七. 曲げられないもの
作業棟を回り込んだところで、目的の倉庫が見えてくる。周囲の建物よりも窓が小さく、厚い木の扉には鉄の帯が渡されていた。
フィデリアが扉を押し開けると、乾いた木と油の匂いが流れ出してくる。壁沿いの棚には大小の木箱が並び、奥の卓には、布に包まれた細長い箱や、紙を挟んだ帳面が重なっていた。
「僕とフィデリアで行こう。イマーゴたちは外を頼むよ」
高い窓から入る明かりだけでは棚の奥までは見えず、ハウラは箱をひとつずつ手前へ引き寄せ、中を確かめていく。フィデリアも卓の上の包みを開いたが、出てきたのは、削りかけの木の棒や、まだ石の嵌められていない金具ばかりだった。
「——これだな」
ハウラが棚から取り出したのは小さな木箱で、四隅が金属で補強してある。
蓋を開けると、布を敷いた仕切りの中に、金属の輪や、磨いた石を先端に嵌めた短い棒が丁寧に収められている。
その上に載せられていた薄い冊子を開くと、箱の中身と同じ形をした図が現れ、周囲を細かな注記が埋めていた。
「間違いない?」
「ああ。指示にあったとおりの魔法触媒と、関連する研究資料だ」
倉庫を出たところで木箱をミレイアステルに預けると、フィデリアは再び、先導する影のあとに続いた。ハウラはイマーゴを支え、もう一体の影が四人の後ろを守っている。
行きに倒した三人の脇を通り過ぎ、材木の積まれた角を曲がると、建物の間から門の一部が見えてきた。
「フィデリア、後ろ!」
ミレイアステルの声に振り向くと、作業棟から出てきた三人が、こちらへ駆け寄ろうとしていた。後ろを守っていた影が衝波を放ち、壁の一部が砕けて破片を散らすが、それを避けた者たちの口から、次々と詠唱が流れ始める。
「僕がやる。ミレイ、合わせてくれ」
ハウラはイマーゴを壁際へ寄せると、銀の指輪が輝く左手をかざし、素早く魔法を発動させた。
「——白く痩せゆく灯」
前方へ冷気が広がっていくと、寒さに震える魔法使いたちの詠唱が乱れていく。
ミレイアステルが黒いワンドを構えようとしたその時、反対側から新たな詠唱が聞こえてきた。
フィデリアが振り返ると、襟の高い長衣をまとった男が、門の前に立っている姿が見えた。
銀色の杖を手にしたその男が詠唱を終えると、男の前に薄い光の膜が広がっていく。
「門からもひとり! あっちは私がやる!」
すでに影の一体が光矢を放っていたが、男の前に張られた障壁に阻まれ、あっけなく霧散してしまう。
フィデリアは、男の杖が影に向けられたのを見てとり、積まれた材木の脇を抜け回り込もうとした。
「——衝波」
だが、魔法名を結ぶ瞬間、男の杖は向きを変えた。
「フィデリア!」
気づいたイマーゴが咄嗟に近くの影を直接操作する。
衝撃波は射線に入った影をいとも簡単に切り裂き、そのまま壁際に積まれた材木を吹き飛ばした。
フィデリアは直撃を免れたが、巻き上がる大量の破片に吹き飛ばされ、激しく地面に叩きつけられた。
「ぐっ!」
息を吸おうとしてもうまくいかず、体を起こそうとしても腕に力が入らない。
震える両手から、黒い刃を持つ短剣が滑り落ちていく。
* * *
「イマーゴ!」
ハウラが振り返る視線の先で、イマーゴが仰向けに倒れていき、それと同時に、残っていたもう一体の影も形を失っていった。
黒き徴の舞踏で生み出した影は、直接操れば動きの精度が上がるが、その間に受けた攻撃の一部は術者へ跳ね返る。
「フィデリア! イマーゴ!」
同じく振り返ったミレイアステルが二人の名を叫んだ。
詠唱が途切れたことで、背後に浮かびかけた二つの黒球が崩れていく。
「ミレイ、集中を切らすな!」
「でも、二人が……」
門からは銀の杖の男が、冷気の薄れた工房側からは再び三人の魔法使いが詠唱を始めようとしている。
「——来るよ、あっちは僕が!」
ハウラはフィデリアとイマーゴを守るように、防御魔法を広く展開する。
「——防御」
ミレイアステルも同じく防御を張るが、前後からの絶え間ない魔法攻撃に二人とも身動きが取れなくなってしまう。
「……ミレイ、僕が隙を作る。その間に、君はフィデリアを連れていけ」
「そんなのダメよ!」
「君ひとりで二人は運べない。それに、これは元々僕たちの仕事だ」
「ハウラ、そんな……」
「迷ってる時間はないよ」
ハウラは、連続する攻撃の隙をついて防御を解くと、大きく両手を広げる。
「果ての静寂、凍てつく脈、連なり立ち、天を穿て——白銀の剣林」
魔法が成立した瞬間、ミレイアステルを狙っていた三人の足元から、鋭い氷柱が突き出した。
ひとりが体を貫かれ、血飛沫をあげ、残る二人も傷を負って後退していく。
門の男の前にも氷柱が襲いかかったが、身を捻った男の肩口を削るにとどまった。
