夜の物音4
「そういえば、同棲始める前はどうやったん?」
不躾かなと思いつつも、気になっていたことをそのまま聞いてみた。
彼女は一瞬だけ視線を泳がせ、思い返すように小さく息を吸ってからこちらを見た。
「同棲する前は……聞こえてないですね」
その答えに、俺は自然と彼の方へ視線を向けた。
「なんか心当たりは?」
「いや、ないなぁ……」
彼は腕を組んで天井を見上げるようにしながら言った。
「彼女だけが聞こえる音ってのがなぁ……」
俺はふと思い出して、軽く顎に手を当てながら言った。
「そういや、付き合ってすぐ同棲始めたんか? 梅雨前は彼女おらん言うてたよな」
「あぁ、そうやな。お前と飲みに行ったすぐ後くらいやな。付き合い始めて、すぐに同棲したな」
「そうなんや」
「おぅ。早い方がええかなって思ってな」
彼は照れたように笑う。
「どうや? なんか分かりそうか?」
「いや、わからんわ。実際に聞いてないし、彼女だけってなるなら尚更やな」
「そうですか……」
彼女はその言葉に、またそっと視線を落とした。
彼はそんな彼女を横目で見て、眉尻を少し下げながら俺に言った。
「お前でも無理か……」
「そうや、お前今日遅くまでおれるなら二十三時過ぎまでおってや。もしかしたら、お前なら聞こえるかもしれんやろ?」
彼はそう提案してきた。
「まぁ……彼女さんがええなら?」
そう言うと、彼女はこちらを見て、少し驚いたように目を瞬かせた。
「……いいんですか?」
「まぁ、こいつは言い始めたら聞かんし。
どうせ送る気もないやろ?」
そう言って彼を見ると胸を張って、
「もちろん」
と頷いた。
「はぁ……」
ため息をひとつ吐いてから、背中を伸ばすように軽く伸びをした。
そこからは、さっきまでの沈んだ空気を振り払うように、晩御飯どうするかの話に切り替わった。
結局、三人で簡単に作って食べ、 馴れ初めやら惚気やらを聞かされて、気づけば笑い声も増えていた。
けれど、二十三時が近づくにつれて、三人の間に、言葉を選ぶような静けさが落ちていった。
時計の秒針がやけに大きく聞こえる。
コン、ココン
ベランダの窓を軽く叩くような音がした。
俺と彼女は、同時にそちらへ顔を向けた。
けれど、彼だけが、ぽかんとした顔で首を傾げていた。
「……なんか鳴ったんか?」
俺と彼女が視線を交わすと、彼女は小さく肩をすくめて、「ほら……」と言いたげに息を吐いた。
そのあと、三人でしばらく耳を澄ませていたが、それ以上音はしなかった。
結局その日は、「まぁ、また様子見よか」という曖昧な結論のまま解散になった。
外に出ると、夜の空気は昼間の熱気をまだ少しだけ残していて、アスファルトがじんわりと温い。
俺は彼の車に乗り込み、シートに背中を預けた。
エンジンがかかると、車内の静けさが戻ってくる。
しばらく走ってから、俺はふと思い出したように言った。
「……お前、元カノから貰ったもんだけ処分しとけよ」
彼はハンドルを握ったまま、
「おぅ……まぁ、そうやな」
と曖昧に返した。
そのまま俺の家の前に着き、軽く手を挙げて別れた。
玄関の鍵を開けて部屋に戻っても、“コンコン”という音だけが頭のどこかに残っていた。




