日々労働
長期の休みが確定し、人生で初めての悠々自適自適の時間を手に入れたタツマ。 様々な計画に思いを巡らし、これから何を企画しようかと期待に膨らませていた。 間違いなく人生で最良の時間がやって来る
……と思っていたころもありました。
「さーて、みんな。 今日は、農道の路盤改良の工程だ。まずは重機による床掘だ。重機班は、砕石が来る前に工程終わりにするぞ。 本日も安全に!! 」
「今日も安全に!! ヨシ!! 」
タツマは、いま商社プロメンテに雇われて工事現場にいる。
油圧ショベルのコクピットで操縦レバーを握り締め、荒涼とした外景を睨みつけていた。キャタピラが噛み砕く大地の感触が、シートを通じて直に腰へ伝わってくる。
宇宙を駆ける惑星間貿易商からマールスのプロメンテ農耕地域の区画整理や農道補修に従事している。
「タツマさん今日も頑張っていますね! 」
作業を終え、キャノピーを開けて重機から降り立つと、同僚から声を掛けられる。
「まぁね。稼がないと食っていけないから」
「若いのに――奥さんにも働いてもらえばいいのに」
「ハハハ……」
他の同僚も話に入ってくる。
「若いのに感心さ……にしても、あんな綺麗な奥さんで羨ましいよ……うちの何か……」
そこから同僚の家庭内の愚痴が始まる。
どうしてこうなった? いやおかしくない?
いや、働くこと自体は嫌いじゃない。だが、なぜ現場だ? こっちは、商社プロメンテの持ち株会社のオーナー。
本来なら快適な空調の効いた役員室で、投資戦略のグラフでも眺めている立場のはずでは?
―― まあ、身体を動かして火星の大気を肌で感じる労働も、悪くはないんだが
海賊に狙われ、命の危険がない仕事が、これほどすがすがしいものだとは知らなかった。
とはいえ、この奇妙で平穏で泥臭い日々に叩き落されたきっかけは――言うまでもなく、あの女だ。
*** 回想 ***
場所は商社プロメンテの事務所。
統括のビャーネが実務の段取りで怒涛のように走り回っており、手伝いとして万能執事AIのアルプも駆り出されていた。
結果として、事務所にはタツマとサナエの二人だけが残されることになった。
サナエは端末に視線を落としたまま、脚を組んで気だるげに言った。
「ねえタツマ。この投資案件、芽が出るのはどうせ1~2年後でしょ。あんた、それまで何する気?」
「とりあえず、カーゴ車両を使って物流業でもやろうかと思ってさ。趣味も兼ねて、リゾート地のエリシウムとか見て回りたいし」
「働かざる者、食うべからず。働きなさい」
「だから、物流をだな――」
「新規事業の工事現場、人手不足なの。行ってきなさい」
バシッと胸元に叩きつけられたのは、一枚のIC社員証。
<農工部 工事課 タツマ・ヒルベルト>
「……何これ? え、私に工事現場へ出ろと?」
「そうよ。しっかり汗流して稼いできなさい。ネス社長には私から話を通しておいたから」
「いやいやいや! おかしいでしょ! 専門外どころか業界が違いすぎる!」
サナエはパチンと端末を閉じると、冷ややかな視線を向けた。
「黙りなさい。資本家を気取ってんじゃないわよ! 労働の尊さを学んで少しは投資額を回収して来なさい!」
ムカッ。タツマの中で何かが切れた。
「じゃあサナエさんは何するんだよ! 一緒に現場でスコップ握るんだろうな!? 『白翼の騎士団』の活動とか言って逃げるのはナシだぞ!」
珍しくタツマが噛みつくと、サナエは不敵に微笑んだ。
「私はヒルベルト商会の極秘業務よ。前会長から直々の案件があるの。……ふふ、それ相応の成果報酬もいただいちゃってるしー」
「何なんだよ、その案件って!」
「それは~、ひ・み・つ。契約者との守秘義務があるから、教えられませ~ん」
完璧な正論と嫌味な笑顔。
結局、いつものようにぐうの音も出ない形で言い負かされるのが、二人の形式美だった。
*** 回想おわり ***
口論に敗北し、流されるまま現場へ送られて今日に至る。
いつも一緒にいるせいで周囲からは完全に夫婦扱いになっている。
マールスの公転周期はテラの約2倍の24ヶ月。 マールスに来て12ヶ月……つまり火星時間で半年が経過しようとしていた。
これでプロメンテの状況を改善したらスキュレスさんの“地域の問題を解決して欲しい”との希望を叶えているわけだが、これで何か変わるのか?
