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魔法はすべて灰でできている  作者: 音鳴 凪
第二章【古き言葉】

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九. 人はその道を知らず

「大気よ(アエル)、震え響け(トレメ・エト・レゾナ)、集い貫け《コイ・エト・ペルフォラ》——衝波(インペトゥス)」


 ミレイアステルの漆黒のワンドから放たれた衝撃波が、唸りをあげて走り抜ける。


 だが、フラクトルの前に広がった薄い光の膜にぶつかると、衝撃波は乾いた土を巻き上げながら散っていき、彼女の藍色のローブをはためかせることしかできなかった。


 ミレイアステルの魔法にあわせて、フィデリアが走り出していた。その手足に光輪はなかったが、両手には黒い短剣が握られている。


「白き光(ルーミナ・アルバ)、来たれ(ウェニーテ)、矢となり(フィーテ・サジッタエ)、彼の者を貫け《ペルフォラーテ・イルム》——光矢(サジッタ)!」


 フラクトルの背後から白いローブ姿の少女——プエラが姿を現し、距離をとりながら灰色の鈴を突き出した。

 その頭上に浮かび上がった輝く矢は、フラクトルに向かうフィデリアへと迫った。


「……!」


 だが、フィデリアは片足で地面を強く蹴り、急激に進路を変えて光矢をかわすと、そのままプエラへ向かった。

 詠唱が間に合わないと悟ると、プエラは距離を取ろうとするが、速度を上げたフィデリアが間合いを詰めていく。


「我が相棒(ソキエ・メー)、牙を見せろ(デンテス・オステンデ)、触れしものを(クォド・タンギス)、ぶっ壊せ(コンフリンゲ)」


 そこへ、横合いからフラクトルの詠唱が聞こえてきた。


「——砕け散る牙(フラグデンス)」


 フラクトルが手にした白く磨き上げられた骨製の槌、その先端に赤い光がまといつくのを見て、フィデリアの唇からも咄嗟に詠唱が流れ出す。


「理の律(レクス・ラティオニス)、結び煌めけ(ネクテ・エト・フルゲ)、この身を巡り《コルプス・メウム・キルクムイ》、制約を貫け《ウィンクラ・ペルフォラ》——駆けめぐる星環(ステルラオルビス)!」


 フラクトルが両手で振り上げた槌を、フィデリアへ叩きつけると、凄まじい音とともに地面が砕け、土砂が石の破片を巻き込んで吹き上がった。


 だが、その場所にフィデリアの姿はなかった。


「おい、訓練で固有魔法を使うなと言ってるだろう」


 フィデリアの声はフラクトルのすぐ後ろから聞こえてきた。光輪をまとった手から伸びた黒い短剣が、槌を振り下ろしたままのフラクトルの首筋に触れている。


「……あんただって、使ってるじゃない」

「使わなかったら、今ごろどうなってたと思うんだよ」


 フィデリアが短剣を収めて魔法を解くと、フラクトルは不満そうに唇を尖らせた。ミレイアステルもワンドを下ろし、二人のもとへ歩いてくる。


「朝から元気だね。さっきの音は君たちだったのか」


 屋敷の角から姿を見せたのは、旅の荷を肩にかけたハウラとイマーゴだった。崩れた地面へ目を向けたハウラは、フラクトルに困ったような笑顔を向ける。


「フラクトル、傷はもう痛まないのかい?」

「……うん、昨日から普通に動けてる」

「それは良かった。でも、あまり無茶はしないでくれよ」


 ハウラの隣へ歩いてきたイマーゴにも、もう足を庇う様子はない。工房から戻ったばかりの頃、歩くにもハウラの手を借りていた姿がまだ記憶に新しかった。


「もうしばらく休ませてくれてもいいのにさ」

「足のことなら、もう大丈夫よ。いつまでも休んでいられないわ」

「怪我の具合は僕も見ている。心配ないよ、フィデリア」


 ハウラは歩み寄ると、なだめるようにフィデリアの肩を叩いた。フィデリアはその手に自分の手を重ねたが、先日の工房での出来事が脳裏を離れなかった。


「……私たちが代われればよかったのに」


 ミレイアステルがつぶやくと、イマーゴはその髪を優しく撫でた。


 本当の家族を知らず、ここで身を寄せ合って生きてきた赤杯(カリクス)にとって、ハウラやイマーゴの優しさと慈しみは何よりの救いだった。


「ふふ、ありがとう。でも、あなたたちには別の役割があるわ」


 自分たちより長くこの仕事をしてきた黒鍵(クラウィス)が過去を語ることはない。どんなときも辛さを見せず、ともに過ごす赤杯や白燭(ケレウス)を気にかけてくれる。


 無理はしないでと口にしたところで、自分たちに選択の権利がないことは、互いによく分かっていた。


「私たちのことは心配しないで大丈夫だよ」


 それならば、自分たちがより力をつけ、多くの仕事をこなせるようになればいい。それがここでの互いを支える唯一の方法だった。


「頼もしいね」


 フィデリアの言葉にハウラが笑うと、その横で槌を抱えていたフラクトルが、何かを言いかけて口を閉じた。さっきまでの不満げな顔は消え、黒髪に隠れた横顔を見ていたプエラが、そっと袖を引く。

