第7話:(後編)【人怖】見えない視線の正体
「……さあ、陽葵さん。ここが君の新しい『聖域』だ。外の汚い空気も、あのガサツな現場監督も、理屈っぽい建築士もいない。僕と君、二人だけの完璧な間取りだよ」
田中が、フラフラと陽葵に歩み寄る。壁一面を埋め尽くす盗撮写真が、夕闇の中で鱗のように不気味に光っていた。
陽葵は、逃げるどころか、悲しげに周囲を見渡した。
「……田中さん。……あらあら。このお部屋、動線がめちゃくちゃですわ」
「え……?」
予想外の指摘に、田中の動きが止まる。
「家具の配置も、窓を塞ぐ釘の打ち方も、まるでお部屋が泣いているようです。……あなたは、私を閉じ込めるために、この大切なお家を傷つけたのですね」
「な、何を言っているんだ! これは愛だ! 君を守るためのリフォームなんだ!」
「いいえ。……九条工務店の一員として、こんな『悪意ある改築』、見過ごせませんわ」
陽葵が、懐から数珠を静かに取り出した。
彼女の周囲に、柔らかな、しかし逃れようのない威圧感を伴った白光が渦巻き始める。
「【清めたまえ、祓いたまえ。歪みし心、壊れし礎。……光の楔よ、偽りの壁を打ち砕け】!!」
陽葵が喝破した瞬間、凄まじい衝撃波が部屋中を駆け抜けた。
パキパキッ! と乾いた音が響き、窓に打ち付けられていた釘が次々と弾け飛ぶ。
壁に貼られていた無数の写真は、目に見えない突風に煽られ、渦を巻いて田中を直撃した。
「ぎゃあああああ!!」
自分の執着の塊に押し潰されるように、田中が床に転倒する。
ドゴォォォン!!
同時に、閉ざされていた和室の襖が、物理的な衝撃で粉砕された。
埃の中から現れたのは、肩にバールを担いだ凛と、手帳を片手にした結だった。
「待たせたな、陽葵! ……って、もう片付いとるやないか」
凛が、床に転がっている田中を見て呆れたように鼻を鳴らした。
「……陽葵。怪我はありませんか?」
結が、倒れた田中を一瞥もせずに陽葵に駆け寄る。
「ええ、大丈夫ですわ。……ただ、この方の『心の設計図』、あまりにも基礎が腐っていて……少し、本気で浄化してしまいました」
「……当然の処置です」
結は、震える田中を見下ろし、冷徹に告げた。
「田中さん。他人のプライバシーに無断で『増築』を試み、自由を拘束するのは、リフォームではなく監禁という犯罪です。……それに、この家の柱を傷つけた器物損壊の罪も重いですよ」
「う、うるさい! 僕は彼女を……!」
「……黙りなさい。……あなたの『声』、あまりにもノイズが酷くて耳が痛いですわ」
陽葵が、いつものおっとりした笑顔で、しかし絶対的な拒絶を込めて言い放った。
その迫力に、田中は完全に戦意を喪失し、その場に頽れた。
***
数時間後。
警察のパトカーが去り、空き家には再び静寂が戻った。
美しく月が昇る中、三人は建物の前で後片付けをしていた。
「……ふぅ。幽霊より、生身の人間の方がよっぽど質が悪いですわね」
陽葵が、乱れた髪を整えながら溜息をつく。
「せやな。……でも陽葵、あの『物理的な衝撃波』、凄かったぞ。うちのバールの出番、ほとんどなかったやんか」
凛が、少しだけ寂しそうに笑った。
「……九条工務店には、武闘派が二人も必要ありませんから。……私は、あくまで『お掃除担当』ですわ」
陽葵は、カバンから大切に持っていた『うさぎ屋』の箱を取り出した。
「……さて。事務所に戻って、桜餅を食べましょう? 今日は私、三つ食べてもいいかしら?」
「三つ!? あんた、食べ過ぎや! うちは一つで我慢しとるのに!」
「……凛、陽葵。……帰る前に、一カ所だけ寄らせてください」
結が、事務所のワゴン車のエンジンをかけながら言った。
「え? どこへ行くんですの?」
「……ホームセンターです。……事務所の防犯リフォーム用の、最新センサーを買いに行きます。……二度と、不純な動線が入り込まないように」
「……結ちゃん、仕事熱心すぎますわ……」
三人の賑やかな声が、夜の住宅街に響いていく。
ストーカーという名の「人怖」を乗り越え、彼女たちの絆は、より強固な鉄筋コンクリートのように固まっていた。
***
その頃。
街の反対側にある、高層ビルの最上階。
黒いスーツに身を包んだ男――黒曜建設の鴉羽が、モニターに映る『九条工務店』の写真を眺めていた。
「……面白い。……ストーカーの悪意すら、建物の構造の一部として利用するとは。……九条結、君たちは、実に『壊しがい』のある作品だ」
男の背後で、真っ黒な影がゆらりと揺れた。




