第55話 私の彼女が可愛すぎる
「先輩。せんぱい。せーんぱいっ、夏鈴先輩!」
「なに?」
「なんでもないです、ねえ先輩。ふふ……」
なんでもない、と言うくせに、栞は先程からずっと私の名前を呼び続けている。可愛い顔を幸せでいっぱいにして、私の腕を掴んで放そうとしない。
「先輩。私、このまま帰りたくないです。先輩の家、行ってもいいですか?」
私だって栞を帰したくはない。それに、いつまでもファミレスの前で騒いでいるわけにはいかないだろう。
今でさえ、なんだか注目を集めている気がするし。
「いいよ。そんなに長くはいられないだろうけど」
「私としては、お泊りしたいくらいなんですけど!」
「……明日も学校でしょ」
魅力的過ぎる提案だが、さすがによくない。栞も本気ではなかったのだろう。はーい、と不貞腐れたように返事をしてくれた。
「じゃあ行きましょう、先輩。あっ、手はこうやって繋ぐんですよ?」
笑いながら、栞が恋人繋ぎをしてくる。目が合うと、満面の笑みを浮かべた栞が言った。
「だって私達、恋人ですもん。ねえ先輩、そうですよね。私って先輩のなんですか?」
「恋人」
「そう! そうなんです! 私は先輩の恋人で、先輩は私の恋人。これ以上に幸せなことなんてあります?」
先程まで泣いていたのが信じられないくらい、栞はハイテンションだ。こんなにはしゃいだ栞を見るのは初めてかもしれない。
「私と先輩はずっと一緒だから、私はこれから毎日、ずーっと幸せです」
あまりにも可愛いことを言うものだから、今すぐ抱き締めたくなってしまう。恋人同士になった今、彼女を抱き締めるのに理由はいらない。
それ以上のことにだって、なにも理由はいらないのだ。
「栞」
「なんですか、先輩?」
「家についたら、抱き締めてもいい?」
ぎゅ、と繋いだ手に力を込める。これからはなんの理由もつけずに彼女を求めてもいいのだと思うと、幸せで泣きそうだ。
「今でもいいですよ。365日、24時間、しおりんはいつだって先輩のハグを待っていますからっ!」
どうしよう。
私の彼女が、あまりにも可愛すぎる。
◆
家に着いてすぐ、私の部屋へ移動した。お母さんは帰ってきていないからリビングでもいいのだけれど、なんとなく気まずいから。
すっかり慣れた様子でベッドに腰を下ろした栞が、大きく両手を広げる。
「せーんぱいっ、抱っこ!」
可愛い。可愛い。これは、まずい。
「ほら、先輩早く早く。先輩の可愛い彼女が、先輩のハグを待ってるんですからね?」
私はもう栞の恋人だ。だから彼女をどれだけ抱き締めたっていいし、好きだと伝えてもいいし、可愛いと褒めてもいい。
今まではずっと、本音をなんとか押し込んでいたのに。
「栞」
名前を呼んで、ぎゅっと栞を抱き締める。初めてのことじゃない。彼女の匂いだってもう覚えている。
それでも恋人としてのハグは、今までとは全く違うものだった。
胸の奥が温かくなって、なんだかすごく安心する。そして、栞の温もりが愛おしくて仕方ない。
「夏鈴先輩。私のこと、好きですか?」
「好きだよ」
「ただの好き?」
「……大好き」
言いながら、これじゃ足りないのに、と思う。大好きなんてありふれた言葉では表せないくらい、私はもっと栞のことが好きだ。
それでも他に適切な言葉が見つからない。
「あの人より、ですか?」
「一番だよ」
「あの人より、私が可愛いですか?」
「栞が一番可愛い」
栞を不安にさせたのは私だ。だから栞の不安は、私が消す必要がある。
「私はもう、栞しか好きじゃない。だからすみれを見ても、なんとも思わなかった」
「……本当に?」
「本当」
「可愛いなとか、綺麗だなとか、ほんのちょっとも思いませんでした?」
とっさに言葉に詰まってしまうと、栞がわざとらしく頬を膨らませた。
「先輩は、ああいう人がタイプなんですね」
そういうわけじゃない、というのは、さすがに嘘だ。
私の初恋はすみれで、私の好みはすみれを元に作られたと言っても過言ではないのだから。
「……栞の方が、ずっと可愛いよ」
「言葉だけで信じてもらおうなんて、先輩、ちょっと都合よくないですか?」
栞が私の首に腕を回す。唇が触れそうなほど近づいてきたのに、栞からはキスをしてくれない。
「先輩」
「なに?」
「ちゅーして?」
早く、と栞が唇を突き出してくる。今の私にはもう、キスを拒む理由なんてない。
「大好き」
気持ちを言葉にして、私は恋人にキスをした。




