27 暗雲
「とっ」
戻ってきた自室。自分自信ではそんな気はなかったが知らずに込められてしまった力に扉は大きく開き勢いよく壁へとぶつかる乾いた音が室内に響く。
目に入って来る調度品は元々が空家という事もあって殆どない。唯一とも言えるベッドはその名ばかりのただの木の枠であるし、主に寝る為に使うのはその上で広げられた薄い寝袋。横に立て掛けられたクロスボウは光量の低い部屋の中でも存在感を強く示し、その向こう側で整然と並べ置かれた冒険者装備の姿が見える。
「……」
ゴクリと飲み込んだ自分の唾の音が静かな部屋の中でやけに大きく感じられた。
――『手長』が現れた。
唐突なその報せを聞いたのは昼を回る少し前。村を出歩こうとした所、村の森側へと続く出口で小さな人だかりが出来ていて、その中心で男が一人うずくまっていた。遠目に見ても決して健康的とは言えない青い顔。不審に思って近付いてみれば叫び声に近く男が漏らす声が聞こえてくる。
「手長だっ、奴が出た間違いない! 伐採場の近く、森の中をのっそり歩いて、こっちを……こっちを見やがったっ」
「……っ!」
聞き覚えのある単語に足は止まる。
男は口から先、舌まで押し出しながら声を上げ、途切れ途切れ息継ぎを合わせて漏れる言葉に人だかりにざわめきが走る。虚ろに巡る男の視線はやがて一点に集中すると固定され、向けられた男の視線を追って周りの人達も順次振り向く……何か目立つ物があった訳じゃない、視線を集めたその先にあるのは今来たばかりの自分だけだった。
「アンタッ、冒険者さんの」
うずくまった状態から男は立ち上がりフラつき気味に進み手を伸ばしてくる。合わせて左右から殺到する強い視線に、男の言葉によるざわめきとは違う、何か期待感のようなものが感じられ進み出てくる男を見守っている。
「出た! 出たんだよ本当に!」
男の伸ばす指先が自分に届いた。その目は下から覗き、縋り付く様に見上げ。震える唇が意味ある言葉を吐き出そうとする。
「アンタらなら、大丈夫なんだろ? 頼む、何とかしてくれよ! その為に来たんだよな!? なあっ!?」
「あ、ああ」
男の言葉と共に追従する周囲の視線に、頷く事しか許されなかった。
「ふぅ」
肺へと溜まった空気を外に押し出し数えて二日振りとなる冒険者用のコートに腕を通す。普段着と比べれば数倍に重く動きも制限されるがつい最近着た事もあって久し振りの鈍重さは感じない。ベリットとベルトを幾重にも重ねた鎧腕の内側に左腕を通し肩から腕に固定を終えると感触を確かめるように軽く肩を回す。
腰巻に取り付けた矢筒の位置を整え、自身の身体を上から見下ろしても防具の不備は見られない。最後にクロスボウから伸びた重心を支える為の紐を肩に通せばそれでクエスト前の準備は完了となる。
「……」
……完了となる、はずだった。
無言でクロスボウを抱え弦を引き、指先に当たるトリガーが確認する。しっかりと巻き取り部と連動しているか、緩みは無いか、巻き取り機は動くのか……『もしも』があれば洒落にもならない。
「……」
腰後ろに回った矢筒に手を伸ばし、位置の微調整を繰り返す。どんな時でもすぐに矢を取り出せるように……中々思った位置には収まらず何度もベルトの締め緩めを繰り返し最適の位置を探した。
「……」
鏡なんて小洒落たものは部屋にない。コートの襟元を自分で締めて確認し、胸前で抑えられた留め金に外れは無いかを確認し、一度は壊れた事もある鎧腕に細心の注意を払って些細な傷すらないかをよく見直し……。
「……不安だ」
『落ち着く為の』点検の中、ポロリと零れ出てしまった本音に頭を強く振って自分で否定し。グーパーグーパーを何度も繰り返す右手を自分で見下ろし今日の調子を確かめる。
――急過ぎた。
「……」
分かっていたつもりでもこれまでのような自分から臨んだクエストと今回は違う。
明日行く、この後行く、明後日行く、そんな前から気構えをつくれるモンスター討伐とは違い今度のクエストは相手が現れるのを待つ受け身のもの。知らされたのだってつい数分前。そこからさあ行け今すぐ行けと言われて、凶暴なモンスターに向かい合うのか……そう簡単に気持ちを入れ替えられる程出来た人間じゃない事も理解し、それでも自分を奮い立たせるしかない。
