26 厄災
――地面を踏み鳴らす軍靴の足音がその場を満たしていた。
暗く見通しの効かない夜の平原を突き進む何千何万という兵士の行軍、耳に聞こえる声は夜鳥の透き通る歌声でも掻き鳴らす虫の音色でもなく隣を歩く仲間の息遣い。
熱く焼けた炭を水へと溶かしたような一面の黒の中をまるで一個の生物であるように軍隊は進行していた。その中の一人である矮小な私なんてただの一片の歯車に過ぎない、そう錯覚させる程に強く、土を蹴る足音が続く。
誰かが、声を上げた。
「夜明けか」
呆然と覇気無く呟かれた言葉に釣られ私も顔を上げて空を見た。見上げてみれば確かに東の空から赤く俄に燃え立つ日の出が広がって来ている事が分かる。
故郷を遠く離れたこのような地に来ても見上げる自然に変わりはないのか、吐き出した嘆息と声を最後に再び意識を歯車の一片たらんと集中する中で今度は別の方向から違う人間の声が上がる。
「夜明けには、早い」
見上げる空。
東から順に『赤』が広がっていく。次第に伝わってくる熱、押し寄せる風に空が震え、夜空を焼く赤が空中で渦を巻いた。
『―――――――――』
風に乗り、耳をつんざく形容し難い声が聞こえてくる。まるでこの世のものとは思えないその甲高く響きに、私は確かに『声』のようなものを感じていた。狂おしい程の熱望に、溢れる風。
空が焼け、頭上の雲が千切れ飛ぶと、そこにはあるべきはずの夜空はなかった。
眩い星の光を更なる光で押し退け、清浄な月の輝きすら役目を忘れたように息を潜める、見上げ見開く私の目に映ったのはただただ禍々しいばかりの赤だった。死神の如く広げた四枚の翼、空をも噛み潰すアギトを大きく広げて、ソレは叫ぶ。
『―――――――――』
声にならない声が響いた。金属と金属とを擦り切らせるような異形の鐘の音。始まりを告げるその合図に合わせて夜闇すら霞ませる赤が群れる私達の中心目掛けて落ちて来て、接触と同時に生との別れを迎えさせられる事になった痛恨の悲鳴がこだまする。
赤き余波が駆け抜けた。
熱に浮かされ空気そのものが燃えて行く。
肺へと吸い込んだ風はそれだけで喉を熱くし、吐き出す吐息の向こう側で視界を横切るで一筋の光の帯が駆け抜けた。
一瞬の空白。
鼓膜を食い荒らす爆音。
漏らす事の出来なかった最後の悲鳴が轟音の中でかき消され。人と言う殻も持つ肉体が四肢ごと飛び散る様を私は初めて目撃した。
あの胸を刺すような生臭い血の匂いはして来ない。微かな抵抗すらなく黒き消し炭へと変化した人間は意識の残る内は辺りを這いずり回り、やがて力を使い果たして崩れ落ちると二度とは起き上がらない。
『――――――』
呼び声が走る。生との別れを強制する耳にし難い甲高い音色、声に合わせて空から光が降り注ぎ遠くの兵士が宙へと跳ね、近くの仲間が半身を炎に包まれる。空気が熱で曲がり、視界が歪む中で赤の叫びに比べれば酷くちっぽけな、それでも意味ある人の言葉が怒鳴り声となって辺りに響いた。
「突撃しろ」
ふざけたその物言いに従って何千何万の兵の中から勇気ある何百かが赤へと向かって走り出す、振りかざす剣に槍でその身を引き裂こうと迫るが傷を付けるどころか近くに辿り着けた者すら一人もいない。濃く赤色を纏う風が勇気ある者達の間を吹き抜け地に伏させ、動けぬその身に無情の閃光が降り注ぐ。耳に聞こえた断末魔は夢幻の端が見せた刹那の幻か、光が駆け抜けた後には本来人の姿が在るべきその場所に黒ずみ焼けた影しか残っていない。
『――――』
赤が叫ぶ、その呼び声が果たして誰の名であるのか異形の言語を介さない私には理解が出来なかった。手を伸ばせば届く程の近くに居た同郷が突如黒炭へと変貌する、共に帰ろうと誓った幼き頃からの親友が目の前で赤き光の向こうへと消えていった。
