マンションで1
親と昔の話をしていたら、ふと、前のマンションに住んでいた頃のことを思い出した。
今の実家じゃなくて、オートロックの、どこにでもあるようなマンション。
エントランスのタイルの匂いとか、夜になると廊下に少しだけ響く足音とか、そういう細かいところまで思い出せるくらいには、あの頃の生活は身体に染みついている。
社会人になりたてで、三交代勤務に身体が慣れなくて、昼夜がひっくり返ったままフラフラしていた時期だ。
会社の近くにアパートを借りて、とりあえず寝て起きて働くだけの生活をしていた。
ある日のこと。
仕事に行く前に米櫃を開けたら、底が見えていた。
「あ、終わった」
声に出して言ったのを覚えている。
財布を開けると、小銭が数枚。
千円札すらない。
給料日まで数日。
主食なしで乗り切るのはさすがに無理だった。
仕方なく、実家に電話をかけた。
「もしもし、俺やけど……米、少し分けてくれへん」
受話器の向こうで、父親が少し笑ったような気配がした。
「どうした。給料日前で苦しいんか。無計画に使ったんやろ」
「……まあ、そう」
「バカタレ。計画的に使え言うてるやろ。今日来れるんか」
「行ける」
「ほな用意しとく。米だけでええんか。肉とかは」
「冷蔵庫には……一応ある」
気まずく答えると、受話器越しに母親へ向けて
「ちょっと多めに買っといてやれ」
と声をかける父の声が聞こえた。
「無理せんと仕事してこい」
そう言って電話は切れた。
その日、気鬱なまま仕事を終え、定時で上がる。
ロッカーで作業着を脱いだ瞬間、身体の奥に溜まっていた疲れが一気に出てきた。
急いで車に乗り込み、エンジンをかける。
背中側のエンジンが低く唸り、車内に振動がじわっと広がる。
あの独特の、腹の底に響く音。
若い頃はそれが妙に心地よかった。ギアをバックに入れて駐車スペースから出し、1速に入れる。
ラジオが勝手に流れ始めて、当時流行っていた曲が車内に満ちた。
仕事終わりの疲れと、実家に帰る気恥ずかしさと、でも米をもらえる安心感と、いろんな感情が混ざって、胸の奥がじんわり重かった。




