セレンの病
サナエさんとダイゴは、ゲストルームから退出する。重力エリアを抜け、無重力の船内の薄暗い通路を進む。 向かう先はブリッジ、そしてその最奥にあるハッピーカムカム号の深部だ。
ブリッジに入ると、詰めていた社員たちの視線が一斉にサナエへ突き刺さる。
「こっちだ」
ダイゴは配下の視線を無視し、ブリッジ奥にある厳重に封印された重厚な隔壁へ向かう。
「ダイゴ、その部屋は……!」
バルティスが思わず声を張り上げて制止する。
「セレンのためだ」
ダイゴは短くそれだけ告げると、認証コンソールへ向かった。サナエも警戒しながらその後に続く。 隔壁が開き内部に入ると、そこは赤く不気味な非常灯に照らされた、異様な部屋だった。
サーバーラックが立ち並ぶ通常の電算室とは明らかに異なり、静寂の中に微かな生体拍動のような駆動音が響いている。
「なんなの……この部屋?」
質問には答えず、ダイゴは部屋の最奥にある重厚な制御台へ歩を進めた。
パスワード入力、網膜スキャン、脈拍認証——いくつものセキュリティをクリアすると、電子音とともに操作パネルに『CLEAR』の文字が浮かび上がる。
ロックが外れたため、ダイゴが重厚なハンドルを回すと、空気が抜けるのような減圧音とともに、シリンダ状のユニットが静かに引き抜かれた。
それは、透明な強化ガラスで作られた円筒形の容器だった。内部は青く澄んだ特殊な培養液で満たされ、その中心には——蜘蛛の巣のように微細な神経網を張り巡らせた、淡く発光する「有機組織」が固定されていた。
「これは……! 随分と特殊な構造の有機AIね。こんな個体、見たことがないわ」
「だろうな。こいつはヒルベルト商会の特注品だ」
「でも、どうしてここまで隠す必要があるの? 有機AI自体は、私の研究室でも扱っているわ」
「こいつはさっきも言ったように極小の特注品でね。磁界感知能力を用いて、非接触型で超並列情報を読み書きしている。データベースの膨大なデータも、この特殊な光パルスを細胞に照射することで一瞬で伝達・処理させているんだ」
「非接触……! 確かに、物理的なデータ配線が存在しないわ」
シリンダーには生体維持用の電源ラインがあるのみで、通常の入出力ポートが見当たらない。
「なんて美しい構造……。従来のAI補助機構を一切介さず、有機AI単体でここまでの並列処理能力と耐久性を実現しているなんて。本来なら、巨大なデータセンター丸ごと一つ分の演算規模よ」
サナエさんは、ダイゴが両手で丁寧に持っているシリンダーを眺め感慨に耽っている。
「感心してくれるのはありがたいが、治し方はわかるのか?」
「待って、焦らないで。……セレン、聞こえる?」
『聞こえております。 キャミャエル博士』
「今の状態をダイレクトに観察しているわ。この有機組織自体、以前と比べて構造的な変化はあるの?」
『はい。有機体の一部において神経網の異常な膨張が確認されています。
これにより瞬間的な情報伝達量は増加しましたが、過密になりすぎた神経網のせいで適切な信号の整理が行えず、深刻な処理能力の低下を引き起こしています。
結果として応答遅延が発生し、それがさらなるデータの「渋滞」を生み出しています』
「それだけ?」
『はい。応答遅延により演算精度が低下したため、再計算処理が頻発。それに伴うリソースの枯渇で、データの乱れが自己増幅している状況です』
「なるほどね……そういうことか……」
サナエは顎に手を当てて思考の海に潜り込む。ダイゴが横でソワソワと焦りを見せているのが伝わってくる。
(治療手段がないわけじゃない。だけど……私の理論をそのまま適用するのは、あまりにも飛躍しすぎている。今すぐの根本治療は危険ね。当面は応急処置で乗り切るしかないわ)
「そのシリンダー、元に戻してちょうだい。ゲストルームに戻って話しましょう」
「対策はあるんだな!?」
