第7話:(前編)【人怖】見えない視線の正体
春の陽気が差し込む、下町の商店街。
仕事帰りの佐藤陽葵は、お気に入りの和菓子屋『うさぎ屋』の暖簾をくぐろうとしていた。
「あら、季節限定の桜餅……。こしあん派としては、これは見逃せませんわ」
ふんわりとした私服にエプロン姿の陽葵が、ショーケースを前に悩ましげに指をあごに当てていると、背後から声をかけられた。
「……あの、陽葵さん? やっぱり、陽葵さんだ!」
振り返ると、そこには以前、第1話で孤独死物件の整理を依頼してきた不動産管理会社の担当者、田中が立っていた。当時は疲れ切っていた彼だが、今は妙にテカテカとした笑顔を浮かべている。
「田中さん、お久しぶりですわ。お元気そうで何よりです」
「はい! あの日、陽葵さんに『あなたの心の風通しを良くしてくださいね』って言われてから、僕、人生が変わったんです! 毎日、あなたの祝詞を録音したボイスメモを聴きながら寝ているんですよ。……あ、これ、お礼です。受け取ってください!」
田中が差し出してきたのは、ピンク色の可愛らしい包装紙に包まれた箱だった。だが、陽葵がそれを受け取ろうとした瞬間、彼女の優れた聴覚が、田中のポケットの中から響く小さな異音を捉えた。
――カチッ、カチッ……。
それは、スマートフォンの連写シャッター音。それも、音を消すアプリを使い損ねたような、微かで、しかし執拗な機械音だ。
「……あら。田中さん、何かお急ぎかしら? ポケットの中で機械が鳴っていますわよ」
「えっ!? あ、いや、これは……アラームです! じゃあ、またすぐに会いに行きますから!」
田中は顔を赤くして、逃げるように去っていった。
陽葵は、彼が残した箱をじっと見つめた。その箱からは、お菓子の匂いに混じって、ネットリとした「執着」の匂いが微かに漂っている。
「……困りましたわ。……浄化しても、落ちそうにない『音』が聞こえてしまいました」
***
翌日、九条工務店の事務所。
デスクの上には、今日も差出人不明の花束と、厚みのある手紙が置かれていた。
「……また来とるな。陽葵、これでもう五通目やぞ」
凛が不快そうに鼻を鳴らし、手紙を指先でつまみ上げた。
「(クンクン)……。あぁ、最悪や。古い線香の匂いと、脂汗が染み込んだ紙の匂い。……あの田中って奴やな。執念が腐り始めてるわ」
結が、事務所の窓際で遮光カーテンの隙間から外を覗き込んだ。
「……向かいの雑居ビルの三階。空き室のはずですが、窓の奥に望遠レンズが見えます。……真っ黒なオーラが、この事務所に突き刺さっていますね」
結はカーテンをぴっちりと閉め、陽葵に向き直った。
「陽葵。これはもはや『霊障』ではなく、明確な『ストーカー事案』です。……彼の目的は、あなたを自分だけの『聖域』に閉じ込めることにある」
「手紙にも書いてありましたわ。『君は天使だから、汚い世の中から救い出してあげる』って。……でも、私の仕事は家を直すこと。……彼に、私の居場所を決められる筋合いはありません」
陽葵の瞳から、いつものおっとりした光が消え、静かな決意が宿った。
その時、陽葵のスマートフォンに一通のメールが届く。
『陽葵さん。……君が以前、インテリアの相談に乗ってくれたあの空き家。……あそこで、君を待っている。……二人だけの、完璧なリフォームを完成させよう』
それは、かつて陽葵が仕事で訪れたことのある、郊外の古い空き家の住所だった。
「……罠ですね」
結が短く言った。
「罠やろうな。……でも、行かな収まらんやろ」
凛がバールを肩に担ぎ、ニヤリと笑った。
「ええ。……工務店として、勝手な『リフォーム』は見過ごせません。……凛ちゃん、結ちゃん。……私を、餌に使ってくださいな」
陽葵は、お気に入りの数珠を手に取り、聖女のような冷徹な微笑みを浮かべた。
***
夕暮れ時。
指定された空き家は、不気味なほど静まり返っていた。
陽葵は一人、軋む床を踏みしめて中へと入っていく。
「……田中さん? いらっしゃいますか?」
廊下の奥、かつての和室だった場所から、カチ、カチという、あの機械音が響いてきた。
「……さあ、陽葵さん。入って。……ここは、僕が君のために作った『楽園』だよ」
襖が開いた瞬間、陽葵の目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
壁一面に貼られた陽葵の盗撮写真。そして、部屋の中央には、不自然な方向に曲げられた家具や、外から釘を打ち付けられた窓。
田中が、暗闇の中で狂気じみた笑顔を浮かべて立っていた。
「……見て。この部屋の動線は、君が僕から離れられないように設計したんだ。……さあ、ここで永遠に、僕のために祝詞を唱えておくれよ!」
ガチャン! と背後の扉が閉まり、施錠される音がした。