 フラクトルは槌を足元へ下ろしてイマーゴへ向き直ると、小さく咳払いした。


「この前は、その……悪かったわ。あたしのせいで、怪我までさせちゃって」

「謝る必要はないわ。あなたが無事で良かった」


 そう言われても顔をあげない相棒の隣へ、プエラも進み出た。


「フラクトルを助けてくれて、本当にありがとう。えっと、お礼を言うのが遅くなっちゃってごめんなさい」

「分かってる。二人とも頑張ったわ」


 イマーゴが手を広げると、二人はようやく嬉しそうに微笑みを浮かべ、その腕に抱き締められた。


「まったく……。ちゃんと反省してくれよ」


 ため息まじりのフィデリアの声に、プエラがイマーゴの腕の中から顔を出して、小さく舌を出す。


「こいつ!」

「あんたに言われたくないわよ」

「こら、プエラ。フィデリアたちが来てくれなかったら、僕たちも危なかったんだ」

「……だって」


 イマーゴを挟んでやりあう姿を見て、ハウラが肩をすくめた。


「僕たちはもうすぐ出発だ。赤杯も白燭も、喧嘩せずにいてくれよ」


 * * *


 フィデリアたちが、馬上の人となったハウラたちに手を振り、その姿を見送っていると、背後からアディウトルに呼び止められた。


「間もなくノヴェリス様がお出でになる。赤杯の二人は呼ばれるまで待機していろ」

「ノヴェリス様が?」


 ノヴェリスは灰の手(キネリス)を束ねている人物で、複数の村や小都市を含む所領を有する地方貴族だ。

 灰の手と同じような組織を、各所に抱えていて、フィデリアたちも、他の組織と連携しての仕事を経験していた。


 しかし、ノヴェリス本人がこの屋敷を訪れるのは珍しい。仕事はたいていアディウトルを通して伝えられ、報告も彼を通している。


 フィデリアたちが互いに顔を見合わせる中、アディウトルは「失礼のないように身支度を整えろ」と言い置き、再び屋敷に戻っていった。


「ノヴェリス様がいらっしゃるだなんて、大きな仕事かしら」

「そうだな。また他の地域の組織と合同での仕事かも」

「なんで赤杯を指名? あたしたちだってできるのに」


 話を聞いていたフラクトルが、苛立ちを隠さずに足を踏み鳴らす。


「焦る気持ちは分かるけど、フラクトルはまだ本調子じゃないだろう」

「フラクトル、無理はしないで。あんなに酷い怪我だったんだから……。フラクトルに何かあったら、プエラは嫌だよ」

「……くそっ! しばらくはマズい飯のままか」

「それくらいの罰ですんだのも、ハウラたちが庇ってくれたからよ。これ以上心配かけないようにしないと」


 ミレイアステルにも宥められると、フラクトルはようやく小さく頷き、プエラとともに屋敷へと戻っていった。


「困ったやつだな。焦りは禁物だって、あれほど言ってるのに」

「仕方ないわ。あの子たちはまだ幼いもの……」

「とにかく私たちは準備しよう。すぐに出発ってことはないと思うけど」

「あなた寝癖がついたままだし、部屋に戻って身だしなみを整えましょう」


 アディウトルがフィデリアたちの部屋を訪れたのは、それからしばらくしてのことだった。


 三人が向かったのは屋敷の奥にある、ひと際重厚な扉がしつらえられた部屋で、普段は滅多に使われることがない。


「ノヴェリス様、二人を連れてきました」


 アディウトルの呼びかけに、ノヴェリスは椅子に腰を下ろしたまま視線を向けた。

 上質な毛織の長衣に身を包み、白髪混じりの金髪は丁寧に手入れされている。その青い目がフィデリアからミレイアステルへと移った。


「——久しいな。君たちの仕事ぶりはいつも聞いてるよ」


 ノヴェリスの向かいには無骨な風貌の人物が座っている。

 金糸をあしらった豪奢なマントを羽織り、退役した傭兵を思わせる雰囲気を醸し出していた。


「フォルティス殿、こちらが同行させていただく二人で、まだ若いが腕は確かだ」


 フォルティスと呼ばれた男は、鷹揚に頷くとのっそりと立ち上がり、フィデリアたちのほうへ歩み寄り、手を差し出した。


「よろしくな」


 この世界の魔法使いで、フォルティスの名を知らぬものはおそらくいない。


 当代最強の魔法使い。

 あらゆる魔法を使いこなす稀代の天才。


 しかし、様々な呼び名で称賛され、数々の逸話を持つ一方で、悪い噂話も後を絶たなかった。


 貴重な魔法触媒を違法に取引している、あるいは魔法そのものを奪っているという、まことしやかな話は、誰もが一度は耳にしたことがあった。


 フィデリアたちは、差し出された手を握りながら、自分たちの仕事のうちいくつかは、このフォルティスのために行われていたのだろうと考えた。そうであれば、聞いていた噂にも真実が含まれているのかもしれない。


「赤杯の二人には、フォルティス殿の護衛についてもらう」

「護衛ですか?」

「そうだ。フォルティス殿のことはお前たちも知っているだろうが、道中の危険を払い、無事に目的を果たす手伝いをしてもらう」


 最強と呼ばれるフォルティスに、果たして護衛の必要があるのか不思議ではあった。それほどの危険が伴うのか、もしくは人手が必要なのか。


「あの、目的地はどこなのですか?」

「北西の山間に、ある一族の住む郷がある。馬で五日ほどの距離だ。フォルティス殿はそこを訪れ、一族が持つ古い記録を見に行く」


 フォルティスはノヴェリスの言葉に頷くと、フィデリア、次いでミレイアステルの肩を鷹揚に叩いた。


「よろしく頼むぞ。私はこれから近くの街で準備をする。お前たちは後から宿に来てくれ」


 言い終えると、フォルティスは小さな声でノヴェリスに何ごとか言葉をかけ、扉から出ていった。


「フィデリア、ミレイアステル、細かなことはアディウトルから聞いておけ。それから——」


 ノヴェリスはテーブルに置かれたグラスを手に取ると、残っていたワインに口をつけた。


「フォルティス殿は大事な顧客だ。失敗は許されない」

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