第75話 私達だけの秘密
「ごめんなさい、先輩。うちの家族うるさくて」
「いや、それは全然……」
「みんな先輩に会いたくて仕方なかったんですよ。私の先輩なのに」
栞は私の腕にまとわりついたまま、幸せそうに笑っている。
彼女の顔を見れば、家族が心の底から私のことを歓迎してくれていることが分かった。
そんなことって、あるんだ。
「……先輩。私、思うんです。世間ってきっと、そんなに冷たくないんじゃないかなって」
無邪気な顔で笑う栞の世界は、きっとずっと綺麗だったんだろう。
「先輩」
「なに?」
「安心してください。私、先輩と付き合ってるってこと、家族にしかまだ言ってませんから」
大丈夫ですよ、と栞が穏やかに笑った。栞はこんなに、大人びた笑みを浮かべる子だっただろうか。
「みんなに言えなくたって、先輩が私のことを大好きでいてくれたら、私はそれで十分です」
「……栞」
「それに、私達だけの秘密って考えたら、ちょっぴりドキドキしちゃいますもんね?」
悪戯っぽく言うと、栞は軽やかに私の唇を奪った。
◆
「お邪魔しました」
家まで車で送る、という提案を断って、栞と一緒に家を出る。別にいいと言ったのだけれど、駅まで送ると栞が譲らなかったのだ。
「先輩。疲れてませんか? 大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
本音を言えば、少しだけ疲れてしまった。夕飯の間中、私はひたすら質問攻めにあっていたから。
もちろん、栞の家族に一切の悪意はなかった。栞への愛情に溢れた食卓は幸福そのもので、栞が愛されていることが私も嬉しかった。
でも、ちょっとだけ居心地が悪かったな。
母親と二人きりの我が家とはまるで違う雰囲気だった。
絵に描いたみたいに理想的な家庭。裕福で家族仲が良くて、誰一人欠けていなくて。
娘の彼女、なんて異物でしかないはずの私のことも、完璧な家庭は受け入れてくれた。
羨ましい、とは少し違う。恥ずかしいわけでもない。
ただ明確に栞との違いを感じて疲れただけだ。そう。疲れた、という言葉以外に適切な単語が見つからない。
「夏鈴先輩」
駅に着くと、栞が寂しそうに私の手を引っ張った。上目遣いで私を見つめる瞳には、キスして、とはっきり書いてある。
だけど今は、少なくはない人が駅前にいる。こんなところでキスをすれば、確実に誰かに見られるだろう。
だから栞、なにも言わないの?
それでもなにもせずに帰ろうとはしない彼女のことを、たまらなく愛おしいと思った。
「ちょっといい?」
返事を聞かず、木陰に栞を連れ込む。夜でもまだ蒸し暑くて、周囲からはよく分からない虫の声だってする。
ロマンティックさとはかけ離れた場所なのに、栞は期待に満ちた目で私を見つめた。
「……キス、してもいい?」
「先輩ならいつでもどうぞ!」
笑顔で答えた栞の唇に、触れるだけのキスをする。近くから男女の笑い声が聞こえてきて、慌てて唇を離した。
その瞬間、わずかに寂しそうな顔をした栞が目に入る。
栞は、こんな風にこそこそ隠れずに済む相手と付き合いたいんじゃないのかな。
なんて思うほど私は鈍感じゃない。
栞はこそこそ隠れずに済む相手と付き合いたいんじゃなくて、私とこそこそ隠れずに付き合いたいのだろう。
「栞」
「なんですか?」
私達の関係、内緒にするのやめる?
そう聞いたら、栞は喜ぶだろう。分かっているけれどやっぱり怖い。
私は栞のことが大好きだから。第三者の悪意で、この関係にひびが入ってしまうのが嫌だから。
大事なものだから、大切にしまっておきたい。
「来月、誕生日でしょ」
代わりに別の話題を口にすると、栞は笑顔で頷いた。
「はい! 誕生日です! 10月4日ですよ!」
「知ってる」
栞の誕生日が天使の日だなんて、覚えやすくて忘れるはずがない。去年も祝ったけれど、今年は特別だ。
だって、恋人になって初めて迎える誕生日だから。
そして今年の10月4日は土曜日で、文化祭一日目でもある。
「プレゼント、なにか欲しい物ある?」
「先輩がくれるならなんでも嬉しいです!」
「……そうじゃなくて」
具体的な物を教えてほしいのだと見つめれば、分かってないですねぇ、と栞が溜息を吐いた。
「先輩が私のためにたーくさん考えてくれるのが嬉しいんです! だから、私がリクエストしたら意味がないんですよ」
栞の言っていることは分かる。でも、プレゼント選びの自信がない。
「あ。先輩。言っときますけど、他人にアドバイスを求めるのは禁止ですからね! 私は、純度100%の先輩が選んだプレゼントが欲しいんですっ!」
「分かった」
頷きながら、頭の中で必死に考え始める。
栞の誕生日まで、もう一ヶ月もない。早く、最高のプレゼントを考えなくては。




