋に残るコーヒーの香りが混ざり合って、なんとも言えない、静かな夕方の時間が流れていた。

晩ご飯は、茹でたそばをざるにあげて、濃いめに希釈した麺つゆに氷を落としただけの、シンプルなざるそばにした。

カラカラと氷が当たる音が心地よくて、ズルズルと啜りながら二人前をあっという間に平らげる。

満腹になったお腹を軽くさすり、流しに水を張って片付けの準備だけしておく。

そのままウォーキング用の加圧シャツに着替え、スマホと少しの小銭、そしてオープンイヤーのイヤホンを装着して、アップテンポの曲を流しながら家を出た。

外はまだ湿気が残っているけれど、夕立のおかげで昼間よりは少しだけ涼しい。

住宅街を抜けて坂道を下っていると、ふいに甘い香りが鼻をかすめた。

「いい香りだな」

思わず独り言が漏れる。

そのまま足を止めず、いつもの散歩コースへ。

歩いているうちに汗がじんわり滲んできて、タオルで顔を拭きながら折り返し地点に到着。

今日は同じ道で帰ろうと決めて、コンビニで飲み物を補充して再び歩き出す。

帰り道、さっき甘い香りが漂っていた家の前を通りかかったときだった。

白いワンピースを着た、髪の長い女性が静かに立っていて、こちらを見てふわりと微笑んだ。

思わず軽く会釈を返して通り過ぎようとすると、

「いつも通られますよね?」

と声をかけられた。

「えっ、はい」

反射的に返事をすると、

「良かったら、うちのお庭見ていきませんか?」

と続けられる。

突然の誘いに戸惑っていると、そっと手を握られ、


「ぜひ」


と軽く引かれた。

そこまで言われるならと、キィと軋む家の門をくぐる。

縁側に腰を下ろすと、目の前には見事なヤマユリが咲き、その奥には咲き終わりのホタルブクロが静かに揺れていた。

「いいお庭ですね」

当たり障りのない言葉を口にしながら少し話す。

庭には先程から香っている甘い香りが満ちていた。

女性は終始にこにこと微笑み、時おり俺の手を優しく撫でていた。

帰り際、

「また来てくださいね」

と少し寂しそうに微笑んで見送ってくれた。

家に向かう途中、ふと振り返る。

さっきまでいた家は、明かりもついておらず、雨戸が閉まったままだった。


ふふっ


風に乗って、あの甘い香りと笑い声がかすかに漂う。

思わず身震いし、暗い道を駆け足で家へ戻った。

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