十五. 刃の向かう先
「父上!」
ヘレスの叫び声が響く中、モレリオが胸元を押さえ、その場に膝をつく。長衣に染み出した血が指の間から滴り、駆け寄った息子が体を受け止めるが、あっという間に血溜まりが床に広がる。
「貴様ら……!」
窓際に控えていた二人が互いに距離を取りながら、杖を掲げたのを見て、フィデリアは両手に短剣を構えた。その後ろで、ミレイアステルも黒いワンドを胸に引き寄せる。
アルミゲルの動きは速かった。
窓際から離れた男へ一足飛びに近づくと、構えた杖ごと袈裟斬りに切り伏せた。
「|雲間に眠る火《イグニス・インテル・ヌーベス・ドルミエンス》、虚空を裂く稲光」
フォルティスの低い詠唱が流れると、伸ばした手の中で白い光が弾け、細かな稲光が絡み合いながら、長い柄と鋭い穂先を形作っていく。
「我が手に降り、閃きを放て——轟き宿す天の穂」
フォルティスの手に、稲光に包まれた槍が現れたことに気づき、父を床へ横たえたヘレスは咄嗟に片手を掲げた。
「——防御!」
突き出された穂先は、間一髪張られた光の障壁にぶつかり、甲高い音が室内を満たす。しかし、その抵抗は一瞬で途切れ、砕けた光の向こうで、雷の槍がヘレスの胸を貫いた。
ヘレスの体が傾き、父のそばへ倒れ込んでも、フォルティスは顔色ひとつ変えない。穂先を引き抜くと、まとわりついた雷が、床へ落ちる血を白く照らした。
短剣を構えはしたものの、一歩も動けずにいたフィデリアの鼻に、濃密な血の匂いが漂ってくる。
残ったひとりは、目の前で起きた惨劇に目を剥いていたが、剣を構えて迫るアルミゲルの姿を見ると、踵を返して窓を破って外に飛び出した。
「誰か! 誰か来てくれ! モレリオ様が斬られた! フォルティスが——!」
外でざわめきが広がり、どこからか激しい鐘の音が響いてくる。
「アルミゲル、外へ行くぞ! 灰の手、お前たちも来い!」
「フォルティス様、これは……」
フォルティスはそれに答えず、槍を手に戸口へ向かう。アルミゲルも血のついた剣を下げたまま、その後ろに続いた。
部屋に残された、重なるように倒れたモレリオとヘレスの姿。フィデリアはその光景から目を逸らさず、確かめるように両手の短剣を握り直した。
「——駆けめぐる星環……」
詠唱に応じて、その手足に歪な光輪が浮かび上がっていく。
「フィデリア、私たち……」
「行こう、ミレイ」
* * *
警鐘を聞きつけたのか、家の前の道には、すでに何人もの男たちが集まり始めていた。薪を割る手を止め、斧を握ったまま駆けつけた者もいれば、杖を手に、家の陰からこちらを窺う者もいる。
「何があった! モレリオ様はどうした!」
先ほど部屋から逃れた男が、フォルティスを指さした。
「こいつらが、モレリオ様とヘレス様を……!」
その言葉が終わるより早く、近くにいた男が杖を突き出した。だが、詠唱を終える前に、フォルティスの槍が横薙ぎに振るわれる。胸を裂かれた体が道へ崩れ、まとわりつく雷が、隣で剣を抜きかけた者へも飛び移った。
悲鳴に重なって、別の場所から次々と詠唱が聞こえてくる。
「下がって、フィデリア。私の近くに!」
その状況を見て、ミレイアステルがワンドを掲げながら、フィデリアの前に踏み出た。
「黒き羽、揺らぎ集い、その身に隠し、|残照を閉ざせ《フルゴーレム・レリクウム・オックルーディテ》——宵まとう揺籠」
詠唱が終わると、周囲に黒い羽が舞い散り、二人の姿を覆い隠していく。
「これなら、どこから来ても……」
ミレイアステルが言いかけた途端に、二人に向かって複数の光の矢が放たれた。