「やるしかない」
長く深く息を吐き、足元へと下がる視線を意識的に上へと上げる、装備の点検をしたいと騒ぐ腕は身体の横へと固定し、胸に思い描くのは先程向けられた村の人々の期待の視線とレックスやアールの姿……不安がる心臓を意気込みで抑え、長々と掛かった準備の切り上げに自分から部屋の外へと向けて歩き出す。
……多少なりとも自分にも自負がある。冒険者としていつまでも下がってばかりはいられないし何より、今回のクエストは独りじゃない。
「……」
口先だけではあるが自称仲間がある。腹立たしさの中に感じる頼もしさに口元を結んで顔を引き締め数日間世話になった空家から出発する。
「行くぞ」
帰って来た時には凱旋を果たした自分達の姿がある……多少の傷がありボロボロの姿になってるかも知れないがそこに疑いはない。その点だけは確かに自分はシルドを信頼していた。
………………。
森への出口に戻ると人だかりが先程より大きくなっているのが分かる。むしろ村の総出に近いんじゃないかというその群れの中で、一足先にこの場に辿り付きチラリとこちらを振り返って見るシルドの姿もあった。黒く剣呑な光を放つハルバードを背中に差し、普段は見ない冒険者装備もこんな時ばかりはしっかりと着込んでいる。防御を念頭に厚く盛り上がっている肩盾は鈍い光を放ち、動き易さを意識した軽装の防具を身に付ける。僅かに覗く肌の部分を全て隠すように上から羽織ったフード付きのマントで半身は隠れ、フードの軒先が作る広い影に阻まれ、その表情は半分以上見えない。
カヘルに居た時に数度見た姿と変わらないその格好に安心感のようなものが心に芽生える。
「あ」
「……」
一瞬目が合い遅れた事を詫びるように手を振るが、すぐにそっぽを向かれ返ってくる動作もなし……こっちの愛想の無さも平常運転過ぎて口元に苦笑いが浮かび。張り詰めていた気持ちが少しだけ和らいだ気がする。
人だかりの中心にあってシルドの隣を陣取っているのは村長のグリッジ、大きな身体を低く折り曲げシルドに向けて頭を下げている姿は周囲に居る他の村人と大して違わないように目に映った。
「よろしくお願いしますっ」
「……」
「冒険者さんに掛かってます、期待してますからどうか手長を」
「……」
「何卒」
「……」
必死な様子のグリッジとは正反対に冷めた様子のシルドから返ってくる反応はない。それでも周りの村人達はここぞとばかりに口を揃えて『頑張ってください』『よろしくお願いします』『どうか手長を』とシルドを大合唱で祝福する。……先程自分に向かっていたはずの期待の視線はどこに消えたのか……そんな事でむくれる事はさすがに無くても余り面白くない事には変わりない。
これだけ頼まれれば自分の場合どうなるか分からないが冷淡とも言うべきシルドの対応は顕著で、むしろ頷き一つも周りに返さない。それでもどうかと気を引くように更に周りは声を大きくし。
一歩離れた状態でその様子を見守っていると柔らかな声と共に後ろから声を掛けられる。
「やぁコワードくん」
振り返った自分を迎えたのは皺だらけの柔和な笑み……こんな時でも変わりはしないのかいつもの微笑みを浮かべたアールがそこには立っていた。
「アール、さん」
「ふふ、見送りに来たんですが間に合ってよかったです。もう出て行ってしまったんじゃないかとヒヤヒヤでしたからね」
「はぁ」
「まぁこの人の集まり様、遠くから見てまだなんだなと分かりましたけど」
「……はぁ」
「大丈夫ですか? 緊張などはありませんか?」
「まぁ」
……そういうアールこそ緊張というものを知らないのか。実際に討伐に向かうのは自分達なのだから、そもそも緊張も何もないかも知れないがそれでももうちょっとこう何か……話しているだけでも気の抜けていきそうな微笑みに隠れた所で溜息を吐き、そこでシルドを中心とした人だかりに、そしてアールの傍にもいつもの小さい姿が見えず辺りを見渡す。
村の総出らしいモンスター討伐のお見送りだ。残った村の中心部で歩いている人影は一つも見えず、それが余計に疑問を膨らませる。
