十四. 静けさの綻び
カルディナから北西へ進むにつれ、街道の先には山々が重なって見えるようになる。山裾に家々が集まるヴェルノの町では、荷を積み直す商人に交じって、山道を下ってきた馬を休ませる者の姿もあった。
アウルスの命を受けてカルディナを発ったインダリオは、取り調べで得られた手掛かりを追い、アルドゥア山地へと向かっていた。その途中にあるこの町では、先に周辺の調査へ向かわせていた二人の部下と、落ち合う手筈になっている。
待ち合わせの宿へ馬を引いていくと、裏手の厩のそばに、背の高い男の姿があった。こちらに気づくと、手にしていた荷袋を置き、歩み寄ってくる。
男はインダリオと同じ外套を羽織っていて、その胸元には特徴的な杖と斧を交差させた紋章が縫い取られている。その紋章は、評議会の捜査官を表すものだった。
「お待ちしていました、執行官殿。道中、変わりはありませんでしたか」
「ああ、問題ない。そちらはどうだ、セドロ」
「山へ入る道は確認済みです。——詳しくは中で」
宿の一室へ落ち着くと、セドロは卓に広げていた地図を窓際へ寄せた。山道の脇に書き込まれた目印を指で辿りながら、調べたことを話し始める。
「アルドゥア山地に住み、古い魔法の知識を守っている一族。その話を山で薬草を採る者に聞いてみたところ、クストスという名が出てきました」
「クストス、聞いたことがあるな。『荒れ地』にほど近い山中に住む一族だと」
セドロはインダリオの言葉に顔をあげると、その印象的な三白眼をすっと細めた。
「ご存知でしたか、その通りです。郷の者が街に降りてくることもあるそうで、そこへ通じる道を教えてもらえました。そちらは、すでにリマトルが調べに出ています」
セドロが示す道は、街道から離れ、山の奥へと続いている。順調に進めば、ここからは馬で一日ほどの距離のようだ。
「アウルス様の取り調べでは、その後、何か分かったのでしょうか」
「いや、新しい情報はないが、しかし、触媒の横流し先はやつで間違いない」
「やはり、フォルティスですか……」
アウルスが長年追っていた相手とは、当代最強と謳われる魔法使い、フォルティスだった。
「あいつらはフォルティスの求めに応じ、クストスの民との仲介をしていた。もちろんたっぷりと報酬をもらってな」
「では、フォルティスはすでに目的を果たしているのでしょうか」
インダリオは地図から目を離すと、窓から外へと視線を向けた。西部地域と『荒れ地』とを分かつアルドゥア山脈。その頂上付近にはうっすらと白いものが積もっている。
「仲介の要請は何度かあったようだが、最近は護衛を伴ったフォルティスだけが赴いているとか。察するに、フォルティスとクストスの間の取引は、うまく進んでいないのではないかな」
二人が状況を確認していると、ノックの音が響き、ついで野太い声が扉の向こうから聞こえてきた。
「——戻りました」
部屋に入ってきた男は、セドロと同じく評議会の外套を羽織り、その顔は濃い髭に覆われていた。
「遅かったな、リマトル」
「お待たせするつもりはなかったのですが、途中で少々道を外れまして」
リマトルの顎を覆う髭には、木の葉がひとつ絡んでいた。セドロが指で示すと、リマトルはそれを摘み取って苦笑する。
「ということは、何か見つかったのか」
「はい。郷に向かう山道の途中に野営した跡を見つけました。ほんの数日前のものです」
「人数は?」
「おそらく四人です。ひとつだけ深い足跡があったところを見ると、戦士がひとり、残りは軽装の人間です」
リマトルは卓に広げられた地図の上に、手書きのメモを重ねる。
「よし、支度ができ次第出発だ」
* * *
ヴェルノの町から離れると、道沿いに続いていた畑が途切れ、斜面には葉を落とした木々が目立つようになった。街道を外れてからは荷車の轍もなくなり、三人は馬を一列にして、石の多い坂を上っていく。