矢は黒い羽に当たると衝撃音を残して消え去っていくが、当たった羽もまた消滅する。
「囲まれるとまずい。ミレイ、向こうへ!」
断続的に降り注ぐ魔法を、黒い羽が跳ね除ける中、二人は近くの家の壁際へ移り、壁を背にして状況を見渡そうとした。
「あそこだ、いたぞ!」
道から駆け上がってきた郷の住人が、羽の囲いの奥に二人の姿を見つけ、顔を向けた。
先頭に立つ男とは、昨日も道で挨拶を交わした。その後ろに続く男は、周囲の山々について話してくれた——。
その顔が、今は激しい怒りに歪み、その手は自分たちへ武器を向けている。
「待ってくれ!」
声をかけても、男は剣を下ろさずに踏み込んでくる。フィデリアはその刃をかわし、ミレイアステルから離れすぎないよう、足を運んだ。
「ぐあっ!」
「後ろから来てるぞ!」
フィデリアたちに迫った男たちを、後ろから次々と切り伏せたのはアルミゲルだった。
「——何をしている、迷う暇はないぞ」
その向こうでは、フォルティスが槍を振るうたび、周囲に雷が弾け、人々が倒れていた。
しかし、次第に家の間や坂の上からも人が集まり、いくつもの声が同時に詠唱を紡ぎ始めていく。
「——巡る小盾!」
浮遊する盾を呼び出すと、意を決したフィデリアは、近くでフォルティスに向けて詠唱を続ける男に目標を定め、一歩踏み出そうとした。
だがその時、フォルティスが槍を大きく振るって周囲の男たちを退かせ、アルミゲルのそばへ跳び退いた。
そのまま手にした槍を宙に放り上げると、その口から、新たな詠唱が流れ始める。
「紡がれし理、定めし因果、綾を乱し、虚ろに沈め——名を失う言葉」
次の瞬間、フィデリアの周囲に浮かんでいた盾が忽然と消え、ミレイアステルの黒い羽も、瞬きながら霞んでいった。
「星環が……」
フィデリアの手足に輝いていた光輪も姿を消し、魔法の助力を受けていた体に重さが戻ってくる。
同時に、家の軒先に浮かんでいた光の矢も、こちらへ向かっていた炎も、すべてが形を失っていた。
フォルティスの雷光を纏う槍も、空中で溶けるように消えていく。
「これは、フォルティス様の魔法か?」
ミレイアステルがもう一度詠唱し直すが、魔法名が結ばれても、何の現象も起きない。
周囲の魔法使いたちも同じだった。何度詠唱を繰り返しても何も起こらず、杖を振る手が止まっていく。
「アルミゲル、剣を!」
アルミゲルは腰の反対側に帯びていた予備の剣を抜き、恭しくフォルティスに差し出した。
片手剣を受け取ったフォルティスは、そのまま近くで狼狽する男に近づくと、躊躇なく斬り倒す。
そして、魔法が消えても、戦士であるアルミゲルの動きは変わらない。
魔法を失ったことを悟った魔法使いたちが、手に手に刃物や薪割りの斧を握り直すが、アルミゲルは男たちの攻撃を盾で受け止め、剣を振り回してフォルティスの行く手を開いていく。
「ミレイ、気をつけて!」
自分たちも魔法が使えなくなることは分かっていたはずだが、フォルティスにとっては、それも取るに足らないことなのだろうか。
フィデリアは心の中で舌打ちしつつ、この状況を切り抜けるべく、周囲に視線を巡らせていく。
再び二人の姿を見つけた郷の住人が、怒りの形相を浮かべて重い斧を振りかざした。
前に出たフィデリアが、咄嗟に短剣で横へ逸らすが、手首に重い衝撃が走る。
「——っ、放して!」
横合いから迫った別の男が、ミレイアステルの腕を掴んだ。黒いローブの袖を強く引かれると、ミレイアステルはバランスを崩して地面に転がってしまう。
男の手に握られた短い刃物が、フィデリアの視界の隅で光った。
