宵の港に灯る声
日も落ち、古びた街頭に明かりが灯り始める。 薄暮が過ぎ、いよいよ宵の口と言った時間帯だ。 潮風に混ざる微かな家庭内での夕食の準備の香りが、肌に心地よくまとわりつく。
タツマは、昼間の治安隊に言われた場所のバルの前にいる。
―― なるほど、この界隈で開いているバルはここくらいか……分かりやすい。この時間なら、昼間の治安隊もいるはずか?
木製の重いドアを押すと、カランと乾いたベルの音が響いた。 その音に反応し、酒気と煙草の煙に満ちた店内の視線が一斉にこちらへ集まる。
―― 道中合羽は、やはり目立つな。
「おー、こっちだ! 商人!」
カウンターの奥から声が上がった。昼間の二人が、すでにグラスを傾けている。 タツマは、彼らが座っている隣の空いたスツールへ腰を下ろした。
「昼間はどうも」
「さあさあ、まずは一杯引っかけろ」
目の前に押し出されたのは、褐色の液体を満たした小さなショットグラスだ。ウイスキーに似ているが、独特の薬草臭がある。
一気に煽ると、焼けるような熱さと苦みが喉を駆け抜けた。お世辞にも美味いとは言えない。
タツマが空になったグラスをカウンターに置くと、治安隊の一人が待ってましたとばかりに身を乗り出してきた。
「お前さん、本気でこのどん詰まりの街で商売する気か?」
「まだ分かりません。 今はただの市場調査です」
嘘ではない。事実だ。
「そうか……できれば、新しい風を吹き込んでもらえると助かるんだがな」
「新しい風? 」
もう一人が溜息をつきながらグラスを揺らす。
「外から人間が入ってきて活気を出してくれりゃ、この街も少しはマシになると思うんだよ」
「というと?」
「この街はな、海を隔てたサバエアの都市『レーベ』との交易で持っているようなもんだ。だが新市街の頭の固い連中は、キンメリアの巨大港湾都市『ティレナ』とラインを結びたがってる。
……あんな巨大都市と組んでみろ、絶対にこっちが吸い上げられて終わりだ。 そもそも俺たち現場の人間は、大陸同士の東西対立なんてどうでもいいんだよ。
漁をして、レーベの連中と酒を飲んで生活できればそれでいいんだから」
「そうなんだよ。ヘラス地中海を挟んでいるだけで、レーベとはずっと良好な関係なんだ。サバエアの他の都市とだって揉め事なんてない。
結局、エリスとテッサリアの上級市民どもが、勝手にいがみ合ってるだけなのさ。
他の都市国家だって対立に興味なんてない。まあ、あの二大都市が一番金を持ってるから、渋々従ってるだけさ」
「なるほど。 ですが……キンメリアからの過激派民兵が、サバエアに紛れ込んで、悪さをしているとかで、あちら側からの心象が悪化していると聞きましたが?」
タツマが、スキュレスから要望でわざわざこの地を踏んだ最大の理由だ。 核心を探るように問いかける。
「どうせテッサリアの諜報員あたりが、仕掛けてるんだろ? 例の紛争の結果さ。 こっちからすりゃいい迷惑だ。第一、そんな陰謀に巻き込まれて、俺たちに何の得があるってんだ?」
―― 確かに、表面上は現場に何一つ利益のない泥仕合だ。裏で誰が糸を引いている?
