第6話:(後編)凛の災難・ガテン系合コン?
「……壁の向こうに、誰かおるな?」
凛の声が低く響き、美咲さんのワンルームに緊張が走った。
クローゼットの奥、不自然に音が軽い壁の一点。そこから、カサカサと何かが這い回るような、湿った音が漏れ聞こえてくる。
「凛、陽葵、下がってください。……美咲さんも」
結がメジャーを仕舞い、カバンからレーザー墨出し器を取り出した。
「この部屋の設計図上、クローゼットの裏は隣室との境界壁(戸境壁)のはず。ですが、実測値では三〇センチの『隙間』が存在します。……断熱材を入れるにしても広すぎる」
「結、これ……隣の部屋から繋がっとるんやな?」
凛がバールを握り直し、鼻をヒクつかせた。
「安物の柔軟剤の匂いが強なった。……おまけに、この壁の裏、隠しカメラの配線がびっしりや。機械が熱持っとる」
「陽葵、声を確認してください」
陽葵が壁にそっと手を触れる。
「……聞こえますわ。……『僕の美咲ちゃん』、『今日も可愛いね』、『家具の配置、こっちの方が風水的に良いのに』……。あぁ、なんて身勝手で、淀んだ独り言……」
その瞬間、壁の裏側で『ガタン!』と大きな音がした。
自分たちの存在がバレたことを察したのか、何者かが逃げようとしている。
「逃がすかぁ! ……【乾の角、坤の境、我が領域に逃げ場なし】!!」
凛が叫び、玄関のドアノブに素早く清め塩を塗りつけ、結界を張った。
「マンションの廊下には出させへんで! ……結、こじ開けるぞ!」
「許可します。……ただし、美咲さんの財産ですから、最小限の破壊で」
「合点承知! ……おりゃあああ!!」
凛がバールの一撃を、壁の継ぎ目に叩き込んだ。
ベリベリと石膏ボードが剥がれ落ち、そこには――人間一人が、ようやく這って歩けるほどの『隠し通路』が露わになった。
通路の奥には、モニターが数台置かれ、美咲さんの部屋を盗撮する映像が映し出されている。
そして、そこには青白い顔をした男が、蜘蛛のようにうずくまっていた。
「……な、なんだよお前ら! 僕は、彼女を『守って』あげているだけだ! この部屋のリフォームをしたのは僕なんだぞ!」
男は、黒曜建設のロゴが入った古い作業着を着ていた。
結は、男を冷徹な目で見下ろした。
「……やはり。黒曜建設の元社員ですね。……リフォーム時に、独断で設計を変更し、自分専用の覗き見通路を設けた。……建築士としての倫理を、どこに捨ててきたのですか?」
「うるさい! 僕は理想の家を作ったんだ! 彼女が快適に過ごせるように、僕が夜中に家具の位置を直してあげているんだ!」
男がナイフを取り出し、凛に向かって飛びかかってきた。
だが、凛は眉一つ動かさない。
「……合コンの男よりは威勢ええけど、フォームがなってへんわ!」
凛はバールでナイフを弾き飛ばすと、男の襟首を掴んで、そのまま廊下へと放り出した。
結界の反動で、男は床に叩きつけられ、身動きが取れなくなる。
「陽葵、警察へ連絡を。……不法侵入と、盗撮の現行犯です」
「はい、結ちゃん。……あらあら、この方の心の闇、浄化しても落ちそうにありませんわ。……しっかり反省していただきます」
***
数時間後。
警察の現場検証が終わり、美咲さんは友人の家へ避難することになった。
一人残った三人は、無惨に壊されたクローゼットの壁の前に立っていた。
「……結、この通路、どうする? 隣の部屋と繋がったままやで」
「埋めます。……物理的にも、霊的にも」
結は、事務所から運んできた『特殊な速乾性コンクリート』の袋を開けた。
それは、陽葵の清めた砂と、凛が配合を考案した、霊障を遮断する超高密度セメントだ。
「二度と、悪意が通り抜けられないように。……凛、攪拌を。陽葵、封印の祝詞をお願いします」
「了解や! ……セメントの配合なら、任せとき!」
凛が手際よく攪拌機を回し、ドロドロのコンクリートを通路に流し込んでいく。
陽葵がその表面に、指先で静かに紋章を描いた。
「【この壁は、決して揺らがぬ鉄壁。悪意の入り込む隙間など、一寸たりとも残さぬ】」
数十分後、通路は完全に塞がれた。
そこにはもう、人の気配も、不気味な鼻歌も聞こえない。ただの、頑丈な壁があるだけだ。
***
帰り道の車中。
凛は、ようやくワンピースを脱ぎ捨て、いつもの作業着に着替えていた。
「……ふぅ。やっぱり、こっちの方が落ち着くわ。……なぁ結。あのストーカー、黒曜の元社員やったけど……これ、偶然やないやろ?」
「ええ。……黒曜建設は、社員の『歪んだ欲望』すらも利用して、物件に細工を施している可能性があります。……美咲さんの部屋も、彼らが意図的に『弄れる余白』を残していた」
結は窓の外の夜景を見つめ、静かに眼鏡を直した。
「……霊を閉じ込めるだけでは飽き足らず、生きている人間まで、建物の迷宮に閉じ込めようとしている。……彼らの根は、想像以上に深そうです」
「……でも、どんなに深い根っこでも、うちがバールで掘り返したるわ!」
凛がハンドルを握り、ニヤリと笑う。
「ふふ、頼もしいですわ。……さて、明日は日曜日ですが、どうします? 凛ちゃん、また合コンに行きますか?」
「陽葵……それだけは勘弁してや! うちは一生、現場と添い遂げるわ!」
三人の笑い声が、都心の夜を駆け抜けていく。
九条工務店。彼女たちの設計図に、不純な悪意が入り込む余地はない。