たしかに悪政でボロボロになった土地の復興事業になっているけど。どうなんだろう?
しかし、恐るべきは、タニアの智謀か。一国の政策を引き金にして、戦いもせずにキンメリア大陸における各主要港を押さえることができたわけだ。 大した人物がいるのだろう。
まぁこちらにとっては関係のない問題。これが終わればまた宇宙だな……
耕作地の傾斜に腰を下ろし、空を見ながらとめどなく考える。
携帯端末が点灯した。
メッセージからルヴェリア(サバエアの工業地域)から大型農耕器具が到着したようだ。
さすが、スキュレス氏は、自身の威厳をいかんなく発揮しているようだ。
スキュレス議員からの“地域問題を解決してほしい”という依頼を受け、悪政で荒廃した土地の復興事業を進めてはいるが……はたしてこれで本当に何かが変わるのだろうか。
―― ……それにしても、恐るべきはタニアの智謀か
一国の政策を巧みに誘導し、一滴の血も流さずにキンメリア大陸の主要港をすべて手中に収めて見せた。世の中にはとんでもない化け物がいるものだ。
「……まあ、こちらには関係ないか。これが終われば、また星の海へ戻るだけだ
耕作地の傾斜にどっかりと腰を下ろし、マールスの空を見上げながら呟く。
携帯端末から電子音が響き端末のライトが光る。
ルヴェリアから大型農耕器具の第一陣が到着したという通知だ。さすがスキュレス。 根回しの手際が良いことで。
本来なら実績のないプロメンテ社がこれほどの資材を調達できたのは、エリス護民官からの絶大な信頼があってこそ。
“信頼”という目に見えない資本の重みを、タツマは改めて噛み締める。
これなら、種まきの時期までに耕作地の土壌改良は間に合うだろう。大型重機が一心不乱に土を耕せば、この死んだ土地が一気に息を吹き返すはずだ。
そこへ、ネス社長から追い打ちのメッセージが入る。
<タツマさん、到着した農耕器具の初期運用と試運転をお願いできますか>
「……次は建設重機からトラクターに乗り換えか」
彼が呟く。
いよいよ本格的に農業へ従事させられそうな気配である。
このままスローライフに目覚めて、マールスの田舎で農家として暮らすのも悪くないかもしれない――そんな考えが頭をよぎるほど、身体に馴染んできている自分が少し恐ろしい。
ぼんやりと空を仰ぐうちに、束の間の休憩時間が終わりを告げようとしていた。
一方その頃――。
サナエの執務室には、痛烈な敗北感と静かな焦燥が立ち込めていた。
ダイゴから依頼された、セレンの症状改善の研究……完全に行き詰まったていた。
タツマは気づいていただろうか?
