第51話 信じてますから
これはまずい。
本当に、非常に、すこぶるまずい。
そっと息を吐いて頭を抱える。授業の内容なんて全く頭に入ってこない。
私のスマホの画像フォルダにはえっちな栞の写真があって、昼休みに私は栞にキスをして。
―――なのに私達はまだ、付き合っていない。
今の私達はどこからどう見たって健全な関係ではない。それはとてもまずいことなのではないかと、私の本能のようなものが騒いでいる。
結末は決まっているから問題ない、と栞は言っていた。果たしてそうだろうか。不健全な今が、結末に影響を与えてしまうことはないのだろうか。
「……さん、天笠さん!」
名前を強く呼ばれ、ハッとして立ち上がる。どうやら私があてられていたらしい。
「問3の答えは?」
慌てて問題を確認し、正解を口にする。あっさりと解放してもらえたのは、日頃私が真面目に授業を受けているからだろう。
だけど、この状況が続くのはまずい。
授業に集中しなくては、と意識を教科書に向けようとしても、頭の中に浮かんでくるのは栞のことばかり。
邪な私の脳味噌は『なにをしてもいい』という言葉に、完全に反応してしまっているのだ。
「……はあ」
栞は私が好きで、私も栞が好き。
そこから導き出される結末なんて、確かに一つしかない。
◆
「せーんぱいっ、一緒に帰りましょ? どうします? 今日はどこでデートします?」
放課後になると、笑顔の栞が教室にやってきた。
いつの間にか、塾がない日の放課後は一緒に過ごすのが当たり前になっている。だから今日だって、特に事前に約束をしていたわけではない。
「……ごめん。今日は用事があって」
私が言うと、栞はあからさまに落ち込んだ表情になった。そうですか、と寂しそうな声で言いながらスカートの裾をぎゅっと握る。
捨てられた子犬みたいで、可愛い。
「ごめん」
もう一度謝ると、栞は顔を上げて私を見つめた。
「何度も謝らなくていいですよ。別に、今日は約束してたわけじゃないですし」
栞の声には、わずかに棘が含まれている気がする。栞は私の手を握ると、ぐいっ、と強引に距離を詰めた。
「それで夏鈴先輩。今日の用事は、どんな用事なんです?」
大きな瞳が私の心を覗こうとしている。とっさに目を逸らした私を見て、栞は溜息を吐いた。
「二回も謝るくらい、私に言えないような用事なんですか?」
「そういうわけじゃない」
栞の目を見て答える。でも栞は、ふうん、とつまらなそうにそっぽを向いてしまった。
私は今日、すみれと会う。けれどやましい目的はない。私はただすみれの謝罪を聞きにいくだけ。
すみれに会いたいからじゃなくて、過去を断ち切るためだ。
「本当ですかね」
「本当」
それなのに、すみれに会うのだと栞に言えなかった。言えばきっと、彼女は嫌な気持ちになるだろうから。
「明後日は、栞が行きたいところに付き合うから」
「それってどこでもですか?」
「どこでも」
即答すると、栞は背伸びをして私の耳元に口を寄せた。
「ホテルでも?」
からかうような口ぶりで言うと、栞は私から離れて笑った。彼女の瞳には、赤くなった私の顔が映っている。
「先輩が悪いんですからね」
そう言うと、栞はあっさり私から離れて歩き出してしまった。繋がれていない手のひらが寂しくて、彼女の手首を掴む。
「栞」
「……なんですか、先輩?」
「駅まで、手を繋いで帰ろう」
「……先輩って、まったく……」
呆れたように言いながらも、栞は私の手を握り返してくれた。
「私じゃなかったら、絶対先輩の相手は無理ですよ? いい加減さっさと自覚してください。余所見なんてしたって、無駄な時間を使うだけなんですからね」
頬を膨らませた栞が私の手のひらに爪を立てた。痛いけれど、嬉しい痛みだ。だってこれは、栞が可愛い嫉妬をしてくれている証拠だから。
「あと、家に帰ったら電話してください。遅くなったら私、なにするか分かりませんからね」
「分かった」
「……忘れないでくださいね。ずっと先輩のことが好きなのは、私なんだってこと」
口には出さないけれど、たぶん栞は私がすみれに会うことに気づいている。
栞は今、心の中でなにを考えているのだろう。
「夏鈴先輩。そんな顔しないでください」
「……栞」
「私は先輩のこと、信じてますから」




