第5話:(後編)欠陥住宅を売る『影』
「結、あかん! 壁のあちこちから泥みたいなもんが噴き出しとる! これ、全部『黒い呪符』で押し込められとった怨念や!」
凛が叫び、バールで迫りくる黒い霧をなぎ払った。
リビングの壁紙が内側から膨れ上がり、ベリベリと音を立てて裂けていく。その裂け目から、幾十もの半透明な手が一斉に伸び、救いを求めるように空を掻いた。
「陽葵、中和を! 彼女たちは敵ではありません。……ただ、狭い壁の中に押し込められ、息もできなかった犠牲者です!」
結の声に応え、陽葵が数珠を両手で引き絞った。
「【天の網よ、慈悲の糸となれ。縛られし魂を、優しき光で解き放たん】!!」
陽葵の全身から柔らかな白光が放たれ、黒い霧を包み込む。
荒れ狂っていた怨念の波が、陽葵の祈りによって「悲しみ」へと浄化されていく。壁から伸びていた無数の手が、力なく垂れ下がった。
「今です、凛! 呪符の基点となっている『隅木』の裏を叩き壊してください。そこが霊的な圧力の逃げ道になっています!」
「了解や! ……どきな、黒曜のクソ仕事がぁ!!」
凛が渾身の力で壁の角をぶち抜いた。
ドォォォン! という衝撃音と共に、壁の中に溜まっていたどす黒い気が、一気に天井へと抜けていく。
一瞬、リビングに静寂が訪れた。
天井付近に、アパート時代の住人たちの姿が淡く浮かび上がった。彼女たちは一様に、結たちに向かって静かに頭を下げると、窓から差し込む月光に溶けるようにして消えていった。
「……終わったんか?」
凛が額の汗を拭い、崩れた壁の残骸を見つめる。
「いいえ。……本当の『仕事』はここからです」
結は、剥き出しになった柱の無残な姿を指差した。
呪符を貼るためにノミで不自然に削られ、強度が著しく低下した構造材。
「凛、陽葵。今夜中に、この壁の構造を組み直します。……黒曜建設が壊した『家の誇り』を、私たちが取り戻すんです」
***
翌朝。
朝日が差し込むリビングで、佐藤さん夫婦は目を丸くしていた。
昨夜の凄惨な光景が嘘のように、壁は新しい石膏ボードと、温かみのある珪藻土で仕上げ直されていた。
「……あんなに嫌な音がしていたのに、今は……すごく静かです。空気が、澄んでいるみたい」
奥さんが深呼吸をしながら、感極まったように涙を浮かべた。
「物理的な補強と、霊的な換気を同時に行いました。……佐藤さん、これが本来の『リフォーム済み』の状態です。ですが、黒曜建設のやり方は明らかに違法であり、詐欺に当たります」
結は、昨夜回収した「黒い呪符」の残骸と、柱の削り跡を撮影した写真を、一冊の報告書にまとめて差し出した。
「これを持って、弁護士を通じ、黒曜建設へ損害賠償と工事費全額の返還を請求してください。……戦うなら、九条工務店が専門家として証言台に立ちます」
「……ありがとうございます。本当に、助かりました」
旦那さんが力強く、結の手を握り返した。
***
その日の夕方。
事務所に戻った三人は、届いていた一通の荷物に足を止めた。
差出人は不明。中には、不自然なほど黒く染められた「黒い百合」の花束と、一枚のカードが入っていた。
『九条工務店様。……余計な掃除は、業界の秩序を乱します。……御自愛を。 ――黒曜建設・常務 鴉羽』
「……鴉羽。……聞いたことあるわ。黒曜の裏の仕事を一手に引き受けとる、やり手の呪術建築家や」
凛が不快そうに鼻を鳴らした。
「……脅しのつもりでしょうか。……面白いですね」
結は、黒い百合を無造作にゴミ箱へ捨てると、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「家を呪いの道具にし、住人を踏み台にする。……そんな『秩序』なら、私がこの手で全て解体して差し上げます」
陽葵が、少し心配そうに、しかし信頼を込めて微笑んだ。
「……また忙しくなりそうですわね、結ちゃん」
「ええ。……ですが、まずは明日の現場です。……次は『深夜に勝手に家具の配置が変わる、一人暮らしの女性の部屋』。……霊障か、それとも――」
「……『人怖』の匂いがするなぁ」
凛がバールを磨きながらニヤリと笑う。
九条工務店。
彼女たちの前には今、巨大な悪の組織という「影」が、その輪郭を現し始めていた。




