■ 第221話:這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)。……えっ、熱中症対策の甚平(じんべい)おじさんですか?
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【場所:天界・管理室】
『……ふぁ〜ぁ。じゃあ、ボクが下界に行って……』
怠惰神ターラが、抱き枕を引きずりながら下界へのゲートに向かおうとした、その時である。
『待てェェェェッ!! まだだ! まだ俺のターンは終了してねぇッ!!』
すっかりボロボロになった邪神アビスが、ターラの足首にすがりついて絶叫した。
『このまま「お笑い枠」で終わってたまルカァァァッ!! ドラマスやルキアはいい! だが、俺は邪神だぞ!? 宇宙的恐怖の体現者だぞ!? 一回くらい、勇者を絶望で泣かせてみせねぇと俺のプライドが許さねぇんだよォォォッ!!』
『えぇ〜、めんどくさいなぁ……。アビス君、もう諦めなよぉ』
ターラが呆れ顔で言うが、アビスは血走った目でコンソールを叩いた。
『フハハハ! 最後の切り札だ!! これまでの魔物は所詮、知能の低い「獣」か「作業員」に過ぎなかった! だが今度送るのは、千の姿と究極の知性を持つ、邪神の右腕たる最強の代行者……【這い寄る混沌】だ!!』
モニターに映し出されたのは、真っ黒な高級スーツに身を包んだ、怪しくも端正な顔立ちの男だった。
『奴は暴力など使わん! 言葉巧みに人間の欲望を操り、破滅の「契約書」にサインさせる天才的な詐欺師だ! ヒナタが料理を出す前に、奴の巧みな話術によって、あの農園の権利も、仲間たちの魂も、すべて合法的に巻き上げてやるわァァァッ!!』
【場所:王都から徒歩2日ちょっとの「せせらぎの川辺」・炎天下の午後】
ジリジリと照りつける太陽。
農園では、ヒナタたちが夏野菜の収穫に精を出していた。
そこへ、周囲ののどかな風景には全く似つかわしくない、「漆黒のスーツをビシッと着込んだ男」が、革靴を鳴らして優雅に歩み寄ってきた。
「フフフ……。ご機嫌麗しゅう、勇者ヒナタ殿」
ニャルラトホテプ(人間形態)は、慇懃無礼な笑みを浮かべ、手にした黒いアタッシュケースをパチンと開けた。
中には、びっしりと呪いのルーン文字で書かれた「魂の譲渡契約書」が入っている。
「私はしがない行商人。本日は、この素晴らしい農園をさらに豊かにする、魔法の契約をお持ちしまし……」
「あーーーーッ!! ちょっと待ってください!!」
ニャルラトホテプが美声で詐欺の口上を述べ始めた、まさにその瞬間。
麦わら帽子を被ったヒナタが、信じられないものを見る目で駆け寄ってきた。
(天界のアビスが『よし! まずは会話の主導権を握れニャルラトホテプ!』と拳を握る)
「お兄さん!! こんな雲一つない炎天下で、全身真っ黒なウールのスーツに、ネクタイまでキッチリ締めてるなんて!! 正気ですか!?」
「……は?」
這い寄る混沌の滑らかな舌が、ポカンと止まった。
「顔面蒼白じゃないですか! しかも額から滝みたいに汗をかいてる! これ、完全に【熱中症の初期症状(レベル2)】ですよ!!」
「い、いや、私は別に暑いわけでは……この黒スーツは私のトレードマークであり、這い寄る混沌としてのアイデンティティで……」
「アイデンティティより命の方が大事です!! ゴズさん! アダムさん! お兄さんのその暑苦しい上着とネクタイ、今すぐ引っぺがしてください!!」
「ブモォ! 任せとけ!」
「ウオォ! ヌガセル!」
「えっ!? ちょっ、やめ、ああっ!!」
怪力コンビのミノタウロスと人造人間に両腕をガッチリとホールドされ、ニャルラトホテプの誇り高き漆黒のオーダースーツは、あっという間にひん剥かれてしまった。
「モルガナさーん! 緊急の『特製・経口補水液(塩レモンとハーブのポカリ)』をお願いします!」
「ヒッヒッヒ、できてるよ! ほら、一気に飲み干しな!」
「むぐっ!? ぐぶッ、ゴクッ、ゴクッ……!!」
魔女モルガナによって、無理やり口に漏斗を突っ込まれ、失われた塩分とミネラルを完璧に補給する特製ドリンクを流し込まれる。