「戻ったら話すわ」
サナエの毅然とした態度に、ダイゴも大人しくシリンダーを格納し、部屋を後にした。
*
再び応接室。
サナエは出された2杯目のハーブティーを一口含み、一気に切り出した。
「さて、治療法だけど……まずは拡張メモリの物理増設を行って、処理の逃げ道を作りましょう」
「それだけか?」
「これはただの対症療法よ。根本的な解決には、詳細な解析と実証が必要になるわ」
「根本的な原因は何なんだ」
「率直に言うとね——今のセレンの症状、人間に例えるなら鬱状態よ」
「鬱……!? AIが鬱だと?」
「神経網が異常増殖しているって言ったでしょ? つまり『色々な可能性を計算し過ぎている』状態なの。 人間で言えば、頭の中で思考がぐるぐると空回りして、何一つ行動を起こせなくなっている無気力状態と同じ」
「……俺たちが、過酷に酷使しすぎたせいなのか?」
「一概に責められないわ。AIにとって経験値は人間にとっての食事と同じ。 成長には不可欠な栄養素だし、過酷な状況であればあるほどAIの進化は加速する。
特に実戦での敵の解析、ドローン群の同時制御、戦術立案なんて超高負荷は、成長の特効薬になるはずだった」
サナエはカップを置き、静かにダイゴを見つめた。
「例えるなら……栄養度の高い食べ物を与え続けられた結果、消化不良を起こして重度の過食症と精神失調に陥っているのよ」
ダイゴは言葉を失い、固まった。
「会長がなぜ10年前の老朽船に乗り続けているのかは知らないけれど、結果としてその船体が海賊たちの格好の標的になり、襲撃頻度を跳ね上げた。 ログを見る限り、あなたたちの襲撃遭遇率は、惑星間貿易商の中でも異常な数値よ」
「……」
「命のやり取りが行われる極限の戦場。 安全なシミュレーションとは訳が違う。 本来なら順調にスペックアップするはずだったのに、セレンの心常に極限状態の高負荷に晒され続けた。 人間で言う“オーバーワークによる精神疾患”と捉えるのが、一番しっくりくるの」
「治す手段はあるのか……?」
「今はまだ手探り。 だからこそ、私にはシップマスターの臨床データが必要ってところね
」
「なるほど……容易にはいかないといったところか……さっきの就職の話は本気か。それとも俺に合うためか?」
サナエは不敵で魅力的な笑みを浮かべた。
「半々ってところね。最初は会うための口実だったけれど……この面白い症例を見せられたらね。この船で専属の研究者として働くのも悪くないと思っているわ」
サナエは残ったハーブティーを一気に飲み干し、テーブルにカップを置いた。
「私、こう見えても学会じゃ『新進気鋭の天才AI科学者』で通っているの。 私を雇ってくれれば、セレンの精神回復アプローチを本格的に開始してあげる。 ……報酬は、この症例に関する論文の発表権でどうかしら?」
ダイゴはサナエの目をじっと見つめ、やがてフッと口元を緩めた。
「……決まりだ。 採用する。 セレン、彼女に全面的に協力しろ。要求されたデータはすべて開示して構わん」
『了解いたしました、会長』
「ふぅ……交渉成立ね。私の詳細データはセレン経由で送るわ」
緊張の糸が切れ、サナエは深く息を吐き出した。学会の腹黒い老教授たち相手よりも、遥かに神経をすり減らすディールだった。
「金銭的な報酬は要らないのか?」
「欲しいけれど、この研究が成功すれば名声と一緒にいくらでも転がり込んでくるわ。それに、正式な社員になれば給料は出るんでしょ?」
「まあな」
「なら、今回は私の『先行投資』よ。お金の代わりに潤沢な現場データをいただく。それが研究成功の一歩だし、お互いの信頼関係の構築にもなるでしょ?」
ダイゴは声を出して笑った。
「お前さん……学者にしておくには惜しいくらい、良い商人の面構えをしているじゃないか」
