六. 重荷は互いに
詠唱を続けていた工房の魔法使いたちは、突如襲いかかった漆黒の雷に打たれ、次々と倒れていく。
数瞬遅れて、ハウラたちの目の前を、藍色の外套に赤い髪をたなびかせた影が走り抜けていった。
手首と足首に歪な光輪を浮かべ、両手には光を返さない黒い短剣が握られている。
「フィデリア!」
ハウラの声に、フィデリアは一瞬目線を送ったが、立ち止まることはなく、再び放たれた雷にタイミングを合わせるように切り込んでいった。
雷を逃れ、体勢を整えようとしていた魔法使いの懐へ飛び込むと、黒い刃が胸元へ突き込まれ、途切れた詠唱に代わって濁った息が漏れる。
フィデリアに狙いが集中するが、駆けめぐる星環によって加速した動きを捉えることはできない。
「イマーゴ、いけるかい?」
「ええ、大丈夫」
イマーゴの足元から再び黒い影が一体立ち上がり、フィデリアを狙っていた相手へ衝波を放つ。
影に任せている時は大まかな攻撃しかできないが、イマーゴが直接操っている今は、狙いがより正確になり、魔法の威力も増す。
工房側の魔法使いたちの混乱を見てとって、ハウラも氷の礫を次々と放った。肩や腕を叩かれ、魔法使いたちが身を庇う中、前に出たひとりが仲間をかばうべく防御魔法を展開していく。
だが、三度放たれた黒い雷が、その魔法使いを障壁ごと打ち倒すと、その間にフィデリアの短剣が残った数人を次々に斬り伏せていった。
やがて周囲に動く者がいなくなるのを見て、フィデリアはようやく魔法を解除した。
「ハウラ、イマーゴ! 無事だったか」
「——助かったよ、フィデリア」
フィデリアが二人に駆け寄ると、ハウラは笑みを浮かべて答えたものの、その顔には深い疲労の色が見える。
隣に立つイマーゴが手を伸ばし、乱れたフィデリアの赤い髪を撫でた。
その手つきは、屋敷で迎えてくれる時と変わらなかった。二人が戻らないかもしれないという不安に急かされてきたフィデリアは、思わず安堵の息をついた。
「まさか、あなたたちが来てくれるなんて。でも、どうして?」
「プエラから話を聞いたんだ。……心配しないで、ちゃんとアディウトルの許可はもらってるよ」
門の外から、黒いワンドを手にしたミレイアステルも小走りに近づいてきた。
「……間に合ってよかったわ」
「ミレイもありがとう」
「イマーゴ、大丈夫なの? プエラが怪我をしたんじゃないかって言ってたけど……」
イマーゴはハウラに体を預けると、自嘲気味に微笑んで、ローブの裾を持ち上げた。
足首には包帯が巻かれていたが、そこには新鮮な血の色が滲んでいる。
「油断していて足をやられたわ。少し良くなったと思ったんだけど」
「そこに座って」
ハウラが門脇の塀を背にイマーゴを座らせると、ミレイアステルはその前に膝をつき、ローブの裾を持ち上げた。
「痛むかもしれないけど、我慢してね」
清潔な布を、革袋に入った水で湿らせると、血で張り付いた包帯を丁寧に剥がしていく。
魔法によるものと思われる裂傷が、踝からふくらはぎにかけて広がっている。
「——縫った方がいいわ。私がやる」
「……ありがとう、ミレイ」
「フィデリアと僕とで周囲を見ている。よろしく頼むよ」
ハウラは布を噛んで痛みに耐えるイマーゴの姿を気にしつつ、周囲の気配に注意深く神経を張り巡らせる。
先ほどの魔法の撃ち合いは工房にも聞こえていたはずだが、今のところ、すぐに人が集まってくる様子はない。
フィデリアはその状況を見て、ハウラに抑えた声で話しかけた。
「ハウラたちなら手助けなんていらないとは思ったんだ。でも……どうしても嫌な予感がして。余計なことをしてごめん」
「何を言うんだ。感謝こそすれ、余計なことだなんて。——僕たち二人だったら危なかった。それに、プエラたちがちゃんと戻れたようで良かった。フラクトルも無事だったかい?」
「私たちが出てくる時には寝てたよ。ラヴィアもついてるし、大丈夫」
「そうか。それならよかった」
「それで、これからどうする? アディウトルには、ハウラたちの判断に従えと言われてる。撤退か続行か——」
視線をイマーゴに向けたまま逡巡するハウラの様子を見て、言うべきか迷ったものの、フィデリアは、ここへ向かう道すがらミレイアステルと話し合ったことを伝えた。
「まだ資料は工房にあるんだろ。私たちもいるんだし、このまま仕事を片づけていかないか?」
その言葉に、ハウラは振り返りながらゆっくりと首を振る。いつもの優しい笑みを浮かべて、フィデリアの肩に手を置いた。
「このまま引こう。これは君たちの仕事じゃない」