地を埋め尽くさんばかりにあったはずの軍靴の音色は既に無い、聞こえて来るのはただただ暴虐を尽くす赤の焔と『化け物』に晒される人間の悲鳴だけ。
「攻撃」
愚かな指揮官の掛け声に生き残った数千の中から勇気ある百の者が飛び出し、誰一人赤の身まで辿り着く事なくその生に終焉を刻んだ。
「突撃っ」
錯乱する上官の声が炎の渦に包まれた。夜泣きする赤子の鳴き声にも似た意味不明の雄叫び、人の言葉を繰る人形はその場で滑稽に跳ね回り、やがてゼンマイが切れると脆くも崩れ落ちた。
「倒せ」
指揮系統を継いだ上位兵の言葉により、生ある千余りの中から無知なる数十の兵士が命を捨てに前へと駆ける。届いた者はいない。狂い踊る炎の蛇に腕を半ばから寸断され、血潮すら飛び散らぬその断面は明けぬ暗闇にも似て黒く染まっていく。
『――――』
声がした。
呼び声を上げた赤が今度は私を見た気がした。
息を呑み
「――――――――――」
気付いた時には私は既に走り出していた。
生を捨てる為の勇気ある突貫ではない、人らしさと尊厳を全て捨てた獣にも似た絶叫。逃げ出す私を止めに来る者、共に逃げる者、その場で惑う者、その全てが私の目の前で赤に染まっていく。
捨て去れぬ、命を抱えて逃げ、ようやく息を吐き振り返った私の目に映ったものは無傷のまま空へと猛り吠える赤の怪物、地面を見下ろすその横顔はとても同じ生命であるとは思えず。
牙を剥き出しにし、確かにこちらを見て哂っていた。
――――――――――――――。
「ふぅ」
息継ぎをして肩を落とし、アールは片手で握った酒の器を口へと運びまるで水でも飲むような勢いで飲み下す。余程乾き切っていたのか、酒勢で唇を濡らし人心地をついた頃合には遠くを見つめるように細められた瞳が周りを見て。最後に自分へと止まると目線で問い掛ける。
今聞いたばかりの話しに正直どう言い返したらいいのか分からず。
「そんな馬鹿な話し」
ようやく絞り出した自分の捻りのない一言にアールは小さく笑みを浮かべた。
「もう何十年も前の話しらしいからね私にも分からない。実際に体験したのは私の祖父らしい。あの人は決して嘘を言うような人ではないのだが……コワードくんは信じられないかい?」
「……信じられない」
「そうか」
信じられないというより有り得ない。他人に伝える為かやや物語然として語られた話しに誇張があったとしても、いくらなんでも『モンスター』一体に何千何万の兵が成す術もなくやられたと言われても鵜呑みに出来るものじゃなかった。……確かに過去には、恐ろしいモンスターも居たんだよなんて噂話程度には聞いた事もあるがそれにしたって度が過ぎている……今まで自分が見てきたモンスターだって十分過ぎる程に化け物と言っていい容姿と力を持ってものばかりだ、それにだって死ぬ程苦労したのにそんな別次元めいた化け物の話し……。
「まぁ確かめる術もないんだ、信じられなくても仕方ないかな」
諦めたように息吐くアールに、真偽の程は置いておき気になる部分を聞いてみる。
「そのモンスター、名前は?」
「うん?」
語る中に正確な名前は出て来なかったはずだ。モンスターと言えば発見されればそれぞれを区別する為に名前が与えられる。それを聞きさえすれば、もしかしたら本当は自分も聞いた覚えがあるものなのかも知れない。
「名前か」
返す質問にアールは浮かべる笑みを困った風なものへと変え白髪頭を上から撫で付けるように手慰むと残念そうに小さく息を吐く。
「それが名前がないんだ」
「……は?」
「いや冗談じゃなくて本当に知らなくてね、祖父が言うには名前が決まったかどうかを確認していない……というよりその場で逃げ出して来てしまったから、その後どうなったかさえ分からない」
「……」
「同じく逃げ延びた仲間達と隠れ住むようにこの地に流れ着いて、そして出来上がったのがこのデセルテ村、という訳だよ。ある意味脱走者の村と言ったところかなココは……だから私は名前までは知らない」