「俺はさ、この街のサバエアへの交易路を使って、誰かに新しい産業を興してほしんだ」
話者の隊員は、先ほどの酒をあおり話を続ける。
「この街の連中は代々漁師が多い。 貿易商もそれなりにいるが、やはり規模が小さい。そもそも売るものが無い。 結果、漁以外の稼ぎ方を知らないのがほどんどだ。 ……他人頼みなのは分かってる。 だが俺には商才も金もない、銃を担いで見回るくらいしかできねえ」
治安隊員が、心情を吐露する。
それに呼応するかのようにもう一人も話し出す。
「いやさ、俺たちだってこの状況を変えたいとは思ってるんだ。 けどな……内部の人間だ。 どうしても、 人間関係ってのもある。 だからこそ、しがらみのない外部の人間に期待しちまうんだよ」
話が熱を帯びるが、急にトーンが落ちる。
「俺たちが自動小銃を持ち歩いてる理由、分かるか? プロメンテが、あんなふうになって働き口がすくなってさ、大小少なからず犯罪に手を出す奴が増えているんだ。
それで、この町の裏社会の連中が薬物の密売ルートを巡って抗争を始めてな。 やだぜ……顔見知り奴に銃口を向けるのはさ。 気が滅入る。 だが、まともな仕事がねえから、交易路を悪用する連中に転落しちまう。 ここの人間は船の操縦だけは一人前だからな」
愚痴交じりの街の現状から、会話は徐々に個人的な世間話へと流れていった。 業務への不満、起きた事件の苦労話、そして彼らの関心は、タツマ自身へと向けられる。
タツマは“惑星間貿易商”として、かつて宇宙海賊と繰り広げた攻防戦を、少しだけ脚色して語って聞かせた。
だれでも宇宙に登れる時代。しかし行く人間はやはり限られている。 そのなかで宇宙海賊との攻防となると、まさにおとぎ話のような実話に、男たちは身を乗り出して聞き入る。
本当は血と鉄の匂いが充満する凄惨な死闘であり、物語のように格好良いものでなど決してない。 だが、ここは酒場だ。客に上質な娯楽を提供するのも商人の務めだった。
二人が目を輝かせて宇宙活劇に魅了されるうちに、夜はゆっくりと更けていく。
そのような話題で盛り上がり、夜も更けたころ彼らと別れた。
ヘスベリアの「底」が見えてきた。やはり、現地に足を運び、人々の生の声を聞く勝負に出たのは正解だった。この街には、まだ眠っている潜在成長力がある。
―― 治安隊の男たちが機能している分、治安は最低限保たれている。 それに地元のギャング程度あればまだ、対応は可能か
夜道を一人、足音を響かせて宿屋へと戻る。 見上げれば、夜空に小さなフォボスが浮いていた。地球の月を見慣れた目には頼りなく小さく、遠くの木星はただの輝く点に過ぎない。
「さて……引き続きだな」
*
あれから、半月が過ぎた。 治安隊と顔見知りになったことで裏の情報もすんなり手に入るようになり、調査は飛躍的に進んだ。
サナエさんの方は相変わらずアルプ頼みだが、連日ナンパされまくっているらしい。 最近の彼女の定例報告は、もはや「本日ナンパしてきた男の人数」になっていた。
陽が一番高い時間帯、俺は自室でこれまでの情報を集約していた。サナエさんとアルプが部屋に入り、通信機をセットしてセレンとの暗号化回線を繋ぐ。
今日までのデータをセレンと協議しながら内容を詰めていく、沈む太陽が部屋を赤く染める頃、ようやく一通りの資料がまとまった。
「二人ともお疲れ様。かなり精度の高いデータが集まったよ。特にアルプの処理能力には助けられた」
『お役に立てて光栄です、タツマ』
「ちょっと待ちなさいよ。私は? 私は役に立たなかったって言いたいの!?」
サナエさんがジト目で睨みつけてくるが、ここはスマートにスルーする。
収集した情報を整理して提示した。
・住民の生活基盤:全体として標準的。湾岸エリア(ベイエリア)は非常に落ち着いており、プロメンテのような捨てられた都市特有の荒廃感はない。
・都市の経済規模:サバエア大陸との細い草の根貿易で成立している。過不足なく、現状の人口に対しては適正範囲内。
・港湾設備と物流:漁船が過半数を占め、大型貿易船の停泊実績は皆無。本格的な貿易を再開するには港の拡張工事が不可欠。ただし水深が深く天然の良港であるため、改修コストは抑えられる。
・漁獲量:自給自足+αのレベルに留まっており、商業的な輸出余力は低い。
