【3-7-4】
「……なんだそれ?」
ダリアさんは突然その場に跪き目を瞑りました。私は遅れて彼女が祈りを捧げるのだと気づきました。
「――主を否定してはいけない。主を疑ってはならない」
ギィ様は『……戒律?』と困惑していました。パキパキと音が鳴り私は足元を見ます。気がつくと部屋中に氷の膜が広がっていました。
「――主を貶してはならない。他の神を信奉してはならない」
どんどんと室温が下がっていきます。石で出来た床が凍てつき吐いた息が白くなるほどまでに。
「――主と、主が創られた全てを愛し敬うべし」
一粒の氷の結晶が宙に現れて、段々と大きくなっていきます。そしてそれはやがて人を模したものになっていきました。
「……綺麗」
ギィ様は、私もまたそうですが、その姿に見惚れました。薄青く輝くその人像にどこか見覚えがあります。
「――自らの魂は主の為にこそ用いられる」
「――アヌ母様?」
――ああそうかそれは、あのステンドグラスに描かれているアヌ神そっくりなんだ。
「……まさか母様の姿を模した魔法を扱うなんて、どういうつもりだ?」
「――キリエ・エレイソン。アヌ神への賛美とその深い慈悲を具現化した私だけの魔法にございます」
「ふぅん? でもそれで私が躊躇することはないぞ?」
ギィ様が手を向けると同時に宙に現れた氷像は砕け散ります。
「ほら? 姿だけ真似たところで……?」
氷像は再生してその身体はすぐに元通りになりました。
「へえ……。ならこれは?」
今度はギィ様が魔素を用いて作られた剣で氷像を両断します。
「これなら。うん?」
氷像は攻撃など受けていないかのように、すぐにまた元に戻りました。それだけではありません。氷像の身体に触れた剣はドンドンと氷に覆われていきます。そのままにギィ様をも飲み込もうとしていました。
「……」
ギィ様は剣を手放しました。その剣は氷に完全に飲み込まれやがてバキンという音と共に砕け散ります。
氷像はフゥと息を吹きかける動作をしました。そうすると今度はギィ様の腕や手足に氷が広がっていきます。
「そんな事しても無駄――。……動かない?」
ギィ様は驚きからか呆然とされています。どうやら氷に覆われた部分が動かないようでした。
「……凍った? この私が?」
初めて、この時にギィ様はその場を飛び退きました。凍りついたご自身の腕を眺めています。その表情は私にはとても形容出来ないものでした。その瞳はどこまでも暗くて、一体どんな感情を持たれていたるのか推察する事すら出来ません。
「ダリア。なんなんだそれは?」
「お伝えした通りにございますよ。私の祈りを魔法で顕せないかとずっと考えていました。そしてそれは今ようやく、叶ったようでございます」
「……気に入らないなぁ」
私は初めてギィ様が苛立たれている姿を見たかもしれません。彼女にとっては思い通りにならないことなど無かった筈です。なのにそれが初めて、ましてや同じ太古の神々ではなくて人族によって行われているのです。
「……氷なら溶かしてやろうか?」
突然氷像が炎に包まれました。それはきっと私などでは一瞬で焼き崩れ消し炭すら残らない程の熱量。それでも、その炎は触れる端から凍り砕け散っていきます。ギィ様が放った魔法が何の意味も為さないのです。
その氷像はギィ様へと指を向けました。四方から氷の礫が生まれ彼女へと襲いかかり身体を切り裂いていきます。
「……痛い」
ギィ様は不快な表情を浮かべます。礫を取り払おうにも、それらは彼女が攻撃をした側から再生していくのです。更にギィ様のお身体は、また切り裂かれる側から凍りついていきます。
「痛い痛い痛い。……鬱陶しい」
身体の周りに炎の柱が立ち昇ります。それもまた意味をなしません。すべてが止めどなく凍りつきまた砕けていく。光が乱射し合うその光景は、不適切かもしれませんがとても美しいものでした。
「ギィ様!!?」
後ろからプリエールさんが慌てたように声を荒げました。
「今すぐに手助けを――「――何度も言わせるな。お前は見ていればいい」
ギィ様は声に応じようとはしません。生まれもった矜持が助けを拒否しているのでしょう。
「プリエール。お前は二人が逃げないようにだけ気をつけていろ。また移動魔法で逃げられても困る」
「……はい。初めからご懸念されていましたので、それだけは目を光らせております」
「ならいい。少し静かにしてろ」
ギィ様は氷像に手を向けその身体を破壊します。でもそれもすぐに再生します。切っても砕いても潰しても燃やしてもそのどれもが意味をなしません。
やがてギィ様のお身体はドンドンと凍りついた部分が増えていきます。彼女の服の端がパキンと鳴り割れました。
「……信じられないが、お前の魔法はある部分においては私にすらも有効ということか」
事実ギィ様の攻撃はダリアさんの魔法に通用していません。それは疑いようのない事実でした。
「このままもしお前が私を完全に凍りつけたら私も死ぬって? ふふっ。あはははっ。なんだそれ? ふふふっ。アハハハハハッ!!」
初めてギィ様はダリアさんへ明確な殺意を向けます。
「殺す。お前を、いやお前達を少し侮っていたかもしれない」
「……はぁはぁはぁ。ゴホッ」
ダリアさんが突然口元を抑え咳をします。無理をしているという事は聞くまでも無く明らかでした。
「うゔ……。ゴボッ。ゲホッ。ゼェゼェゼェ……」
ダリアさんの咳には血が混じり始めました。魔法を制御出来ていないのか、自身のお身体をも少しずつ氷が飲み込んでいきます。
「……ほらもう限界じゃないのか?」
この魔法は恐ら、莫大な量の魔素を必要とする筈です。維持するだけでも大変な筈なのに、元から重傷を負っていたのではとても無理はありません。
「……リーザ? そこにいますか?」