「黒鍵の仕事でもないだろ。元々は白燭のミスだ。でも、このまま何も持たずに帰ったら、ハウラたちまで責任を問われるかもしれない」
「それは僕たちの問題だよ」
組織の判断は甘くはない。役に立たないと判断されれば、あの場所にいられなくなるかもしれない。与えられた仕事をこなすこと、それが自分たちの暮らしを支える唯一の条件だった。
ハウラとイマーゴが、仕事の失敗のためにあの屋敷を去ることになるなど、フィデリアには考えたくもないことだった。
「白燭の二人は、たまにお灸を据えられるくらいがちょうどいいけど、ハウラたちまで同じ目に遭う必要はない。ここまで来たんだ、手伝わせてくれ」
「私もフィデリアに賛成よ。向こうの手勢はもう多くないかもしれない」
ミレイアステルが、いつの間にか二人のそばに立っていた。
その後ろで、手当を終えたイマーゴが、足の感触を確かめている。
「腱は切れてないと思う。傷口が膿むかもしれないから、帰ったらもう一度きちんと手当しないと」
「ありがとう、ミレイ。……イマーゴ、足はどうだい?」
「走るのは無理ね。でも、おかげで歩きやすくなったわ」
イマーゴはそう言って足を動かして見せる。そして、ハウラが何かを言い淀んでいるのに気づくと、そっとその手を取った。
「話は聞こえていたわ。ハウラ、あなたの判断に従うわ。私も魔法での援護はできる」
光を含んだ琥珀を思わせるイマーゴの髪。いつもきれいに整えられているそれが、今は汗と埃に汚れ、頬に張りついていた。
ハウラは無意識に左手の指輪に触れていた。その冷たさが、すっと気持ちを落ち着かせていく。
「……分かった。続けよう。イマーゴは僕のそばにいてくれ。仕事を片づけて、四人で帰ろう」
フィデリアは「そうこなくちゃ」と手を打つと、建物が立ち並ぶほうへと目を向けた。
「目的の場所は?」
「工房の奥、あそこに見える建物の裏手だよ」
ハウラが示した先には、作業棟の屋根越しに、石造りの建物の上部が見えていた。そこへ続く道には材木や樽が積まれ、曲がり角の向こうまでは見通せない。
「——遠回りだけど、塀に沿って進む方が安全かな」
「もうひとつ影を出して先行させるわ」
イマーゴが再び詠唱を行うと、足元から影が立ち上がり、フィデリアの隣へ進み出た。先ほどから傍らに控えていた影は、四人の背後に回る。
「理の律、結び煌めけ、この身を巡り、制約を貫け——駆けめぐる星環」
フィデリアも再び詠唱を行い、手足に光輪を浮かび上がらせる。
「行こう」
短剣を手にフィデリアが先へ進むと、ハウラがイマーゴを支えながらそのあとに続き、ミレイアステルは背後の建物にも目を配りながら、二人から少し離れて歩き始めた。
工房の奥へ入るにつれ、建物の間に積まれた資材が増えていく。荷車が通った跡だけは空いていたが、そこを進めば、左右の戸口や窓の前を横切らなければならない。フィデリアは先を行く影との間を空け、建物の陰へ入るたびに、後ろの二人が追いつくのを待った。
作業棟の横手から人の声がしたのは、倉庫までもう少しというところだった。
フィデリアが反応するより早く、先を行くイマーゴの影が詠唱を始める。
「白き光、来たれ、矢となり、彼の者を貫け——光矢」
光り輝く矢が放たれ、こちらへ駆けてきた三人のうち、先頭のひとりの胸に突き刺さった。
後ろに続いていた二人が左右に分かれたのを見て、フィデリアは距離が近いひとりに狙いを定め、飛ぶように間合いを詰めていく。
「——させないよっ」
相手が口を開く前に、伸ばされた手首を右手の短剣で切り飛ばし、続く左手の短剣で首筋を正確に切り裂いた。
だが、身を引くより早く、横手から炎が迫った。強烈な熱風がフィデリアの赤い髪を煽るが、咄嗟に目の前で鮮血を噴き上げる魔法使いの体を使って壁を作る。
直後、炎が音を立てて弾けるが、すでにその場にフィデリアの姿はなかった。
狙うべき姿を見失い狼狽していた魔法使いに、再び光の矢が放たれ、肩を貫く。
「……っ!」
大きく跳躍して頭上から襲いかかったフィデリアが、着地と同時に肩甲骨に短剣を突き刺すと、上げかけていた悲鳴は声にならぬまま消えていった。
建物の陰からハウラたちが姿を見せた時には、すでに三人とも動かなくなっていた。フィデリアは短剣の血を払い、こちらへ急ごうとするハウラに声をかける。
「大丈夫、問題ないよ」
「助かるよ、フィデリア。……やはり、まだ人が残ってるようだね」
「でも、そんなに多くの気配はない。それよりも、外から加勢が来るのが心配だ。急ごう」