リマトルが見つけた野営の跡は、道から少し下った、風を避けられる窪地にあった。馬を降りて近づくと、寄せ集めた石の間に黒い燃えさしが残り、周囲の枯れ草も、人が横になったように倒れている。
「リマトル、頼む」
リマトルは野営跡と思われる場所に近づくと、腰に下げた小ぶりな杖を引き抜き、前方に掲げる。
「凪ぎし水面、消えゆく波紋、乱れし綾を、淡く浮かべ——薄明の星図」
詠唱が終わると、杖の先から淡い光が広がり、地面を覆う草や、落ち葉の重なりを透かすようにして、細い線が浮かび上がってくる。
「……見えました」
焚き火の周りには靴底の形が幾重にも重なり、そばの木の根元にも、蹄鉄が残した弧が点々と続いていた。
人の手が加わった跡は、時が経つにつれて、風や雨に紛れてしまうが、リマトルの〈薄明の星図〉は、その消えかけた痕跡を遡り、目に見える形へと浮かび上がらせることができる。
リマトルが道へ向かって杖を動かすと、枯れ草の間に埋もれていた跡は、斜面を上るにつれて途切れがちになりながらも、山道へとつながっていた。
「これが一番新しいようです」
「いつくらいのものか分かるか?」
「お待ちください」
リマトルは地面にしゃがみこみ、浮き上がった痕跡に目を凝らす。
「——かなり新しいですね。一日か、二日」
インダリオは頷くと、隣で地図に目を落としているセドロに向き直った。
「セドロ、クストスまであとどれくらいだ?」
「もうすぐです。あの尾根を回れば郷が見えてくるはずです」
セドロが指さす方向を見て、痕跡を辿っていたリマトルが頷きながら馬へと戻ってきた。
「足跡もそちらに向かっています。間違いないようですね」
インダリオは二人の言葉に頷くと、腰袋に手を入れた。
取り出したのは、細い鎖につながった真鍮の円盤だった。
鎖を指に掛けて吊り下げると、掌に収まるほどのそれが、ゆっくりと揺れる。表面には細かな目盛りが刻まれ、その上に、複雑な透かしのある薄い板が重ねられている。
「まだ観象儀に変化はないな」
「今のところは大人しくしているということですか」
観象儀は、魔法が『世界』に生じさせる歪みを捉えるための魔法具だ。フォルティスほどの魔法使いが強大な魔法を使えば、必ず反応が現れるはずだった。
「よし、まずは郷の位置を確認する。だが、踏み込むのは——言い逃れのできない証拠を掴んでからだ」
「先導します!」
リマトルが馬に飛び乗り先を行くと、その後にインダリオ、最後尾を長身のセドロが、背後を警戒しながら続いた。
木々の間へ戻った三人の後ろで、草に浮かんだ淡い光が、次第に薄れていく。
道は谷側へ落ちる斜面に沿って狭まり、すぐ先にある尾根へと続いていた。日が差す場所では霜も消えていたが、山陰にはまだ白いものが残っている。風に揺れる枝が触れ合い、乾いた音を立てていた。
尾根を回り込む道にさしかかった時、インダリオの腰袋がブルブルと震え出し、中から薄い金属が触れ合う音が響いた。
「待て!」
インダリオが馬を止めて観象儀を取り出すと、重なり合った盤が小刻みに震え、刻まれた模様が目盛りからずれていく。
「どうされましたか」
後ろから声をかけたセドロも、インダリオの手元を見ると口を閉じた。先頭を進んでいたリマトルが振り返り、馬を止める。
インダリオは鎖を指に掛け、観象儀を吊り下げた。細かな震えが鎖を伝わって指先にも響く中、揺れ続ける盤の目盛りを確かめる。
「観測したぞ、かなり大きい」
インダリオが顔を向けたのは、木々に遮られた尾根の向こうだった。
「クストスの郷……」
「よし、急ぐぞ!」
観象儀を収めると、インダリオは馬を促した。三頭の馬の足音が速まり、尾根へと続く山道に響いていった。