「……そう」
「だけど話しをする時祖父はいつも言っていたね、アレは『厄災』だと。人の力でどうにかなる存在じゃない、出会ってしまったら不運だったと自分を呪い、気紛れで残虐な災害主が過ぎ去ってくれる事を心から願う。出来る事なんてその程度だったんだと」
緩い笑顔で明るく言ってのけるアールは皺の寄る目を細め、若干重めだった口調をそこからはカラリと明るいものへと変えると再びあおるように酒の器を傾ける。
「まぁ、まだ『モンスター』というやつがよく分かってなかった時代だよ。冒険者なんて影も形もいなかった頃であるし、今も厄災が生き残っているかどうかは分からない。ただ平凡な一般人には荷が勝ちすぎていたというだけの話し……もしかしたらコワードくんならそんな化け物にすら戦って勝ってしまうかも知れないしね」
「うへぇ」
「ハハハ、そんな顔をせずに。期待をしているよ冒険者様」
「……そんな化け物じみた奴が実際に居たら真っ先に逃げてますよ、なあシルド」
「……」
「シルド?」
話しの途中から移動を開始し、今は近くで立っているシルドが下から見上げる。先程までの睨むような視線とは異なり今は静かな目。まさかアールの話す化け物に心当たりがあるとも思わないが静かな動向を見守り、すっと持ち上げられる指先が自分の横を指し示す。
「それ、いいのか」
……若干眉間に皺を寄せながら言ったその先で。自分の隣に座っているレックスはやや身体を前のめりにして蹲っていて
「は、き、そう」
「……」
……そして真っ青な顔で口元を抑えていた。
「って、な、は!? 何やってんだお前、酒か!」
「ち、が、ちょっと、食べ過ぎうぅ」
「ううわっ、こっち向くなって、誰か!」
横に居るイネスに助けを求めて見る。
「……むにゃ」
いつの間にか自分で持ってきた酒ビンを腕で抱えて幸せそうに横になっている姿がそこにはあった。
アールを見る。
「ああ、大変だねー」
ひどく棒読みなセリフが聞こえ浮かべた微笑みが向けられた。
「シルッ」
シルドを見る。
「……吐いたら殺す」
何故か鋭い目線はレックスではなく自分へと向けられ。殺気すら感じる姿勢に助けを求めるどころじゃない。
「コ、ワード」
若干フラつく顔を上げレックスは自分を見た。悲壮感すら漂いそうな青い顔で、それでも必死に作り上げた笑みで抑える指と指の間から白い歯を覗かせ
「今まで、ありがとう」
今にも消え入りそうな声でそう言った……。
「って、ありがとうじゃない! 耐えろ、耐えるんだよ、諦めるな」
「ゆ、揺らさないでっ、限界が、もっと限界に」
「まてってーー!」
小柄なレックスの身体を後ろから抱き上げるようにして抱えると急いで視線を巡らせる。とりあえず、どこ、外? 外がいいか? 幸いちょっと走ればすぐ近くに森があれば、そこまで行ければまだ……まだ間に合う。
「頼むから出すんじゃな――」
「うっぷ」
「言ってるそばからー!」
笑うアールに冷めた視線を送ってくるシルド、横になるイネス。心無いソレらの人間を置いてきぼりにしてレックスを抱えてこの場から走り出した。
―――――――。
「ははは、本当に愉快な子だねコワードくんは」
「……」
村の子供を抱えたコワードが居なくなるなり白髪の老人が笑みを称えて目を細める。向けられる視線は家の外、見えるはずもないが出て行った二人の姿をその目は追っており、好々爺然としたその顔色に無性な腹立たしさを感じて奥歯を噛み締める。
「さっきの話し、少し質問がある」
「うん、何かな? シルドさんも厄災が気になるか、そうかそうか」
「……そんな与太話じゃない、その前だ」
