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【百合】天笠夏鈴は堕とされたい~健気で一途な後輩に堕とされる百合の話~  作者: 八星 こはく
幕間2(羽田栞視点・中学時代回想含む)

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第59話 こんなに簡単に

 最近、私が通っている塾にすごい人が入ってきた。

 一つ年上の三年生で、頭がよくて、しかもとびきりの美人。

 三年生の秋という変な時期に入塾してきた先輩の名前は、天笠あまがさ夏鈴かりん。一度聞けば忘れられないような、綺麗な響きの名前を持つ人。


 私はなんとなく、いつもその人を目で追ってしまう。

 理由は分からない。分からないけれど、彼女がとても特別な人に見えるから。





「まったく……ちゃんと予習してくるようにって言いましたよね」


 20点、と書かれた小テストの答案用紙を差し出しながら、鈴木すずき先生がいつもの小言を口にした。

 眼鏡をかけた几帳面なこの先生は、たぶん私のことがあんまり好きじゃない。


「……すいません」


 頭を下げながら答案用紙を受け取る。勉強はしたんです、と言おうとしたけれどやめた。結果が伴っていないのだから、言ったところできっと言い訳にしか思われない。

 席に戻る途中、くすくすと笑い声が教室に響く。席に戻ると、隣の席の子が笑って話しかけてきた。


「栞、ちょっとくらい勉強してきたらいいのに」


 したよ。私、ちゃんとしてきた。

 でも分からなくて、上手く解けなかっただけ。


「……はは、だよねー。でもさ、ぜんっぜんやる気にならなくて」


 へらへらと笑いながら応じる。ちゃんとしろよ、なんて後ろの席に座っていた男子も声をかけてきた。前に座っている女の子も。

 別にみんな、私のことを嫌っているわけじゃない。むしろ、私に話しかけるきっかけを探しているだけだ。

 そう理解していても、塾にくるたびに、私の心はちょっとずつすり減っている気がする。





「ああもう、ぜんっぜん分かんないし……!」


 イライラして、ついシャーペンを乱暴に筆箱へ投げ込んでしまった。思ったよりも大きな音がして、周囲からの視線を集めてしまう。

 静かな自習室では、わずかな物音も邪魔になるのだ。

 自習室を出て、自動販売機が設置してある休憩スペースに向かう。


 塾、辞めたいな。

 勉強しなきゃいけないのは分かってるんだけど……。


 学校と違って、塾では『勉強ができるかどうか』が人間関係を構築する上でかなり重要なポイントになってくる。

 成績の悪い私は、努力せず遊んでばかりいる子、というレッテルをすぐに貼られてしまった。


 私が可愛いからって、そういう決めつけはやめてほしい。

 でも、頑張っても頭が悪いだけなんです! なんて言いたくないし。


 再び溜息を吐きながら、財布の中身を漁る。ジュースでも飲んで気分転換しようと思ったのに、全くお金が入っていなかった。


 あ……! 昨日学校帰りに使っちゃって、財布にお金補充するの忘れてた……!


 諦めて自動販売機の前から立ち去ろうと振り返った瞬間、天笠先輩と目が合ってしまった。

 いつも通り癖一つない艶やかな髪に、上品に配置された無駄のないパーツ。いつ見ても、びっくりするほど綺麗な人だ。


 てか睫毛長すぎない? 顔も小さいし、毛穴とか全然見えないし。

 何回見てもこの美貌、慣れないんだけど。


 天笠先輩を始めて見た時の衝撃は今でも忘れられない。こんな人、リアルにいるんだって驚いた。なんていうか、作り物みたいに綺麗な顔をしているから。


「……買わないの?」


 首を傾けると、長い髪がさらりと揺れる。髪の毛の流れまで綺麗だなんて、なんだか狡い。


 しかも天笠先輩、めちゃくちゃ頭もいいらしいし……。


「……そ、その、て、手持ちが足りなくて」


 うわ、超恥ずかしい。

 150円くらいのジュースも買えないなんて、天笠先輩に言いたくなかった。


 なんでよりにもよって、こんなタイミングで初会話になっちゃったんだろう。


 恥ずかしさと悲しさでいっぱいになって、なんだか泣きそうになる。

 でも、いきなり泣いて変な奴だって思われたくない。

 両手をぎゅっと握って、俯いて涙を堪える。


「……いくら?」

「え?」

「足りない分」

「に、20円……」


 天笠先輩は頷くと、財布から10円玉を2枚取り出した。はい、と表情を変えずに差し出してくる。

 意味が分からなくて、頭が混乱した。


 どういうこと? 天笠先輩って、人にこんなことするの?


 天笠先輩は美人で頭もいいけれど、クールで近寄りがたいという噂だった。特に男子には冷たいし、女子とも積極的に話すことはないはずだ。


「い、いいんですか?」

「別に」

「あっ、明日! 明日ちゃんと持ってくるので、絶対!」

「いいよ、それくらい」

「よくないです! それに返す時、また先輩と話せるじゃないですか!」


 慌てていたせいで、うっかり口から本音がこぼれてしまった。


 やばい! 私、いきなり変なこと言う奴だって思われちゃう……!


 私と先輩は初対面で、こんなことを急に言われても困るはず。

 せっかくのチャンスなのに、私、失敗しちゃった!


「せ、先輩、今のは、今のはえーっと、別に変な意味じゃなくて、ただこう……先輩と話したいなとか、仲良くなりたいなって思ってたから、いやだからそれもえーっと……」


 口を開けば開くほど、変なことを口走りそうになってしまう。

 それでもなぜかこの人に嫌われたくなくて、私は必死に言葉を探した。


「その! とにかく私、先輩ともっとお話がしたいんです!」


 勢いよく叫んで、右手を差し出す。怖くてぎゅっと目を閉じたけれど、先輩は私の手を握ってくれた。

 ゆっくりと目を開ける。そこには、わずかに微笑む先輩の顔があった。


「……大丈夫だから、そんなに焦らなくて」


 この時思ったことを、私はたぶん、一生忘れないと思う。


 ———人って、こんなに簡単に恋に落ちるんだ。

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