ダリアさんは小声で私へと話しかけます。私はここにいますと。貴方の側にいますと声を上げます。ただそれも不細工な声にしかならないのですが。
「ああリーザ。貴方には苦労ばかりを掛けてきました。満足に遊ばせてあげることもできずに……」
氷像は私達を守るようにギィ様の前に立ちはだかっています。先ほどまではどんな攻撃であろうともその身で防がれ、私達の元へまで届くものはありませんでした。ただ少しずつその再生が遅くなっているように思えました。
「……もう、長くは保ちませんね。この場で力尽きてしまう私を恨んで下さい。憎んでください。でも私から貴方へ一つだけ祈らせて下さい。――どうか、幸せに」
ダリアさんの身体は既に限界を迎えているのか、もはや喋る事すら苦しそうにしています。薄らとですが氷像の姿が薄くなったように思えました。
「……最後だろうから聞いてもいいか? 何故私に従わなかった?」
「……貴方様と一緒です。貴方がそうであるように、私がこうする事に理由などいりませんよ」
ダリアさんの足や腕がパキパキと氷に覆われていきます。私は慌ててそれを抑えようとしました。でもどうやってもそれは止める事が出来ません。
「いつかきっと貴方様も分かる日が来るでしょう。もう私達はあなた方の庇護に頼らなくても良い。私達は自分の意思で進んでいくことが出来る。――そしてこの子の歩む先を守ってやらなくてはならない」
氷像がギィ様の目の前に移動しました。ギィ様は距離を取ろうにも身体が満足に動かないようでした。その隙に氷像はその両手を広げ、そしてまるで抱きしめるようにギィ様をその手に抱き止めたのです。
「――私は、母親なのですから」
その発言にピクリと身体が反応しました。待ってください。それは、ダリアさんはまさか私の?
「――ッ!! 退け! 私の身体に氷が――!!」
ギィ様の身体はすぐに氷に覆い尽くされました。ただそれはダリアさんも一緒でもう大半は氷に包まれています。すでに限界を超えているのか意識も薄れつつあるようでした。
待って下さい! 貴方は私のお母様なのですか? 何故今まで仰ってくれなかったのですか? どうしてここでお伝えになられたのですか? どうして、もっと早く教えてくれなかったのですか……?
「うぁあぅ。ああ……」
声にならない声を上げます。ダリアさん。いえダリアお母様。私の名前を呼んでください。どうか、どうかお願いです。話したい事がいくらでもあるのです。今はとっても仲良しの方と暮らしているんです。少しだらしない所もあるけれども、でも優しくて格好良い人です。
ダリアお母様との記憶はまだ戻らないですけれど、でもリムさんとたくさんの思い出も作りました。色んな所に行って、色んな物を食べて、色んな経験をしました。お願いです。
――どうか、生きて下さい。
「――愛していますよ。リーザ」
ダリアさんは私に優しく微笑んで頭を撫でてくれました。そして、その身体を氷が全身を覆い尽くすと同時に砕け粉々になりました。
その瞬間に頭の中に記憶が蘇ってきました。お母様との思い出。温かな日々。優しいお手、お声。アヌ教の日々。
「▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️ッッッッ!!!!」
泣きながらに私は必死で破片を集めました。それが無駄である事は分かっていても関係などありません。私はただ必死でお母様のカケラを集めていました。
「――ありえない。あってはならない」
主人を失った氷像はとても強い光を放ちけたたましい音を立てながらに崩れていきます。消えていく姿はまるで神の元へと還っていくかのようでした。
最後に残ったギィ様は息を荒くしながらに蹲っています。そこかしこが傷ついていて血も流れているようです。
「……氷とともに私も消える所だった? 死んでいた?」
ギィ様は今だに信じられないという様子を浮かべていました。
「……何かの間違いだよな? だって私たちは太古の神々。アヌ神の、母様のご意志を遂行する存在。それが侵される?」
ギィ様はブツブツとつぶやいています。私はただ茫然とダリアお母様がいた場所を見つめていました。もう彼女がいた証左は何も残されていません。
「あり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ない!!!!」
ギィ様は狂乱したかのように声を荒立てました。そして私へと手を向けます。
「……だめだ。認められない。私達の庇護の元から逸脱した存在なんて。母様の意に反する。――リーザ」
ギョロリとこちらへと視線を向けます。
「全部お前のせいだ。ダリアがおかしくなったのも、全部全部全部全部。もうこれ以上災厄を撒き散らす前に、死ね」
私は、ただギィ様がこちらへむけるその手を見ていました。このままでは死んでしまう事も分かっています。でも、ギィ様が仰っておられる事はおそらくその通りなのです。私がいなければダリアお母様はまだ使徒にいたでしょう。この場で亡くなる事もなかったでしょう。きっと幸せな日々をこの先も過ごしたに違いないのです。
ならばもういいのです。ギィ様が仰られるようにこのまま生きたとしても、私はきっとまた誰かに迷惑を掛けてしまうだけなのですから。
――ごめんなさいお母様。またすぐにお会いすることになりそうです。でもそうなったら怒ってくれますか? 泣いてくれますか? ただどうかその温かな手で抱きしめて下さいませんか?
「――ほらぁ。何諦めてんの? ったく。しょうがないんだから」
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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