十分な間を含め、手にする凶器を見せ付けるように持ち直すが、老人に動じる様子もない。元々この村になんて一切興味もない、酒飲み話しを追求するなんて馬鹿らしい事はせずにそれよりももっと、気に掛かった部分を抉り出し老人を目で睨む。
「『冒険者にとっては興味深い話し。昔はこの話しを聞く為だけに人が来た』。話し出す前にそう言ったな」
「そうだね」
「話しの流れからしてそれは冒険者だ、違いないか?」
「ふむ」
「……それはいつだ?」
「…………」
「具体的に聞くならそれは『手長』が出るより先か? 後か? そう聞いている」
「ふふ」
小さく溢れる笑い声に老人は少しだけ天井を見上げ、静かに口を開く。
「後だね」
ゆっくりと、しかし確かに頷かれた首に、視界の端で寝た振りを続けている女商人がもそりと身震いしたのが目に見えた。
―――――――――――。
「はぁあああああ」
魂ごと飛び立って行きそうな長い溜息、近くの木の陰でレックスがもぞもぞと動いているがなるべく聞かないように、見ないように努める。見上げた夜空を覆っているのは相変わらずの厚い雲、少しずつ増え出す黒雲に雨の気配は感じられるがまだ降り出しこそしていないのが幸いだった。
「ふぅ、ううぅ、気持ち悪い。もう当分肉はいいよ」
「食い過ぎるからだ」
一応見張り役として近くに立っていたが周りは平穏そのものだった。のそりと顔を上げるレックスは未だに青い顔のまま笑みを浮かべ、対して自分からは溜息ばかりしか出て来ない……久々にマトモな食事になるかも知れなかったのになんでこんな村の外れに居るのか、残った面子で会話が盛り上がっているとも全く思えないが、それにしても何かを損した気分になってしまうのが止められない。
「怒ってる?」
「……」
「うっ、ぅ」
「……別に怒ってない」
むしろ怒る気も湧いて来ない。下から恐る恐ると見上げてくる視線に自分はガシガシと強めに後ろ頭を掻いてやり過ごし、最後に一度、これで終わりと決め込んだ長い吐息を吐き終わると微かな笑みを浮かべてレックスを見下ろした。
「別にいいさ、それより大丈夫か? 飲んでないっていっても匂いだけでも酒ってくるものがあるし……前に酒が苦手みたいな事言ってだろ? それで宴会とか何考えているんだよ」
「……」
「戻って少し休んだら今日は家に帰って」
「お礼」
「……は?」
「……の、つもり」
短く吐き出す言葉に普段の自由そうなレックスの雰囲気は感じられず、言えば言ったですぐ視線を反らし目も合わせようとしない。若干感じる距離感にむずむずとしたものを感じる。悪気はないんだろう……それで全部許されるかはまた別の話だが、それでもどうしようかと迷いながらすっと腕を伸ばす。
「うん?」
「……」
どうも、アールのようには上手くいかない。なるべく自然を装ってもかなり不自然な動きになってしまい、がたつくブリキのような動きで触る程度に。レックスの頭に手を置き、急ぎ足で数回行ったり来たりをさせるとすぐに腕を引っ込めた。
「戻るか」
「……」
「結局、ろくに食ってなくてこっちは腹ペコなのになんでまた」
恥ずかしさに熱を感じる頬に、泣き虫な胃は悲鳴を上げて来た道をゆっくりとした足取りで帰って行く。若干来るのに遅れたが慌てて走り出したレックスが隣にやって来て、図々しいばかりに華咲かせた笑顔でこちらを見上げてくる。
「なんだよ」
「証、無くしちゃったんだけどまぁ大丈夫だよね」
「はぁ?」
「よしコワード! 家まで競争しようか」
「腹空かした相手を走らせるとかお前も鬼だな」
勝手に走り出すレックスに続き、自分はそのままのペースで歩き続ける。光の灯った空家から案の定漏れてくる談笑の声はなかったが、それでも気分は悪くない。何となく、こんな生活がもう少しだけ続いてもいいんじゃないかという気すらした。
翌日。
『手長』が現れたという報せが村中を駆け巡るその時までは。