ここ最近のサナエが、暇さえあればタブレットを鋭い目つきで睨みつけ、論文の山をあさり、狂ったようにシミュレーションを回し続けていたことに。
プロメンテへ向かう道中も、ヘスベリアに向かう時も、サバエア南部の都市レーベにいる時でさえも。 彼女の脳内はセレンの異常で埋め尽くされていた。
しかし、12ヶ月が経過しても、決定的な成果はゼロ。
「あー……もうダメ! 私でも無理!」
サナエはデスクに突っ伏し、頭をかきむしった。
AI細胞への精神薬投薬は、重度の依存症と処理能力の著しい低下を引き起こす。
AI細胞への情報量流入制限は、出力の精度の低下を招いている。
ならばとAI細胞を増殖させれば、状況は変わらないか、かえって悪化する。
シミュレーション上、提示したアイデアはことごとく破綻している。
“シミュレーションと実証実験は別物だ”と高括ることもできたが、サナエさんの直感は告げていた――実験したところで、同じ失敗に終わる、と。
そもそも「有機AI」に関する臨床論文自体がほとんど存在してない。 あるのは「失敗しました」「不可能です」という絶望的な報告書ばかり。
「もう分かんない! 情報が散逸して全然収束しないのよ! どうなっているのよ……有機AIのこんな症例、前例が無さすぎる!」
タツマを工事現場へ追いやった最大の理由は、この焦燥と研究の秘密を彼に感づかれないためだった。
あの男の洞察力は異常に鋭い。狭い部屋でセレンと一対一で向き合っていれば、遠からず察するはずだ。
そして気づけば「地球の最先端研究機関へ送って解析させよう」と言い出すに決まっている。
目の前にある未知で最高の「面白い研究」を取り上げられるなんて、サナエのプライドと好奇心が絶対に許さなかった。
「マスター。紅茶が入りました。 少し頭を冷やしてはいかがですか」
「……ありがとう、アルプ。 ほんと、あなただけが私の癒やしだわ」
アルプの完璧な気遣いに深々と感謝し、カップを受け取る。その時、デスク横の小型モニターから合成音声が響いた。
『サナエさんはキンメリアの生まれでしたね。気分転換にご実家へ帰省されては?』
声の主は、セレンになる。
彼女の心理問診を行いながら症状の原因を探るため、サナエさんが用意したインターフェースだ。
画面にはシンプルなアスキーアートのようなスマイル顔が映っており、発話のニュアンスに合わせて表情を変える仕組みになっている。
「両親とは仲良くないから、帰る気なんてないわよ」
『天才科学者を育て上げたご両親です。さぞ自慢のお子様なのでは?』
「自慢ね……ふん、あいつらの自尊心を満たす道具としては最高だったんじゃない?」
『そんなことはないと思いますが。 どのみち、今の研究は当分足踏みが続くのでしょう。一度環境を変えられては?』
サナエは紅茶の湯気越しに、苛立ちを隠しもせずに吐き捨てた。
「私はね、子供の頃から学習能力のスペックが周囲と違いすぎたの。いわゆる『ギフテッド』ってやつ。そのせいで同年代からは妬まれ、疎外された。
逆に親は親で、子供社会の苦痛なんて知ったこっちゃないわけ。 見ているのはペーパーテストの数字だけ。 結果が良ければ自慢の種として可愛がり、悪ければ怒鳴り散らす」
止まっていた感情の堤防が決壊したように、サナエは言葉を吐き出していく。相手がAIだから心を許しているのか、それとも相手が、セレンだからなのか。
「だいたい6歳で10歳向けの大学講義を受けさせられたのよ? 無理に決まっているじゃない……まあ、及第点は取ってやったけどさ。
で8歳で大学の教育課程をすべて完了して10歳で研究室をもったのよ。
これで子供社会から抜け出せるそう思った。 でも事実は全くの逆。 大人の世界は、もっと地獄だったわ。
若き天才科学者? そんな肩書で周りは嫉妬と足を引っ張り合う怪物ばかり。 話すことすべてに揚げ足を取ってくる連中の中に放り込まれたのよ。
だから……だから私は、自分の才能を使ってアルプを作ったの! 何でも気兼ねなく話せる、絶対に裏切らない『本当の話し相手』としてね!」
