第84話 キス、する?
「お嬢様、お待たせしましたっ!」
栞が運んできたのは、メイドカフェの定番商品・オムライスである。とはいえ私のクラスと同じく冷凍品だ。
冷凍の弁当を購入し、それを紙皿に移しただけの物である。
「夏鈴お嬢様。落書き、なにがいいですか?」
ケチャップを持った栞が私の顔を覗き込んでくる。こんなに至近距離にくるのは私が相手だからだろうけれど、ちょっと心配だ。
可愛い栞にこんな距離で見つめられたら、誰だって好きになっちゃうだろうから。
「こういうの、普通はなにを頼むものなの?」
「動物とか、好きなキャラクターが多いですよ!」
「……じゃあ、犬にしようかな。ポメラニアン」
私の言葉に、栞は一瞬で瞳を輝かせた。
「本当にお嬢様は、しおりんがお好きですねぇ」
任せてください! と栞がケチャップでポメラニアンを描き始めた。上手いわけじゃないけれど、栞が一生懸命描いてくれるということに意味がある。
「じゃあお嬢様。美味しくなる魔法、かけちゃいますねっ! 一緒に魔法、唱えてください。萌え萌えずっきゅん、ですよ?」
両手でハートを作った栞が胸を張る。教室のいろんな場所から聞こえてくる呪文を把握してはいるのだけれど、口にするのは照れ臭い。
でも、こういうのは全力で一緒に楽しむべきなのだろう。
「……分かった」
「いきますよ? 美味しくなーれ、せーのっ」
「「萌え萌え、ずっきゅん!」」
どうにでもなれ、と半ば自棄になって呪文を口にしたものの、存外悪くなかった。というか、楽しかった。
「召し上がれ、夏鈴お嬢様」
促されるがまま、スプーンでオムライスを口へ運ぶ。美味しい気がしてくるのは、間違いなく栞が魔法をかけてくれたおかげだろう。
「美味しいですか?」
「うん、美味しい」
「よかったです。別に、私が作ったわけじゃないですけど……そうだ!」
栞がしゃがんで、私の耳元に口を寄せた。
「今度お家で、手作りのオムライスを披露してあげます。また、メイド服で」
私が返事をするよりも先に、栞が離れてしまう。とっさに彼女の手を握ると、栞は悪戯が成功した子供のような顔で笑った。
「先輩、顔真っ赤」
「……不意打ちだったから」
「なに想像しちゃったんですか、もう」
私の想像を事細かに語れば、きっと今すぐ真っ赤になるのは栞の方だ。さすがに場所をわきまえているから、そんなことはしないけれど。
軽く咳払いをして、とりあえずオムライスの残りを食べる。
「いいの、ずっとここにいて」
「はい」
「栞と話したそうにしてるお客さん、多いけど」
「私は先輩としか話したくない、先輩専用のメイドさんですから」
なんかちょっと……その言い方は、えっちじゃない?
「それに今日は私の誕生日なので、ちょっとの我儘は許されるべきなんです」
「確かに、そうだね」
放課後になったら、今日は二人でデートをする。時間は限られているから遠出はできない。でも、近くにあるちょっとだけ高めのレストランを予約した。
私がバイトでもしていたらもっとしっかりと彼女を祝ってあげられたのだろうけれど、そればかりは仕方ない。大学生になればきっと、今よりちゃんと栞を祝ってあげられる。
大人になったら、もっと。
「……先輩からのプレゼント、楽しみです」
「気に入ってくれたらいいんだけど」
「気に入ります。先輩からのプレゼントなんですから」
はあ、と唐突に栞が溜息を吐いた。
「文化祭、今すぐ抜け出せちゃえばいいのに」
◆
なんとか仕事をやり遂げて、文化祭一日目が無事に終了した。既にかなり疲れているのに、明日も同じことをするのだと想像すると気が重い。
とはいえ明日は片付けの関係で、店を開く時間自体は今日よりも短いのだ。
荷物を急いでまとめ、慌てて挨拶をして教室を飛び出す。誕生日の今日は、私が栞を迎えに行きたいから。
廊下を走り、真っ直ぐに栞の教室へ向かう。扉を開けると、帰り支度を済ませた栞が私を待っていてくれた。
「栞。待った?」
「はい。ずっと待ってました」
おどけた栞の手を握る。驚いたように栞が目を見開いたのは、ここが教室のど真ん中だからだろう。
なんとなくいつもは、教室を出てから手を繋ぐことが多いから。
「行こう、栞」
「はい」
駆け足で靴箱へ移動する。まだ学校に多くの生徒が残っている中、私達はまるで逃げるように急いで敷地を出た。
レストランの予約時間まではまだ時間があると分かっていても、一秒でも早く二人きりになりたかったから。
「先輩。これからどうします? ちょっと早いですけど、もうレストラン行きますか?」
予約の時間まではあと20分だ。早いけれど、カフェに入るほどの時間はない。
「ちょっとだけ、公園でも寄っていかない? まだ暑いけど」
「ぜひ! 私、公園デートも好きですよ。夏鈴先輩とのデートなら、ですけど」
上機嫌の栞と共に、駅の傍にある小さな公園に入った。遊具は滑り台のみで、二人がけのベンチが二つ設置されているだけの小規模な公園だ。
子供はもう家に帰っている時間だからか、公園には人がいない。けれど人通りの多い道に面しているから、人の目はある。
ベンチに腰を下ろすと、栞が私の肩に頭を乗せてきた。
「ねえ、栞」
「はい」
「キス、する?」
「……え? ここで、ですか?」
栞が目を真ん丸にして私を見つめる。風が吹いて、栞の髪をそっと揺らした。
「うん」
「……人が、見てるかもしれませんよ? ここ、学校からも離れてないですけど」
「うん」
「……それでも、いいんですか?」
「だって今日は、栞の誕生日でしょ」
栞の頬に手を伸ばす。キスなんて何回もしているのに、栞は緊張でわずかに震えていた。驚きと期待に満ちた瞳には、私しか映っていない。
「栞。目は、閉じないで」
「……はい」
すぐ近くから、人の話し声が聞こえる。もしかしたら学校の人かもしれない。でも私は、声の主が誰かを確認しなかった。
栞だけを見て、ゆっくりと唇を重ねる。深いキスじゃない。だけど味わうように長い間、私達は唇を重ねた。
「栞」
「は、はい」
「大好き。改めて、誕生日おめでとう」




