十六. 届かぬままに
谷に響いた爆音が遠ざかっても、舞い上がった土埃は、しばらく郷を覆っていた。
やがて家々の姿が見えてくると、そこにはフォルティスの魔法がもたらした破壊の跡が生々しく刻まれていた。
道に面した壁には大きな穴が開き、砕けた戸板や屋根の板が、そこかしこに散らばっている。
「よし、戻るぞ。アルミゲル!」
フォルティスは懐へ宝玉を収めると、崩れた柵を跨いで郷へ入っていく。アルミゲルも、掴んでいたフィデリアを解放すると、剣を手にその後を追う。
「フィデリア……」
名を呼ばれ、ようやく郷から目を離したフィデリアは、ワンドを握りしめたミレイアステルの姿を見た。乱れた黒髪や銀糸で彩られた黒いローブのあちこちに、先ほどの戦いで浴びた土が白く残っていた。
「……ミレイ、無事で良かった」
そう言って無理に微笑んでみたものの、ミレイアステルの表情を見れば、自分がどんなひどい顔をしているのかは分かった。
「ええ、私は大丈夫よ」
汚れを払おうと、ミレイアステルの髪に伸ばした自分の手が、細かく震えている。フィデリアは咄嗟に手を引くと、硬く拳を握りしめた。
「……」
黙って重ねられたミレイアステルの手を握り返すと、フィデリアは一度強く目を閉じ、何かを振り払うように勢いよく顔をあげた。
「私たちも行こう」
フォルティスたちの後を追って再び郷に入り、モレリオの家に続く道を行く。
壁の一部が崩れた家の横に、木桶が転がって水が流れ出し、道に飛び散った瓦礫や、血の混じった泥を濡らしている。そのすぐそばには、桶の持ち主が手足を投げ出して倒れていた。
男も女も、若者も老人も、郷で暮らしていたあらゆる人が倒れている。
昨日まで、この道には人々の声が溢れていた。薪を運ぶ者に道を譲り、洗った布を干す家の前を通るたびに、二人にも挨拶が向けられた。
だが今は、山から吹き下ろす風が、壊れた戸口を叩く音だけが響いている。
「ここまでする必要があったの……?」
「そんなわけない……。関係ない人を巻き込む理由なんて、あるわけない」
郷の惨状を目にしながら、フォルティスたちの姿を追うフィデリアたちの耳に、どこからか、小さく呻く声がした。
「ミレイ、何か聞こえなかったか?」
「見て、あそこ……!」
ミレイアステルが指さす先には、フィデリアにも見覚えのある家があった。
戸口の脇の壁が崩れ、その下に小さな体がうつ伏せに倒れている。その手に握られた木製の短剣は、間違いなくフィデリアが削ったものだった。
「……ルシオ!」
駆け寄って膝をつくと、ルシオの肩がかすかに動いた。
「よかった、まだ——」
二人の声に気づいたのか、ルシオの伏せていた顔が持ち上がり、土埃のついた睫毛の下で、目が開く。
「無事だったか、ルシオ……」
ルシオの目が少しずつ焦点を結び、そこにいるのがフィデリアたちだと分かった瞬間、かっと目を開き、膝をついて体を起こした。
「駄目よ、ルシオ、急に起き上がっては——」
「来るな!」
ルシオの振り回した木の短剣が、伸ばしかけていたミレイアステルの手を打つ。
「落ち着け、ルシオ!」
暴れるうちに額から流れた血が目に入り、ルシオが思わず目を瞑る。その隙に、間合いを詰めたフィデリアが、短剣を持った腕を取り、後ろから抱き抱えるようにして体を押さえた。
「……離せ! 離せよ!」
「ルシオ!」
フィデリアがルシオを引き寄せると、その後ろに、うつ伏せに倒れたもうひとつの小さな体が見えた。
「フィデリア、リリアが……」
リリアを抱き起こしたミレイアステルは、振り向いて小さく首を振った。
「やめろ、妹に触るな!」
肘で顔を打たれたフィデリアの力が緩むと、ルシオは拘束を抜け出し、リリアを抱くミレイアステルに殴りかかった。
「離せ、人殺し! 俺が、妹を守るんだ!」
「ルシオ、やめて!」
ミレイアステルから妹を取り戻したルシオは、リリアを抱きしめて嗚咽を漏らした。
「なんで、なんで……!」
手を伸ばしかけたフィデリアの目に、自分の手についた返り血が映る。
自分の体を見下ろせば、そこには、この郷に暮らしていた人々の流した血が飛び散っていた。
「俺が、俺が守ってやらなくちゃいけなかったのに……!」
ルシオの前でフィデリアが立ち尽くす中、郷の奥から近づく足音に気づいたミレイアステルが警告の声を発した。
「——彼らが戻ってくるわ」
言った途端に、フォルティスたちの話し声が伝わってくる。
フィデリアは腰から短剣を引き抜くと、妹の体に被さるようにしてしゃがみ込むルシオに近づいていく。
「……ルシオ、すまない」
短い息を漏らしたルシオの体が、リリアに重なるように崩れ落ちた直後、坂の上から二人に向かってフォルティスが呼びかける声が届いた。
「なんだお前たち、こんなところにいたのか」