・治安と潜在リスク:表向きは平穏だが、若者の失業率高騰に伴い犯罪への流入傾向が増加。現時点ではマフィア等の広域組織の本格侵入は見られない。
「……まとめると、落ち着いた地方の港町だが、産業の空洞化によって若者がアウトロー化しつつある、といったところか……セレン。そっちの見立てはどうだ?」
タツマが、画面越しからセレンに問いかける。
『ほぼ、同意見です。 十分な投資価値があると判断します。 タツマの提出した「第二段階計画書」に基づき、試算を開始します』
「ちょっと! 第二段階の計画書なんて、私聞いてないんだけど!」
サナエさんが声を上げる。
「まだドラフト段階だからね。企業秘密だ」
「私もヒルベルト商会の役員なんですけど!?」
「それでも、だ」
軽口を叩きながら、次のタスクへ移る。端末を操作し、プロメンテにいるネス氏へ回線を繋いだ。
*** ☎ 通信開始 ***
≪お久しぶりです、ネスさん。そちらのプロメンテ都市登記簿のリスト化状況はいかがですか?≫
画面に映るネス氏は、少し疲れた顔で額の汗を拭った。
≪今のところ順調ですが……これに何の意味があるのかと文句を言う連中が多くてね。 なだめるのに骨が折れるよ。 実を言えば、私にも早く種明かしをしてほしいのだが?≫
≪言ったはずです。ピースが完全に揃ったら全てお話しします。途中で情報が漏れるのを防ぐのが我が社の規則ですので≫
≪……わかりました。 それと、弁護士は何とか工面がきました。 引き続き、登記簿からのリストアップを進めます。 タツマさんの方は、どんな感じですか? ≫
≪順調といった所です。 もうしばらくこちらに滞在して状況を確認します≫
≪分かりました。 そうだ……ヘスベリアには、私の友人もいます。 そちらの情報も当たってみてください≫
データが、アルプに送られてくる。
『ネス氏よりデータの送信を確認しました』
≪彼に聞けば、ヘスベリアの深い情報も聞けるはずです≫
≪ありがとうございます。 活用させてもらいます≫
≪よろしくお願いします≫
*** ☎ 通信開始 ***
短い通信が切れた。不満を漏らしつつも、手堅く動いてくれているようだ。
「本当に大丈夫なの? ネスさんに秘密にしたままで」
「別に。 出来なければそれまでさ。 ……よし、今日はここまで。 明日からも引き続きよろしく。 サナエさん、そろそろナンパされた数以外の有用な報告も頼むね」
サナエさんを少し煽ってみせる。
「ふんっ!」
彼女は近くのクッションを引っ掴むと、こちらの顔面に投げつけて部屋を飛び出していった。
―― 全く、天才科学者にしては、子供っぽいんだから
『それではタツマ、良い一日を』 アルプが恭しく一礼し、部屋から出ていく。
―― もう夕方なんだけどな……
そこからさらに調査の視座を広げた。 レーベとの実質的な友好度、過去の小ぜり合いの履歴、キンメリア側の隣接都市との関係、そして筆頭都市テッサリアとの表面化していない実務レベルでの軋轢——。
拾い集めた情報を組み上げ、精査していく。 夢中で作業を続けるうちに、あっという間に予定の滞在日数が満了を迎えていた。
ヘスベリアは心地よい風が吹く街だった。 去るとなると、少々名残惜しい気持ちすら湧いてくる。 明日には、この街を立つ。
世話になった顔馴染みたちへ、別れの挨拶回りに出かけることにした。
今日の目的地は、カードゲーム好きで街の情報通でもある、ネスさんの友人である名物爺さんのところだ。
確かに情報通を謳うだけあって、精度の高い情報が集った。 といっても、情報はタダではない。 博打のカードゲームがその代償だ。
情報を聞きに言ったらカードゲームの間だけ話を聞いてくれる妙な爺さんである。 おかげでレーベの情報やら新市街の情報などが豊富に聞けることになる。
もちろん勝てばプラスの上、情報まで聞けるのだが、タツマは負けが込んでいる。
そのため、本日は勝負で負けた分の支払いのため爺さん詣でになる。 持参したのは1000マリベル相当の高級なヴィンテージ酒だ。
この半月で貰った情報の価値を考えれば、破格の安さの手土産と言える。
―― それにしても、あの爺さんのブラフの巧さは異常だった。というよりもマールス人
相手にテラ人が心理戦を仕掛けるのが無謀だったか?