フィデリアが駆け寄ろうとすると、目の前の男が立ち塞がり、再び斧を振り上げる。
「くそ! 邪魔をするな!」
右手の短剣が男の肘を切り裂き、同時に左手の短剣が喉笛に突き立てられた。
そのままの勢いで、ミレイアステルに刃物を突き立てようとする男の脇へ飛び込む。
フィデリアの短剣は、あっという間に男の右手を斬り落とし、続けざまにもう一方の短剣が顎の下から突き立てられた。
「大丈夫か? 怪我はない?」
フィデリアはミレイアステルを立たせると、その無事を確認してほっと息をついた。
「——移動するぞ! 灰の手、お前たちも来い!」
ちょうどその時、道の下手から、フォルティスの声がした。
剣を手にしたフォルティスが郷の入口へと道を下り始め、その後をアルミゲルが追っていく。
フィデリアはその声に頷くと、ミレイアステルを背に、郷の入口があるほうへと走り出した。
「通すか、人殺し!」
「殺せ!」
「追い込め!」
なおも殺到する男たちをアルミゲルが退け、その混乱を縫ってフィデリアたちも進む。
襲いかかる剣を逸らし、フィデリアの短剣が吸い込まれるように相手の急所をつく。
「そろそろ良いだろう」
そう呟いたフォルティスが、懐から小ぶりな杖を取り出した。
「白き光、来たれ、矢となり、彼の者を貫け——光矢」
詠唱が流れると、その頭上に十本以上の光の矢が現れ、坂の下で道を塞いでいた者たちを貫いていく。
「ミレイ、もう魔法が使える!」
フィデリアの声に、ミレイアステルが反応した。
「闇の奥、光を歪め、音なき空を、裂き、堕ちよ——夜を灼く逆しまの閃き」
二つの黒球から放たれた黒い雷が、なお残っていた男たちを貫いていく。
「——フィデリア、私だって赤杯よ」
ミレイアステルは振り向きながらそう言ったが、堅く噛み締めた唇の端や、ワンドを握りしめる手が、細かく震えているのを、フィデリアは見逃さなかった。
「……ああ、行こう」
フィデリアは片方の短剣を鞘へ戻すと、ミレイアステルの手を取り、フォルティスたちの後を追った。
「灰の手、お前たちもよくやったぞ! あとは私に任せろ」
郷の入口まで下りたところで、フォルティスが足を止める。
杖をしまい、代わりに懐から取り出したのは、琥珀色の宝玉だった。
「待ってください! これ以上は!」
フィデリアは、フォルティスへ駆け寄りながら声を上げるが、振り返ったフォルティスの口の端にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
「知識はな、知っている者が少ない方が価値があるのだ」
なおも詰め寄ろうとしたフィデリアの腕を、アルミゲルが掴み、強引に引き戻す。
「眠れる種子、昏き花弁、虚空に根差し、咲き開け——終わり告げる徒花」
魔法名が結ばれると、あたり一面に黒い蕾が浮かび上がった。
中空から生じた無数の蕾は、風に流され郷全体に広がっていく。軒先や道の上へとゆっくり降り、坂の奥にも、広場にも、同じものが次々に現れていた。
突然の異変に家々の戸口に人影が現れ、道に出ていた者たちも足を止めて、降ってくる蕾を見上げている。
「逃げろ!」
フィデリアが叫んだその瞬間、黒い蕾が一斉に花を咲かせ始めた。
重なり合っていた花弁がほどけると、内側から光が溢れ、道も戸口も見えなくなるほどの閃きが広がっていく。
すさまじい爆音が谷を満たした。
土と石が吹き上がり、戸板が砕け、屋根の一部が崩れ落ちる。一つの爆発が収まる前に、隣の家でも、その向こうの広場でも、開いた花が次々と破壊を撒き散らしていく。




