第61話 一番綺麗
「……はあ」
渡されたばかりの模試の結果を見ながら、そっと溜息を吐く。
受けた時点で薄々分かってはいたけれど、かなり悪い。
夏鈴先輩は模試でも、いつも成績いいって言ってたな……。
「いやいや、これからだし」
模試を受けたのは1ヶ月くらい前だ。だからこれは今の私の実力じゃなくて、1ヶ月前の私の実力。
今の私なら、きっともっといい点数がとれるはずだ……たぶん。
成績表をファイルの奥底にしまいこみ、勉強に集中する。夏鈴先輩の授業が終わるまでの間に、少しでも勉強を進めておかないと。
夏鈴先輩って、やっぱり頭がいい人が好きなのかな。
自分より頭よくないと嫌! みたいなレベルだったら、かなり厳しいんだけど……。
勉強は昔からあんまり好きじゃない。だけど、やらなきゃいけないことはさすがに分かってる。高校受験からは逃げられないもん。
よし! 頑張って夏鈴先輩に褒めてもらうことをモチベに頑張っちゃお!
◆
自習室の扉が開いて、夏鈴先輩が中に入ってきた。
相変わらず、夏鈴先輩は他の人と違って輝いて見える。
夏鈴先輩はきょろきょろと視線を動かし、私を見つけてくれた。目が合った瞬間に、わずかに夏鈴先輩の顔が緩む。
うっ! やばい。美人すぎ。可愛すぎ。心臓に悪すぎ……!
夏鈴先輩は静かに近寄ってくると、私の前で立ち止まった。周りを気にしながら、そっと私の耳元に口を寄せる。
「羽田。おまたせ」
うわ、先輩の声、よすぎない……!?
女の子にしては少し低めの凛とした声は、やっぱり夏鈴先輩が特別だってことを示している気がする。
きっと女神様っていうのは、夏鈴先輩みたいな見た目で、夏鈴先輩みたいな声をしているのだろう。
「は、はい、待ってました……」
頬が熱くなっていく。鏡で確認しなくたって、顔が真っ赤になったことが分かった。
「に、荷物、すぐまとめますので」
「急がなくてもいいけど」
「いえ、先輩を待たせるわけにはいきません」
慌てて荷物をまとめ、鞄を肩にかける。自習室を出る瞬間、みんなが私達を見ていた。
夏鈴先輩が誰かといるところなんて、見たことないからだろうな。
私は先輩とご飯の約束もしてるんだって、大声で自慢しちゃいたい。
◆
「え? 夏鈴先輩って、わざわざ乗り換えまでしてここにきてるんですか?」
同じ塾に通っているのだから、それほど遠くに住んではいないだろう、と思っていた。しかし先輩は、わざわざ1時間近くかけてこの塾に通っているらしい。
「……評判がいいって、お母さんに言われたの」
「へえ! 私も母親にそう言われたんですけど、そこまでだったんですね。ていうか、わざわざ遠くからくるなんて、先輩偉すぎません!?」
駅までの帰り道、先輩と他愛ないことを話しながら歩く。主に喋っているのは私ばかりだけれど、先輩もそれほど無口だというわけではない。
なんていうか、すごく居心地がいい。
「先輩、ただでさえ頭いいのに」
「……ちょっと勉強が得意なだけ」
「先輩がちょっとだったら私が困っちゃいます! こういう時は、堂々と自慢していいんですからね?」
私がそう言うと、先輩は目を逸らして頷いた。
不思議だ。こんなに美人で頭までいいなんて、私だったらめちゃくちゃ自慢しまくるのに。
「私は成績、かなり悪いんです。小テストだって毎回不合格だし」
「やり方が合ってないだけじゃない? やり方を変えてみたら上手くいくこともあると思うけど」
先輩の返しに、私はつい足を止めてしまった。
羽田? と先輩が不思議そうに首を傾げる。揺れた髪からは、なんの匂いもしなかった。
「……先輩は、私が勉強してないからだって思わないんですか?」
「どうして? 羽田、普通に勉強してるんでしょ?」
先輩は私の目を真っ直ぐに見つめて、一度だけまばたきした。
長い睫毛が揺れる。夕陽を浴びた先輩は、やっぱり特別に輝いていた。
「勉強してないなら、成績が悪くても気にしないと思って。ちゃんとやってるのに結果が出ないから、羽田は悩んでるんじゃないの?」
私は別に、悩んでいるなんて言っていない。愚痴っぽくならないように、明るい口調で言ったつもりだ。
なのに先輩、私が悩んでるって気づいてくれたの?
「羽田?」
「……な、なんでもないです」
嬉しいとか、ありがとうとか、先輩に伝えたい言葉はたくさんある。だけどたくさんありすぎて、急には言葉が出てこなかった。
「あの、夏鈴先輩。よ、よかったら、なんですけど」
「なに?」
「私に勉強、教えてくれたりしません……?」
先輩の手をぎゅっと掴んで、先輩の顔を見上げる。先輩の目に映った私は、見たことないくらい必死な顔をしていた。
先輩に拒まれたくない。嫌われたくない。だけど、もっと近づきたい。
初めてだらけの心に、まだ脳が追いつけない。それでも今、先輩の手を放しちゃいけないことはなんとなく分かる。
「夏鈴先輩、お願いします」
「……別に、いいけど」
「本当ですかっ!?」
飛び跳ねて喜ぶと、先輩が目を丸くした。
「私、先輩が教えてくれたら、すっごく頑張れる気がします! 100点どころか、120点くらいとれちゃうかも!」
なにそれ、と笑った先輩の顔は、私が人生で見てきたものの中で、一番綺麗だった。




