第83話 恋人はいるので
受けた注文をメモし、裏方担当の人に伝える。その帰りに用意ができた料理を各テーブルへ運ぶ。
それが今回の私の仕事だ。提供する料理やドリンクは全て市販の物だから、回転率は高い。
「先輩、先輩、こっち!」
本来キャストを指名する制度はとっていないのだけれど、栞は手を挙げて私を呼んだ。
ごめんね、という表情をクラスメートに向けて作りつつ、早足で栞の席へ向かう。
「今日は私がお客さんですね」
「ご注文はお決まりですか?」
「うーん、先輩の愛で!」
満面の笑みで、メニュー表のどこにも載っていない物を口にする。私がなにも言わずにいると、栞が私の手を握ってきた。
「栞。一応、お触りは禁止なんだけど」
念のため耳元で注意すると、栞はにやにやと笑いながら私の手の甲を人差し指でなぞった。
「いいじゃないですか、お姉さん?」
「……栞、ふざけ過ぎ」
「だって先輩が可愛いんですもん」
だから仕方ないんです、となぜか私のせいにした後、栞はちゃんとメニュー表を開いた。
ドリンクメニューはいろいろあるけれど、フードメニューは炒飯と肉まんの二種類だけである。
「じゃあ、黒烏龍茶と炒飯で」
「朝だけど、お腹空いてるの?」
「このために朝ご飯抜いてきました」
ただの冷凍食品で、クラス全員で行った試食会では微妙な味、という結論に達した炒飯だ。提供するのが少々申し訳なくなってきたけれど、まあ、文化祭らしくていいのかもしれない。
「かしこまりました」
一応店員らしく言って、注文をメモする。先輩が運んできてくださいね、と栞が笑顔で言った。可愛い笑顔で言われたら断れない。
まあ、いっか。栞が帰ってからちゃんと他の客の対応をすれば。
一応クラスメートの様子を確認してみたけれど、注意されるようなことはなかった。
◆
「じゃあ先輩、午後は私のクラスに遊びにきてくださいね!」
制限時間ぎりぎりまで滞在した後、栞は手を振って教室を出ていった。残りのシフトはまだ三時間近くある。
文化祭の接客ですら大変なんだから、接客業の人ってすごく大変なんだろうな。
態度のいいお客さんばかりじゃないし、そもそも知らない人相手に笑顔で話しかけること自体体力を使う。いや、まあ、私の場合は上手く笑えていない気もするけれど。
「天笠さん、ちょっと休憩する?」
「え?」
「働きっぱなしで疲れたでしょ。みんなちょくちょくトイレ休憩とかはとってるから、頑張り過ぎないでいいからね」
それだけ言うと、岸本さんは仕事に戻った。彼女自身は休憩をとっているように見えないのに、私のことも気を遣ってくれたらしい。
お言葉に甘えて、少しだけ教室を後にする。しかしチャイナドレスを着ているせいでやたらと見られてしまい、気が休まらなかった。
用を足してトイレから戻る途中、ねえ、と見知らぬ男子高校生に声をかけられた。他校の制服を着ているから、顔見知りである可能性はゼロだろう。
「めっちゃ可愛いなと思って! よかったら連絡先、交換してくれませんか」
いきなり手を掴んでくるわけでもなく、強引に迫ってくるわけでもない。どうやら悪質なナンパではないようだ。
これなら、運営に通報はしなくていいか。
悪質なナンパ行為は、声をかけてきた者の特徴を添えて文化祭実行委員に通報することになっている。情報を共有し、速やかに対処することが目的だ。
「無理です」
はっきりと断ると、男子高校生はあからさまに落ち込んだ表情になった。
「やっぱり彼氏いますか?」
「……彼氏はいない、けど」
緊張で鼓動が早くなる。騒がしいはずなのに、周りの音が遠く聞こえた。
「恋人はいるので」
相手が目を丸くした瞬間、くるりと背を向けて歩き出す。あの、という声は無視した。
言えた。
知らない人にだけど、言えた。
名前も知られていないし、きっともう二度と会うこともない相手だから言えたことだ。それでも、私にとっては勇気のいることだった。
そして、大きな一歩でもあった。
教室に戻って、急いで接客に混ざる。先程までは大変だと思っていたはずなのに、今は働いているうちにだんだんと心が落ち着いてきた。
栞に早く会いたいな。会ったばかりだけど、もう会いたい。
◆
無事にシフトを終えた私は、女子更衣室で着替えを済ませてから栞のクラスに向かった。案の定、教室前には行列ができている。
並ぶのは想定済みだ。昼過ぎから来場者も増えて、どの教室も賑わっているから。
三十分くらい並んでようやく、教室の中に入ることができた。教室内は予算の範囲内でなんとか可愛らしく飾りつけられており、メイド服を着た生徒達が慌ただしく動き回っている。
いた、栞。
もちろん、栞もどたばたと動き回っていた。声をかけたいけれど、他の客を接客している。
どうにか粘って栞が私のテーブルにきてくれるのを待とうと思ったのに、案内にきてくれた女子生徒が私を見てああ、と手を叩いた。
「すぐ栞呼びますね!」
「……いいの?」
「ていうか、呼ばないと怒られます。栞が怖いせいで、私達、正直誰も天笠先輩の接客したくないですよ」
はは……と引きつった笑みを浮かべた彼女が名前を呼ぶと、栞がすぐにやってきた。
「せんぱ……お嬢様! おかえりなさいませ!」
自惚れじゃなく、他の客に向けていた笑顔とは別格の可愛さだ。栞の顔にはでかでかと、私が好きだということが書いてある。
「うん、ただいま」
「きゃー! なんか新婚さんみたいですね、お嬢様! こっちへどうぞ!」
栞に案内されて、一番奥の席に座る。栞のメイド服は、家で見た時よりも胸元が詰まっている気がした。
しかも素足ではなくちゃんとストッキングを履いている。
「夏鈴お嬢様。ご注文はお決まりですか?」
「おすすめは?」
「それはもちろん、私の愛です!」
にこにこ笑って答える栞が可愛くて、ついからかいたくなってしまう。ここは私の家じゃなくて、学校なのに。
「それはもう、とっくに私の物なんじゃないの?」
楽しそうに笑っていた栞の顔が急に真っ赤になる。
「……そういうところが狡いんですってば、先輩は」
呟いた栞の顔は、誰にも見せたくないくらい可愛かった。