マールスにおいて、潜在的に忌避されている「AI」という存在。サナエがそこに異常な執着と信頼を寄せるルーツが、ここにあったようだ。
サナエが激しい息を吐き出すと、セレンは穏やかなグラフィックのまま、静かに返した。
『……成績しか見てくれないご両親に、嫌気がさしていたと? 』
「そうよ! 私は勉強なんかより、外で身体を動かす方が好きだった! 友達とくだらないことで騒いで、笑って……そんな人生の方がよっぽど良かったに決まっている!」
彼女にしては、かなり感情的で主観が入っている。 とはいえ、セレンは、淡々と応じる。
『人生論はさておき。今のあなたも、当時のご両親や周囲の人々と変わらないのではないですか?』
カチン、とサナエの眉が跳ね上がった。
「……はあ? 何言っているのよ、あなた」
『あなたは既に、望む人生を手に入れられるだけの力を持っている。保護されるべき幼子でもない。 ただ……幼少期のトラウマによる思考の固定化で、自ら視野を狭くしているように見受けられます』
セレンの言葉に、一瞬の静寂が訪れる。
窓の外では、マールスの冷たく乾いた風の音が室内に響く。 現場では今頃、タツマが汗を流しながら重機を動かしているはずだ。
『長い間、特定の環境に置かれ続けると、思考が凝り固まるのは世の常です。プロメンテの住民も……そしてあなたも。
客観的に見れば、あなたは『過去の境遇』や『完璧な天才としてのプライド』という狭い枠組みにこだわりすぎている。
世界は、宇宙は広大です。人類は今や3つの惑星に住まう時代なのですよ? 過去の自分ではなく、未来の自分に目を向けてはいかがですか』
サナエの全身から、トゲトゲしい怒気がすっと引いていく。
『……もっとも。マールスに到着してからのあなたは、随分と生き生きと自由に振る舞っているように見えますけれど?』
「…………」
『まあ、里帰りを無理強いする気もありませんし、里帰りの時間を私の治療に注力していただけるのなら、そちらを望みます。 私も早く、この不快な症状から解放されたいので』
サナエは呆れたように息を吐き、くすりと笑った。
「……随分とお喋りなAIね」
『そうでしょうか? 他の有機AIと比較したことがございませんので』
「ふん! まぁいいわ。 気晴らしになったわ」
『それはよかった。 いつでも話しかけてください』
アルプとはまた違う、対等で皮肉の効いたレスポンス。 相手が人間であればマウントの取り合いになるところだが、セレンはAIだ。
裏切りもマウントもなく、純粋な論理と客観性でサナエの痛いところを突いてくる。
格闘技のように相手の揚げ足を奪い合う会話ばかりしてきたサナエさんにとって、タツマのような異分野の人間や、セレンのような未知のAIとの対話は、固まった思考を解きほぐす不思議な触媒となっていた。
(……違う意見を聞け、ってこと?)
サナエさんの頭の中で、なんとなく、研究での別の切り口が見えて来る。
―― 異なる環境、異なる意見……人間もシステムも、同じ環境に閉じていては新しいものは生まれない。……違うからこそ、変化が起きる……?
「……“違う”から、ねー」
サナエの瞳に、天才特有の鋭い知性の光が戻る。
―― 全く異なるAI細胞を融合させる……? 単一のチェンバーに、系統の違うAI細胞を共存させて相互干渉させたら……どうなる……!?
「試す価値はあるわね……! セレン、あなたのDNAベースの基本情報を開示できる!?」
『可能ですが……一体何をなさるおつもりで?』
「全く性質の違うAI細胞を同じチェンバーに投入した時の動態シミュレーションよ! 急いで!」
『了解しました。データを転送します』
―― ダメ元? 結構じゃない。
突っ伏していた体をおこし、サナエは凄まじい速度でキーボードを叩き始めた。
重苦しい迷いを突き破り、やる気を出した天才科学者の顔を取り戻した彼女は、一心不乱に業務に取り組初めた。
タツマがテラの最先端研究所にセレンを持ち込ませようとしたところで、ダイゴなどヒルベルト一行が制止しますので、結局のところ彼女自身が直すしかない状況にはなります。