老人はいつものように、海を見渡せる軒下の影で、行き交う船をぼんやりと眺めていた。タツマの足音に気づくと、眩しそうに細目を向けてくる。
「よっ、じーさん。明日で一旦戻るよ。これ、ゲームの負け分」
酒瓶をテーブルの上にトン、と置いた。
「律儀なやつだな、お前さん。 まぁビャーネが言っていた通りだな」
「当分会えなくなるからね。 つけは払っておきたと思っただけさ」
「……プロメンテに戻るのか?」
「まあね。 もしかしたら、近いうちにまた来ることになるかもしれないけど」
老人は酒瓶を受け取ると、一瞬だけ表情を曇らせ、声を低くした。
「お前さん……あまり深入りはせん方がいいぞ」
「……どういう意味です?」
「例の『土地収奪法案』があったろう。ヘスベリアでも相当な話題になった。……あの裏には、尋常じゃない闇が張り付いているはずだ」
「……」
「お前さんがプロメンテで何を企んでいるかは知らん。これから話すことも噂話程度に聞いておいてくれ」
「ええ」
「プロメンテの執政官ヒューリ・オーレの後ろには……『タニア』がついている。それが、この街の裏情報に通じた連中の共通認識だ」
ゴシップ誌の飛ばし記事程度には流れていた情報だ。 だが、この老人が口にすると生々しい現実味を帯びてくる。
「プロメンテを含めたあの地域は、かつてキンメリアの食糧庫だった。一時期はあそこだけで大陸全体の20%の穀物を賄っていたほどだ。
食料を握るということは、住民の喉元を握るということだ。 実際、法案によってプロメンテが没落した後、食料不足の懸念から穀物価格は跳ね上がった。
……だが、絶妙なタイミングで『タニア』からの輸入食料が流れ込み、価格は嘘のように落ち着いたんだ。もちろん、このヘスベリアも価格高騰の波を食らって酷い目に遭ったがね」
タツマは何も言わず、老人の言葉に耳を傾ける。
「価格を安定させるため、大きな港を持つ都市は次々と港の利用権をタニアに開放した。 事実上の関税免除だ。 しかし……これをどう見るかだ。
安く食料が入るのか、それともやつらに食料を握られたか。
まあ、うちみたいなビンボーな港は小さすぎて大型貿易船が入れず、タニアと条約すら結べなかったんだがね」
老人は自嘲気味に笑った。
「……今更プロメンテの焼け野原をどうこうしようとしたところで、この波は変わらんかもしれん。 だがな、気を引き締めておけ。老婆心ながらの警告だ」
「……助かります。頭に入れておきますよ。貴重な情報をありがとう、じーさん」
タツマそう言って、爺さんに別れを告げその場を去る。
なるほど。執政官ヒューリによる、絵に描いたような「国売り」か。 ビジネスと言ってしまえばそれまでだ。
タニアの手先としてキンメリアの食糧庫を崩壊させ、キンメリア大陸の食糧事情にタニアが介入させる隙をつくった。
おそらくこの件で、ヒューリとやらは、それなりの報酬を手に入れたのだろう。 今更プロメンテで動いたところで、既に終わった筋書きかもしれない。 だが——。
―― 警戒だけはしておくか? さて、一旦戻るか。 あの荒れた道を丸一日かけて走るのは気が重いがね
タツマは潮風に吹かれながら、静かに歩き出した。