「あの、レックスは?」
「ああレックスなら……おや? さっきまで一緒に居たと思ったんですが。ふむ」
「ふーん。まぁ別にいいですけど」
「探してきましょうか?」
「いいよ」
「いやいやそう言わずに、探して来ますよ?」
「いいって」
「まぁまぁまぁまぁ、レックスの事なら私に任せてください。コワードくんの為にも今すぐでも――」
「だから、いいって!」
言葉だけでなく身体ごと絡んでくるアールに身振り手振りで構わないと説明し、その時折良く人だかりが割れ森へと進み行こうとするシルドの姿が目に入る。……いや勝手に行くなよと言いたいが一応シルドも気にはしているようでこちらを僅かに振り返る。丁度流れも変な方向に行きそうだったアールとの会話を早々に切り上げ人だかりの中を両手で割るように突き進む。
「気を付けてくださいコワードくん、無事に帰って来てください」
「ああっ」
人込みの中で聞こえるアールの声に短い返答を返した。……内心、レックスが居たならばこちらが引く程の声援をしてくれたんじゃないかと淡く思い。人員による引っ掛かりの中を抜け切るとそこへ来てようやく気付きでもしたようにグリッジがこちらを見て頭を下げる。
「君も居たね。モンスター『手長』の討伐、よろしく頼む」
「はぁ、ハハ」
……自分は、ついでか。
一応の激励にグリッジに向かって軽く手を振り返し先を行くシルドの後へと続く。村との境目が終わればそこから先は森、急激に増える周りの緑に、まだ人らしい道こそ続いているが自然の息遣いが近くなる。未だ背後から聞こえている村からの声援ももう少し進めば聞こえなくなる事だろう。
「……」
村人の対応を見て、改めて理解する。彼らの殆どが期待を寄せているのは自分ではなくシルドだ。見た目も強そうで、実際に力がある事も分かって……今では寄せられるその期待感も何となくは理解出来た。
「……む」
悟りに近いその発想に自分で浮かべる表情がいよいよ渋みを増してくるがそれも仕方ない。例え冒険者として見られているのが自分じゃなくてシルドでもいいじゃないか、本当に戦いとなったなら間違いなく活躍するのはシルドの方で……それを自分の気持ちだけで捻じ曲げるのは少しおかしいんじゃないかと気付いてくる。
「……」
嫌な奴だ。それでも狼の一件以来よく分かった、シルドは本当に強い。それでいて『なんで』と疑いたくなる程自分にキツク当たるし、見返してやりたいと憎らしく思う反面、そういう『仲間』なんだと今は多少思える。
簡単に驚いてばかりの自分とは違う、先を進むシルドの足取りには迷いがなく、漲る自信のようなものすら垣間見える、真っ直ぐに上へと伸ばした背筋は村人じゃないが確かに期待させるものを見せ……。
「なぁ、シルド」
先を進むシルドに声を掛けた。案の定、それだけじゃ歩みは止まらない。振り返る仕草はおろか些細な返答すら返らない。いつも通りだ。
「ふぅ」
前方にある仲間の背中。自分も歩みは止めず、それでも何と言うべきかを頭の中で整理する。言いたい事は色々あり、これからモンスター討伐だというのに楽しくお喋りもどうかと思ったが。それでも言わない訳には行かなかった。
「前にカヘルに居た時クエスト行ったよな」
「……」
「あの時オレに何もさせなかったのってオレが……」
「……」
「弱かったからか」
「……」
返事はない。だけどそれだけで十分だった。
「そうかよ……」
「……」
胸の中に渦巻く気持ちをそのまま言葉に変えるのは難しい。それでいて自分が『弱い』なんて宣言するのは尚事気が引ける。
ズンズンと進むシルドの足取りが心持ち早くなったように感じられた。風になびく汚れたマントを後ろからしっかりと見つめ、言いにくい内心を声へと変える作業に没頭する。
「分かった」
「……」
「役に立たないっていうんだろ」
「……」
「分かった」
「……」
「だけど……それでもダメなりに何かしたいんだ」
「……」
ぐるぐるぐるぐる、胃の上の辺りが気持ち悪い。短く繰り返す呼吸で自分をごまかし、止める事無く先を続ける……むしろさっさと言ってしまえば楽になれるかも知れない。
「シルドがやればいい」
「……」
