十一. 古き根より芽は育つ
街道を離れて山道を進むようになってから、旅の間に見かけていた荷車や、道を行き交う人々の姿はすっかり途絶えていた。
斜面に沿った細い道のところどころには霜が残り、木々の間を吹き抜ける風が、馬の鬣を揺らしている。
「ここらで休憩を取っておこう」
道が少し広くなったところで、先頭を行くフォルティスが馬を止めた。
岩に腰を下ろしたフォルティスに、背後に立った鎧の男が、水が入った革袋を手渡す。
整えられた口髭が印象的なその男は、腰に長剣を下げていた。そばの木に盾を立てかけてはいるが、その黒い瞳は、進んできた道や、斜面の上の木々へと向けられている。
「アルミゲルさんも、少しお休みになっては?」
ミレイアステルが声をかけると、男は軽く首を振った。
「私は平気だ。君たちは休んでいてくれ」
その名を聞いたのは、モエニアの宿でフォルティスと落ち合った時だった。
旅の支度を終えた二人を迎えたフォルティスは、そばに控えていた彼を呼び、今回ともに向かう護衛だと紹介した。
「こいつは昔からこうでな。私が休んでいる間くらいは座れと言っても、なかなか聞かん」
フォルティスが笑いながら言うものの、アルミゲルは答えず、そのまま道の向こうへ注意を戻している。
アルミゲルが魔法使いではないと聞いて、フィデリアは少し意外に思ったものだ。だが、フォルティスが細かなことを言わずとも、彼は行き先や、その時々にするべきことを心得ている。この五日間の旅の中で、その関係は分かってきた。
「もう間もなくでしょうか」
ミレイアステルの隣に腰掛けたフィデリアが、道の先に目を向ける。
「そうだな。あの尾根を回れば、クストスの郷が見えてくるはずだ」
「フォルティス様は、郷に行かれたことがあるのですか?」
「ふん、もう何度も出向いている。頑固なやつらで、なかなか首を縦に振らんかったが、ようやく話を聞く気になったらしい」
「冬になる前に間に合って良かったですね」
王都の北西地域に広がるアルドゥア山地と呼ばれるこの一帯は、冬になると山道は深い雪に閉ざされ、郷へ通じる道もほとんど人が通らなくなる。
「お前たちには少々退屈な旅かもしれんがな」
「いえ、何もないほうが、護衛としてはありがたいです」
フィデリアがそう答えると、フォルティスは愉快そうに声を上げた。
「違いない。私も、ようやくここまで来たのだから、余計なことに時間を取られたくはない」
出発前には、ノヴェリスから失敗は許されないと念を押されていた。名高い魔法使いを相手に、どのように接したものかと気を張ってもいたが、道中のフォルティスは、思っていたよりもずっと気さくで、休憩や食事の間には、自分から二人に話しかけてくる。
無骨な風貌と、よく通る声で豪快に笑う姿を見ていると、やはり魔法使いというより、長く旅を続けてきた戦士のようだった。
「——クストスの一族は、古くから魔法の根源に関する知識を守っている」
フォルティスは凝り固まった体をほぐすようにして、首を回しながら話し出した。
「長く交渉を続けてきたが、ようやく条件が揃った」
フィデリアたちが聞かされていたのは、フォルティスが古い記録を見に行くということだけだった。自分たちから詳細を尋ねることはなく、ここまでの道中でも話題にあがらなかったが、目的地に近づいたことで、フォルティスも気持ちが昂っているのだろうか。
「それほどに貴重なものなのですか?」
「誰もが役立てられるものではない。だが、私にとっては、何物にも代えられぬほど貴重だ」
やがて休憩を終えた四人は、再び馬に乗って山道を進み始めた。谷へと落ちる斜面に沿って道が狭くなると、アルミゲルが先頭になり、一列になってゆっくりと進んでいく。
木々に遮られていた視界が開けると、向かい合う山の間に、細長い谷が広がり、その底を流れる小川に沿って、いくつもの家が集まっていた。
低い石積みの基礎に木を組んだ家々は、斜面の段差に合わせて建てられ、屋根から立ち上る煙が、谷の中をゆっくりと流れていた。周囲には小さな畑があり、冬の間は使われないのか、畝の上には枯れ草が残っている。
「あれがクストスの郷だ」
谷へ下る道の先、郷の入口には木の柵が巡らされ、数人の男たちが立っていた。近づいてくる馬の足音に気づくと、そのうちのひとりが歩み寄ってきた。
「止まれ、何者だ」
「フォルティスだ。モレリオ殿に話が通ってると思うが」
その名乗りを聞くと、見張りの男は背筋を伸ばし礼を返した。
「——お待ちしておりました。ご案内します」
「世話になる。同行する三人も一緒で構わんな」
「はい。皆様、馬はあちらに」
入口で馬を預けた一同は、案内の男について郷の中へ入った。踏み固められた道の両側には家が並び、薪を割る音に、家の中から響く声が重なって聞こえてくる。
その声のいくつかは、四人が通りかかると途切れた。戸口から顔を出す者や、荷を運ぶ手を止める者がいて、誰もが珍しそうにこちらを見ている。
冬の迫る山間の郷を訪れる者など、そうはいないのだろう。
フィデリアとミレイアステルは、そうした視線を気にしながらも、すれ違う人々に軽く頭を下げて歩いた。
家の軒先で豆を選り分けていた女が、膝の上の籠を脇に置き、子供たちに声をかけた。小さな子供が二人、道の端からこちらを覗いていたが、その声にも戻ろうとはせず、盾を背負った鎧姿のアルミゲルに目を丸くしている。
「母さん、あれは何?」
「駄目よ、そんなに近づいては」
女に腕を引かれても、子供は振り返りながら四人を見送った。
「私たちのことが、珍しいみたいね」
「そうだな。ずっと見られてる」
フィデリアも答えながら、母親のそばに身を寄せる子供たちへと目を向けた。注意されたばかりなのに、その腕に掴まって、まだ何かを尋ねている。女も手元の仕事を再開しながら、子供の言葉には耳を傾けていた。
母親のそばで話し続ける子供たちの姿を、二人は知らず目で追っていた。
「お待ちしておりました、フォルティス殿。遠いところを、ようこそ」
案内されたのは、郷の奥にある、ほかよりも大きな家だった。広い軒先には薪が積まれ、入口の前で老人が出迎えた。
ゆったりとした長衣に身を包み、顔には深い皺が刻まれていたが、背筋は真っ直ぐに伸びている。フォルティスから後ろに続く三人へと移る視線は鋭く、フィデリアも思わず姿勢を正した。
「この日を待ちわびたぞ、モレリオ殿。感謝する」
その言葉に老人が微笑むと、目元の皺が深くなり、先ほどの鋭さは影を潜めていった。
フォルティスも親しげな笑顔でその前へ歩み出ると、二人は静かに握手を交わした。