ハウラはさらに詠唱を続ける。
「凍てつく雹、砕ける霜、風を裂き、猛り奔れ——冬の銀砂」
門の一帯に向けて、無数の氷の礫が降りかかっていく。
「ミレイ、行け!」
ハウラは三人から離れるように走り出すと、ミレイアステルに合図を送った。
フィデリアに駆け寄るミレイアステルのすぐ後ろには、倒れたイマーゴが無防備に晒されている。
「……すまない、イマーゴ。でも、今は」
ミレイアステルたちが退くためには、門の前にいる男を排除することを優先しなければならない。
先ほどの白銀の剣林で、工房側の魔法使いたちを仕留めきれなかったことが悔やまれる。疲労と連続した魔法の使用で、精度も威力も弱まっていた。
「まずは、あいつを——」
次の一撃で、必ず門の男を倒す。その後のことは、もはや考えている猶予はなかった。
「権能に拠り、命ず。その者、留め置かれよ——拘束」
前方から伸びてきた光の帯が、ハウラの体に巻き付き、そのまま手足を絡め取っていく。
「なに……!」
冬の銀砂の魔法が消えていき、姿が見えてきた男の手には、菫色に輝く宝石が握られていた。
「馬鹿め、ここが触媒工房だということを忘れたか。本来の権能魔法にはほど遠いが、盗人を拘束するには十分だ」
「くっ!」
特殊な触媒と詠唱を用いた「権能魔法」は、この世界で魔法犯罪を取り締まる「評議会」と呼ばれる組織に属する者たちが操る魔法だった。
男は身動きの取れなくなったハウラのもとへ歩み寄ると、その脇腹を蹴りつけた。
「ぐっ……!」
息を詰まらせながら地面を転がるハウラを、男はさらにもう一度蹴り上げる。
込み上げる咳に身を折り、何度も息を継ごうとするが、その喉からは掠れた音しか漏れてこない。
「ふん、手間をかけさせやがって。——まずは向こうの女から始末してやる」
男が杖を向けた先には、壁際に倒れたイマーゴがいた。
「うっ……」
男の意図を悟ったハウラは、どうにか立ち上がろうと身を捩ったが、縛られた手足では体を支えることもできない。
「や、やめろっ!」
ハウラが喉を絞るようにして声を上げる中、男の頭上には三本の光り輝く矢が現れた。
「四方の守り、巡れ、阻め——巡る小盾」
だが、男の放った光の矢がイマーゴに届くことはなかった。
イマーゴと男の間に、手足に歪な光輪をまとった人影——フィデリアが飛び込んできた。その周囲には四つの小さな盾が浮遊し、迫る矢を次々と受け止めていく。
凄まじい速度で突進して来るフィデリアに、男が咄嗟に放った衝撃波がぶつかる。浮遊する盾が集まり受け止めるものの、フィデリアの足も止められた。
一方で、作業棟に向けて、今度こそ、ミレイアステルの黒球から、漆黒の雷が放たれた。
「闇の奥、光を歪め、音なき空を、裂き、堕ちよ——夜を灼く逆しまの閃き」
暗闇に包まれた雷が、再び動き出そうとしていた二人の魔法使いを正確に貫いていく。
「フィデリア! こっちは片付けたわよ!」
ミレイアステルの声に応えるように、フィデリアは再び地面を蹴り、目の前の男へ一気に迫る。
巧みに操られた両手の短剣が、男の腕を切り裂くと、その手から菫色の宝石がこぼれ落ちていく。
「——ハウラ! 四人で帰るんだ!」
拘束が緩んだハウラが、すかさず片手を掲げた。
「光よ、散り、弾け、満たせ——閃光!」
その手から強烈な閃光が放たれると、銀の杖を掲げた男は、悲鳴と共に顔を背ける。
一瞬の隙は、フィデリアを前にしては致命的なものだった。
次の瞬間には、短剣に切り裂かれた男の首筋から鮮血が吹き上がっていた。
自分たち以外に動く者がいなくなったことを確認すると、ハウラは脇腹を押さえながら、ゆっくりと息を吐いた。開いたままの門から吹き込む風が、立ちこめていた血の匂いを少しずつ薄めていく。
「大丈夫かい、イマーゴ」
その声は掠れていたが、ハウラは足を引きずり気味に歩み寄り、倒れたままのイマーゴのそばに膝をつくと、そっと肩に手を添えた。
「……ハウラ、どうなったの。フィデリアとミレイは、二人は、無事?」
ハウラの腕の中で意識を取り戻したイマーゴが、真っ先にそれを口にしたことに、フィデリアは胸の奥がざわつくのを感じた。
「私たちは大丈夫。もう安心だよ」
「良かったわ、私たちのために、あなたたちに何かあったら……」
ハウラはイマーゴを抱き起こしたまま、フィデリアとミレイアステルを見上げた。張り詰めていた表情がようやく緩み、疲れの滲む顔に小さな笑みが浮かぶ。
「二人には大きな借りができたよ」
フィデリアは、ミレイアステルと顔を見合わせて、軽く首を振った。
「何を言ってるんだよ。ハウラたちからは、もっと大きなものをもらってる」
「そうよ。さあ、みんなで帰りましょう」
第一章【灰の手】——完——




