喫茶店で5
「それで?そんなことなら俺に話したいとは思わんやろ?」
そう言うと、彼は口の端だけで笑った。
「相変わらず感がええな」
軽く褒めるように言いながら、そのまま話を続ける。
「その日の夜からな、夜中に家の中を誰かが歩く音が酷いねん」
さらっと言うが、声の奥に疲れが混じっていた。
「へぇ、偶然とは思えんな」
そう返すと、彼は椅子の背にもたれかかりながら言った。
「そうそう。こういうのはお前の領分やろ?
こういう話、集めてるし」
背もたれに体を預けるその姿勢が、“もう逃がさんぞ”みたいな気安さを含んでいる。
「はぁ……まぁ、怪奇譚は好きやけどさ。
解決屋ではないんよな。そこ忘れてないか?」
そう言うと、彼は手をひらひらさせて笑った。
「大丈夫や。話聞いてもらうだけでもちゃうやろ?」
言い方が、“お前に話すのが筋やろ” とでも言いたげで、昔から変わらない。
「まぁな。
でも、その本買った日からやろ?
さすがにその本やろ?」
そう言うと、彼は少しだけ真顔になった。
冗談を挟む余裕はあるのに、その一点だけは否定しなかった。
「……やっぱ、そう思うか」
声は低く、けれどどこか“確かめに来た”ような響きがあった。
「はぁ」と大きくため息を吐いた。
仕方ない、一度見に行く方がいいだろう。
彼もそれで、ある程度“話した甲斐”を感じるだろうし。
「仕方ねぇからお前ん家行くぞ」
そう言うと、彼は少し嬉しそうに目を細めた。
「おぅ。お前ならそう言ってくれる気がしてた」
その言い方が、“やっぱりな”とでも言いたげで、昔から変わらない。
会計だけ済ませ、彼の家へ向かう。
車をコインパーキングに止め、迎えに来てもらって一緒に部屋へ入った。
リビングのテーブルで待っていると、奥の部屋から例の本を持ってきた。
古い紙の匂いが、少しだけ空気を変える。
俺は気をつけながらページをめくった。
特に変わったページはない。
曰くがあるようには見えないが、ところどころ擦り切れた跡がある。
黄ばんだページ、日焼けの跡。
ただそれだけだ。
何か“ある”ようには見えなかった。
ふと聞いてみる。
「これに書いてある料理、したか?」
「いや、してないな」
即答だった。
「これ、そんなに珍しい料理書いてないよな」
「そうやな。家庭料理って感じや」
彼は肩をすくめる。
本当にただの料理本にしか見えない。
ページをめくる指先に、紙のざらつきが残る。
その“普通さ”が逆に気になった。
料理本としては普通。
曰くもなさそう。
でも、彼の家では“歩く音”がする。
そのギャップが、静かな部屋の中でじわりと浮かび上がる。