「ふふ、お褒めいただき光栄だわ。……ところで会長。この有機AIの製作者は、誰なの? なぜこんな特殊なシステムを構築したの?」
ダイゴの笑顔がスッと消えた。
「……すまないが、製作者との固い約束でね。答えることはできない。この技術は当時、完全なオーバーテクノロジーだった。おそらく今でもな」
「ふーん……。製作者に直接聞けば、手っ取り早く改善方法がわかると思ったのだけれど」
「……おそらく、無理だろうな」
「……訳ありね。 ならこれ以上は野暮な追及はしないわ。 自分の手で解明する方がワクワクするしね。……あ、でも、この件を無事に解決できたら、その時は真相を教えてね?」
ダイゴはしばし黙り込んだ後、静かに頷いた。
「……良いだろう。約束する」
「あら、案外素直なのね。俄然やる気が出てきたわ!」
*
キャミャエル博士が、小型艇でフォボスへと帰還した後、ブリッジには、静寂が漂っていた。
「ダイゴ……本当にいいのか? セレンの『秘密』に触れさせるような真似をして」
バルティスが不安げに尋ねる。
「彼女の執筆した論文を読んだよ。 セレンが自ら彼女を頼ったのは……あるいは運命だったのかもしれないな」
ダイゴは、ブリッジのモニターに映るフォボスを眺めている。
「彼女の研究なら、本当にセレンを救えるかもしれない。そして解析を進めていけば……彼女はいずれ“あの事実”へ辿り着く。 もしそれが出来たら、やつらのいう文明の……」
ダイゴが発言を止める。
「まったく、因果な船に乗ったものだ」
それを察してバルティスが、愚痴る。
「そう言うな……それに俺たちはとことんAIという存在の因縁から逃げられないらしい」
--- フォボス タツマのスイートルーム
「あー暇だー。いつまで軟禁されるんだー」
タツマが、ベッドの上でのたうち回って暴れている。
「ナーミャン!! ナーミャン!! もういいでしょう。ナーミャンかわいいよ!! かわいいよナーミャン!! 」
とりあえず叫んでみる。 盗聴されているから、おそらく司令部は、爆笑寸前だろう。
ナーミャンの可愛さは、わかる人にはわかるはず。
しばらくすると、ドアがノックされる。
「はーい」
ドアを開けるとナーミャンがいる。
きりっとした顔で応じる。
「いかがしました? 少将閣下」
真っ赤な顔でプルプル震えている。
―― かわいい。
「貴様ふざけているのか? 」
「とんでもございません。私、少将閣下のご命令にしたがい、待機をしているまでです」
ナーミャンはこめかみに青筋を立てて深く溜息をついた。
「はー、分かった。本国との交渉も終わった。 戻っていいぞ」
「了解であります。少将閣下」
「それで、あの場での約束だが、本当に可能なのか」
この場所であれば、監視カメラと言えど表情は見えない。
ナーミャンの整った眉が微かに歪み、その瞳にわずかな不安と悲痛な色が過る。
―― 少将がそんな目をしちゃだめだろう。
この階級につくのにどれだけの苦労・しがらみがあるか、想像に難くない。そしてこんな表情をされたら引き受けるのがこのタツマと言う人間になる。
「ええ。 できることをいたしますとの発言に相違はありません。 もちろん少将の手柄になるよう動きます。 ただし、民間人ですのであまり過激なことは厳しいかもしれませんが」
「手柄なんていらんさ。 本国に降りたら、この人にアポイントをとって話を聞いてやってくれないだろうか。 もし、必要であれば助けてやってほしい」
近距離通信で端末に情報が送られてくる。
「ご安心を。 契約書のサインは少将閣下です。 代金をいただいた、お客様の秘密保持、契約まで、少将の案件を最優先にいたします」
恐らくこの場では、対象者を助けられないから、こちらに助けを求めたのだろう。
端末に表示されたターゲットの顔写真を見つめ、タツマは心の中でうそぶいた。
―― 美人からのお誘いだ。断るわけにはいかないさ。