「戦えばいいよ。強いんだ、いいなっ、羨ましい、尊敬する」
「……」
「……だから、オレは隅っこでいい」
「……」
「今度はちゃんとディガーに言えよな、戦ったのはシルドだ。モンスターを倒したのはお前だって正直に」
「……」
「それと……それと、だから!」
躊躇う自分を嫌って進む足を早足に変え地面を蹴る。
前を行くシルドの背中を追い掛け、追い付き、横へと並び、そのまま駆け抜けて前へ。追い抜き終えた状態で振り返れば目元を影で覆ったシルドの顔が目に入った。フードに隠れたその表情が口から上がどんなものかは分からなかったが、それでも関係ない。言いたい事は勝手にこっちが言いたい事であるし。本当は、もっと前に言わなきゃならなかったはずの言葉だ。
「それでもオレは何にもしないって訳にいかないだろ。言えよ、出来る事あるだろう。援護射撃だっていいただの威嚇だっていい足止めだって何だってやってやるさっ、やってくれって言ってくれよ、シルドが言えばその通りにしてやる」
「……」
「だから、二人で倒すんだ。そうだろ?」
「……」
「仲間……なんだろ」
「……」
――必死だった。
言葉に吐くのにこれだけ勇気を使ったのも初めてかも知れない。
シルドからすればもしかしたら薄ら寒い事を言っているように見えるのかも知れない。馬鹿らしいと思うのか、呆れるか……それでも自称とはいえ、仲間だ。独りじゃなくなったクエスト、新しい隣人。精一杯歩み寄り、そして認めてもらいたいと恥ずかしさも堪えた。
「……」
目を反らさないように見上げた先で、不意にシルドは顔を背ける。向けた先は今まで歩いて来た村からの道、木々の向こうに隠れ今では村からの遠い声援も聞こえず、僅かに見えていた家々の屋根の端も今は見えない。
シルドの目元を覆うフードが風で揺れた。見えない表情のその奥で、ポツリと零すような呟きが聞こえてくる。
「ここから」
「あ?」
「ここからならもう村から見えないな」
「あ、ああ」
「……そうか」
言葉の終わり。
何を言おうとしたのか分からなかったがとりあえず会話の切っ掛けに笑みを返し、見上げるその先で
「ガ」
『黒色』をした風が流れる。強く、耳を打つ吹き抜ける音。
続いて襲って来るのは痛み。
「ッ」
膝下から足元をすくってくる痛みに膝が折れ、次に風は地面を跳ね胸下に突き上げる。
衝撃。
防具で痛みの元までは通らないながらも込み上げる圧力に息が詰まり首から上は自然に上がり。
先程よりもずっと低くなった姿勢。唸りを上げる『ハルバード』が頭上高く振り上げられ。暗い色をしたフードに隠され、その顔色は分からない。
「なに、シ」
短く、そう返すだけで精一杯だった。次の瞬間頭上から振り下ろされる黒い柄、影が滲むようにしか見えなかったそれが間髪入れずに目の前まで迫り。
「『そんな』仲間は、必要ない」
そこで、意識は途絶えた。
……………。
………。
――――――ワー――
………。
――ワー―――――
……遠く、自分を呼んでいるような声が聞こえた。ぼやける程に遠く、だけど非常に近い所にいるように。あやふやでモヤの掛かった、しかし耳に響く高い声。
―――ード―――
何を、言っているのか。目の前が真っ暗で……いや目を閉じているから真っ暗なのか……なら、何故目なんて閉じているのか……分からない。なんで。
――コワ――
そう。確か、そう。
少しだけ頭に掛かったモヤが消える。モンスターを倒すと、手長が現れたとそう聞いて……それで
――ワード
そう。
シル…………。
「アイ、ツ!」
「コワードオオオオオ!」
「え、ぶっは!」
額から鼻先に、突き抜けていくような鈍い衝撃が襲った。
折角目を開いたのにそのまま眠りへと誘いそうな強い目眩、鼻の奥がツンとして滲み出る涙に目の前は眩しくぼやけて見える。
「よ った! ワード大 夫!?」
「え、あ?」
「分かる!? オレ分かるよね? ね?」
耳奥にキンキンと響く高い声……間違えるはずもない、目の前にレックスが居た。周囲を見れば場所は木に囲まれた道端、草の上で横たわって倒れる自分に覆い被さるようにレックスの姿があってその右手には拳くらいの大きさの石が……石?
