第52話 言えなかったこと
待ち合わせ場所に指定されたのは、家の最寄り駅付近にあるファミレスだった。中学時代は何度も一緒にきた場所だけれど、すみれと仲違いをしてからは一度も行っていない。
ファミレスだけでなく、近所にある大半の店がそうだ。すみれとの思い出が詰まった場所に、彼女以外と行く気にはなれなかったから。
「……よし」
深呼吸をして店の中に入る。既にすみれは店に到着していると連絡がきていた。彼女が通う高校は、私の高校よりも早く授業が終わるらしい。
すみれは店の一番奥に座っていた。私が声をかけるよりも先に振り向いて、夏鈴、と私の名前を呼ぶ。
頭からも耳からも消えない、夢の中ですら何度も聞いたすみれの声。
どんな顔で返事をすればいいのか分からないまま、私は頷いた。
「久しぶり、夏鈴」
「……久しぶり」
「きてくれてありがと」
わずかに引きつっていること以外、すみれの笑顔は昔と変わらない。けれど近くで見ると、すみれの雰囲気は変わっている。
メイクも髪型も、少し大人っぽくなった気がする。昔に比べると落ち着いた色味のアイシャドウやリップは、流行っていただけのそれらよりずっと似合っている。
簡単に言ってしまえば、すみれは綺麗になった。
「ほら、座りなよ」
「……うん」
喋り方までちょっと大人っぽくなったのも気のせいじゃないはずだ。そう断言できるくらいには、私はすみれのことを見ていた。
向かい合って座り、居心地の悪さを感じながらすみれを見つめる。私の視線を受け止めて、すみれはメニューを開いた。
「今日はアタシが奢るから。好きなの頼んでよ」
「……そんなの悪いよ」
「どうして? アタシが謝るために呼び出したのに。それにアタシ、夏鈴と違ってバイトしてるからさ。意外と余裕あるの、今」
私もすみれも、もうあの頃の私達じゃない。なのに会話のテンポ感は昔とあまり変わらなくて頭が混乱する。
「ほら、これとかどう? 夏鈴、よく食べてたじゃん」
すみれが指差したのは、おろしハンバーグ定食だった。確かに私は、すみれとこのファミレスにきた時頻繁にこれを注文していた。
そして今も、食の好みはあまり変わっていない。
「……覚えてるんだ」
「そりゃあね。さすがのアタシも、そこまで記憶力悪くないから」
ベルを押して定員を呼ぶと、すみれはおろしハンバーグ定食とクリームパスタを注文した。
「ねえ、夏鈴。高校生活はどう? 夏鈴の通ってるとこ、かなり厳しいって聞いたけど、相変わらず成績はいいの?」
「まあ、それなりに」
頷いて水を飲む。私は今なにをしているのだろう。謝りたいと言ったすみれは、他愛ない会話を始めてしまった。そして私もその雑談に当たり前のような顔で乗って、すみれと普通に喋っている。
「やっぱり。夏鈴って本当すごい。昔からそう。頭よくて要領もよくてさ。アタシなんか絶対、一生夏鈴には勝てないんだろうなって思ってた」
「……そんなこと、私は思ったことない」
「知ってる。知ってた。……知ってたのに、ね」
すみれは私の目を真っ直ぐに見つめた。すみれの瞳に、少しずつ涙がたまっていく。
雫が瞳から零れ落ちるより先に、私の唇が動いていた。
「泣かないで、すみれ」
口から出た言葉に自分でも驚く。この期に及んでまだ、私はすみれの傷ついた顔を見たくないらしい。
私は彼女に、消えないトラウマを植えつけられてしまったというのに。
「ごめん。ごめんね、夏鈴」
泣きながら、すみれが私に頭を下げた。
「アタシ、本当に馬鹿で……夏鈴に酷いことした。最低だった。夏鈴のこと、いっぱい傷つけちゃった」
「……うん」
「夏鈴がアタシのこと好きだって分かってたのに。なのにアタシ、夏鈴が羨ましくて、むかついて……夏鈴のこと、傷つけちゃったの」
大粒の涙がテーブルを濡らす。手を伸ばそうとしてやめた。私は今、彼女の涙を拭うべきじゃない。
「夏鈴といるの、本当に楽しかった。夏鈴みたいに可愛くて綺麗で頭がいい子がアタシを慕ってくれて、調子に乗ったりもした。なのにさ、アタシ、どんどん夏鈴に嫉妬するようになっちゃったの」
当時の私から見れば、すみれは誰よりも可愛い少女だった。でもきっと、すみれにとってはそうじゃなかったのだろう。
私といるだけで、あの頃のすみれは苦しかったのだ。
「気づいてなかったでしょ。夏鈴といる時、みんなが夏鈴のこと見てたの。すれ違う人も、入った店の店員も、全員」
全く気づいていなかった。だって私は、すみれしか見てなかったから。
「夏鈴が隣にいるだけでどんどん自己肯定感が下がって苦しくなって……それで、優しくしてくれた人と付き合った。その人は夏鈴を知らないから、アタシに可愛いって言ってくれるしさ」
「……そうだったの」
「うん。その上宮野が夏鈴を好きだって聞いて、アタシは利用されてただけとか……マジでしんどくて」
ゆっくりと息を吐いて、すみれが私を見つめる。彼女は手を伸ばして、そっと私の手を握った。
「ごめん、夏鈴。あの時、ちゃんと言えなくて」
「……なにを?」
「アタシを好きになってくれてありがとう、って」
今さらそんなこと言わないで、という言葉の代わりに、私の口から漏れたのは嗚咽だった。
ぐちゃぐちゃになった感情が涙と共に流れ落ちていく。
「……遅いよ」
「うん。それも、ごめん」
いいよ、なんて言えるわけない。だけどなにを言うべきかもすぐには分からなくて、私はただ涙が止まるのを待った。