「アルカードさん! 日傘で日陰を作ってあげて!」
「うむ、任せておけ! 黒服の同好の士よ、真夏の太陽を舐めてはいかんぞ!」
「ローランさん、氷嚢を脇の下と首の横に!」
「おう! 頸動脈を冷やすのが一番効くからな!」
怒涛の【熱中症・緊急救命プロトコル】である。
宇宙の混沌たるニャルラトホテプは、契約書を広げる隙など1ミリも与えられないまま、あっという間にスーツを剥ぎ取られ、代わりにヒナタが用意した風通し抜群の【涼しい麻の甚平】に着替えさせられてしまった。
さらに、縁側の「特等席(冷感ひんやり竹マットの上)」に寝かされ、おでこには『冷えピタ』を貼られ、ミ=ゴたちが団扇でパタパタと心地よい風を送ってくる。
「……あ、あれ……?」
ニャルラトホテプは、冷えピタを貼られたままパチクリと瞬きをした。
「どうですか? だいぶ身体の熱が引いて、楽になったんじゃないですか?」
ヒナタがニコニコと笑いながら、よく冷えたスイカの切り身をお盆に乗せて持ってきた。
「サクッ……。……あ、甘い……。冷たくて、美味しい……」
ニャルラトホテプは、縁側で風鈴の音を聞きながら、甚平姿でスイカをかじった。
(実は彼、黒スーツでカッコつけていただけで、人間形態の時は普通に気温の影響を受けるため、内心『今日めっちゃ暑いな……』と死にそうになっていたのだ)。
「……ふぅ。ありがとう、人間の若者よ。危うく太陽の熱線で蒸発するところだった……」
「営業のお仕事も大変ですけど、真夏はクールビズにしないと倒れちゃいますよ。ほら、もう一切れどうぞ」
「うむ。かたじけない……。あ、塩を少々振ってもらえるかな?」
もはやそこには、世界を破滅に導く邪神の右腕はいなかった。
いるのはただの、スイカに塩を振ってもらって縁側でくつろぐ「夏休みを満喫する甚平のおじさん」であった。
【場所:天界・管理室】
『なんで俺の最強の代行者が、甚平着て冷えピタ貼られてスイカ食ってんだァァァァッ!!』
邪神アビスは、もはやお約束を超えた美しさすらあるフォームで、顔面から床に崩れ落ちた。
『狡猾な契約書で魂を奪うはずだっただろうが!! なんで「真夏に黒スーツなんて熱中症になりますよ!」って上着ひん剥かれて、経口補水液飲まされて看病されてんだよォォォッ!!』
その後ろでは、武神、幻神、激動神の三柱が、肩を組んで静かに頷き合っている。
『アビスよ、これで分かっただろう……』
ドラマスが、慈愛に満ちた声でアビスの背中を撫でた。
『あいつの前では、物理も、精神も、そして「悪知恵」すらも意味を為さない。すべての悪意は「体調不良」として処理され、健康的なスローライフへと強制的に治療されてしまうのだ……』
『ひぃっ……ゲホッ、ヒィーッヒッヒッヒ!!』
地球の神様は、もはや声も出ないほど笑い転げ、ソファの上でビチビチと魚のように跳ねていた。
『最高だ! 「宇宙的恐怖」が「夏の暑さ(熱中症)」に負けた瞬間だよ!!』
『う、ううっ……! 俺の……俺のコズミック・ホラーがぁぁぁ……ッ!!』
こうして、邪神アビスの最後の意地であった「這い寄る混沌」の投入も、ヒナタの容赦ない健康管理の前に完全敗北を喫した。
『あーあ。アビス君も終わったみたいだし、いよいよボクの出番だね……ふわぁ』
涙に暮れる神々を尻目に、怠惰神ターラが抱き枕をギュッと抱きしめ、ついにゲートの前に立った。
敵意ゼロ、悪意ゼロ、ただただ「ヒナタに甘やかされて堕落したい」という最凶のダメ神様が、いよいよ下界へと降臨する……!!
(第221話・完)
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ヒナタのマイペースな異世界蹂躙はまだまだ続きます。魔王軍の胃の痛みが限界を迎える前に、ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】からの評価や、ブックマークでの応援をよろしくお願いいたします!
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