フォルティスの隣には、旅の荷とともに、紐を掛けた四角い包みを抱えたアルミゲルが立っている。
「見てみろ。長々と手間をかけさせられたが、ようやく手に入ったぞ」
アルミゲルが持つ包みからはみ出した薄い木の板には、細かな文字が並んでいた。フォルティスはその一枚を手に取り、表と裏を確かめながら、満足そうに口の端を上げている。
「だが、先ほど少々派手な魔法を使ったからな。あいつらに嗅ぎつかれる前にここを離れる。行くぞ!」
「……はい」
フォルティスたちが視界から遠ざかると、フィデリアは幼い兄妹を隣に並べ、お互いの手を重ねる。
その横には、木で削った短剣がお守りのように添えられていた。
* * *
インダリオたち三人が、尾根を回り込んでいくと、すぐにクストスの郷が見えてきた。
「……ひどい有様だ」
斜面に沿って寄り集まった家々は、遠目にも形が崩れ、いくつかの屋根は、片側が大きく落ち込んでいる。
入口の柵は折れ、道には、家々から飛ばされた板や石が散らばっている。
インダリオは馬を止めて、観象儀を掲げる。先ほどまで激しく震えていた盤も、今は少しずつ動きが収まってきている。
「先ほどの反応は、ここで間違いなさそうですね」
「そうだな。これほど強力な魔法を行使できる者は限られている。十中八九、やつで間違いないだろう」
郷の入り口にたどり着いたリマトルは、馬を降りて周囲に人影がないか視線を巡らせた。
「評議会だ! 誰かいないか! 声が聞こえたら返事を!」
しかし、その呼びかけに返ってくる声はなかった。道の脇に倒れた男のそばへ膝をつくと、その顔には破片で裂かれた傷がいくつも走っている。首筋に指を当てても、脈は触れなかった。
「リマトル、お前は周囲の痕跡を探せ。やつが立ち去ってからそれほど経っていないはずだ。セドロ、お前は私と生存者の確認だ」
リマトルが魔法を詠唱しながら郷の外周部に向かう一方、インダリオたちは郷の中へと足を踏み入れていく。
郷のあちらこちらに、使いかけの道具が散らばっていた。薪の束が崩れ、籠からこぼれた豆が土の上に広がっている。
倒れた者たちの多くは、戸を出たところに横たわっていた。
だが、奥に進むにつれ、道で倒れている者たちの様子が変わってきた。
「……入り口付近とは違うな。剣による切り傷が多い」
道に倒れた多くの住人は、手に槍や鎌などの武器を持っている。
「フォルティスは剣で戦うのでしょうか」
「……いや、魔法によると思われる爆発痕もあった。護衛がいたとしたら、そいつらの仕業かもしれない」
インダリオたちは周囲に声をかけながら、さらに坂を上っていった。崩れた壁の下に人が見えれば、覆い被さった板を取り除く。
しかし、息をしている者は誰ひとりとしていなかった。
「見てください、あれはこの郷の長の家でしょうか」
「そのようだな。そして、どうやらここから始まったようだ」
坂の上にあるひと際大きな家、その周辺にはここまでと比較にならないほど多くの人間が倒れていた。
「よし、私はここを調べる。セドロ、お前は周辺を見てきてくれ。——くれぐれも油断するなよ」
「了解です」
家の周辺で倒れている多くの人間が武器を持っていたが、中には魔法触媒と思われる杖を持っている者もいる。
「これは、魔法の槍か?」
その遺体は肩甲骨付近に貫通痕があり、それが致命傷に思えた。そして、その傷跡の周囲はひどく焼けただれていた。
通常の武器では考えられない傷跡を見て、インダリオは懐から菫色の宝石を取り出した。
「権能に拠り、命ず。在るものは、在るがまま——保全」
魔法名が結ばれると、宝石から淡い光が溢れ出し、その遺体を包み込んでいく。
評議会の職員だけに許された〈権能魔法〉のひとつ、〈保全〉は、遺体の状態を保持する効果を持っていた。
「執行官! 来てください!」
少し先の家の前で、セドロがこちらを呼んでいた。そばに駆け寄ると、崩れた壁のそばに、小さな体が二つ並んで横たわっていた。
「……こちらはまだ息があります」
セドロが慎重に抱き抱えたのは、まだ幼い男の子だった。額から血を流しているが、大きな外傷はないようだ。
「そちらは?」
男の子の隣には、さらに幼い女の子が横たわっている。
だが、インダリオの問いかけに、セドロは黙って首を振った。
「お前は先にその子を連れて戻れ。……必ず助けるんだ」
「任せてください!」
男の子を抱き抱えたセドロが駆け出していくと、インダリオは自分の外套を脱ぎ、女の子へそっと掛けた。
その横に、木で削った短剣が置かれていることに気づくと、インダリオはそれを手に取った。
切っ先は丸く削られていて、柄には細い紐が結びつけられている。
「これは……あの少年が、これで妹を守ろうとしたのか」