「よかった、コワード気が付いたー、よかった」
「い、し……イッつ、いったあああ、なんだこの痛さ! マジで痛い。鼻、鼻がっ」
「よかったよおお」
「う、ああああ、殴ったのか、テメエ!」
涙すら浮かべて喜ぶレックスに、自分はそれ所じゃない。ジンジンと響く痛みにその場で転がり回り、子供とはいえ石で殴り付けるなんて暴挙何を考えているのか、なんでそんな――――そんな――――。
「だってコワード、ぜんっぜん目を覚まさないからぁ」
「……はっ」
レックスの崩れたその言葉に揺れていた視界がしっかりと戻って行く、歪んでいた周りの状況もよく見えるようになり、もしかしたら『痛み』が意識の覚醒に一役買ったのかも知れない。
なんでこんな事にと考え、記憶が途切れる前を思い浮かべ……シルドのハルバード、思い出し終わると同時に熱くなり出す胸底に歯を強く噛み合せた。
「あっのヤロ」
「ホント、コワード大丈夫なの!? 見送りに出遅れたから慌てて追って来たらこんなトコに、オレ、オレ……死んだものと」
「ああ、大丈夫……って、死んだら殴るのかお前はっ」
「起こそうと思ったんだよぉ」
「何が、ぐっ、いやいい、それより!」
転がる体勢から立ち上がると、急な動きに立ち眩みを感じる。レックスか……それともアイツのせいか。辺りを見回し周りの草むらにクロスボウが転がっているのを見つけると拾い上げる……故障した様子はない。身に付けた防具にも遜色はなく、腰後ろの矢筒にも……倒れた影響か少し潰れてしまっているが大きく問題はなかった。
「クッソ、どれくらい倒れてた」
「コ、コワードいいの? 平気?」
「何が」
「だって……手長にやられたんじゃ?」
「っ、手長じゃ、ない!」
立ち上がる姿勢から一歩強く足を踏み出す、身体に特に問題はないようだった。意識を失う前に見たのはハルバードによる柄の一撃か、見事に意識を刈り取って行ったその行動を思い返すと歯軋りと怒りが止まらない。何をした、何をしてくれたんだアイツは、折角こっちが、こっちは……っ。
「くっ……助かったレックス。お前はいいから村に戻って」
「え、でもコワードは」
「倒……す」
「へ?」
「クッソ、クッソあいつ! アイツばかにしやがって、アイツ!」
別れの言葉もそこそこにレックスを置いて走り出す。向かう先は最初に村の男が言っていた伐採所、一度近くに行ったから分かるはずだ。
背中から掛かるレックスの制止の声に早く帰れと怒鳴り声で応えて森の中を駆け抜ける。
煮えくり返りそうな胸の底、こんな気持ちは生まれて初めてだった。
手にしたクロスボウの弦を引き矢の終端を引っ掛けると、巻き取り機で強く絞る。キュルキュルと手の中で鳴る動作音、上下に揺れる身体の振動に合わせて左腕の合わせ板が金属質な音を立ててぶつかりあった。
何がいけなかったんだ。
そう考える。
自分がいけなかったのか、何がいけなかったのか、理不尽過ぎる――悪いのは……オレなのか。
「クッソ」
空いた腕で額を叩く、先程のレックスの殴打による痛みは色濃く残り上から手で叩くと痺れを伴う痛みが視界を歪ませる。
「クッソ、クッソ、クッソ」
悪態を繰り返して走る。木々の中、目標を探して走る。腕の中にはモンスターの命を刈り取る凶器がある。
これで……倒せばいい。手長だろうと、何だろうと、どんなモンスターだっていい、自分で、自分の手で。
「くそおおおおおお!」
長く遠く響く自らの叫び、胸中に渦巻くこの嫌な思いに最も近い言葉を探すなら。
それは、裏切られたという気分だった。
―――――――――――。
暗い木々の後ろに隠れた息遣いが聞こえてくる。
手の中のハルバードを宙で回し、肩を前に、重心は後ろ。
影の中を確かに揺れ動く琥珀色の二つの光を目で追い。どのような場合でも対応出来るように四肢へと力を送る。
「……ふん」
聞こえてくるその息遣いは確かに人のものじゃない。
間合いを計る唸り声、地面を擦る足音、僅かに光を返す爪と牙。それら全てを見遣って思考を巡らし、長く一つ息を吐くと獲物を観察すべく上から睨む。
「確認を、しないとな」
言葉の終わりをまるで待っていたように、四肢持つ姿が雄叫びと共に躍り上がり、目前に迫った。




