第42話 夏鈴先輩は栞を落としたい
「じゃあ先輩、また明日!」
カフェでパフェを食べ、ヘアアクセサリーの店を見た後、私達は解散した。本当はもっと長く一緒にいたかったけれど、明日は始業式なのだ。
栞と別れた後の電車で、すみれのイソスタを確認する。最新の投稿は三日前のもので、今日のことについてはなにも投稿されていなかった。
すみれも、友達と買い物にきてたんだろうな。
もし一人でいたら、私はすみれに話しかけられるのを待っただろうか。すみれに話しかけられたら、私はどんな顔で彼女に応じたのだろう。
すみれは、私になにを言うつもりだったのだろう?
目を閉じて、電車の揺れに身を任せる。すみれと話をしなかったことに後悔はない。だって今日は、栞とのデートだったんだから。
目を開けると、スマホに栞からのメッセージが届いていた。
『今日のデート、めちゃくちゃ楽しかったです! お家デートも楽しみにしてるので、絶対誘ってくださいね!』
元気いっぱいのメッセージは、いつも栞の声で脳内再生される。私も楽しかったよ、と送ってスマホを鞄にしまった。
明日からは新学期で、しかもすぐに定期テストがある。塾の通常授業だって始まるし、私はそれなりに忙しい。
だから、終わった恋に思いを馳せる時間なんてない。
「……栞の方が、可愛かったし」
こんな風に人を比べるべきではない、とは分かっている。けれどどうしても、そう思わずにはいられない。
すみれは私にとって初恋の人で、当時はすみれに夢中だった。彼女の笑顔を見られると幸せだったし、それが私に向けられる瞬間をずっと待っていた。
でも今日見たすみれは、昔のように輝いてはいなかった。
最寄り駅で電車を降り、何気なくスマホを鞄から取り出す。栞からの返信はまだきていない。
だめだ、と思いながらも、私は栞に電話をかけてしまった。
『先輩っ!? なにかありました!?』
電話越しに聞こえる栞の声に安心する。今の私にとってはもう、彼女への愛は身体を形作る大事なものなのだ。
好き。好き。大好き。
栞が、大好き。
私の記憶の中にはまだすみれがいる。だけどもう、心の中にすみれはいない。
「……なにかあったわけじゃ、ないんだけど」
『じゃあ先輩、しおりんの声が聞きたくなっちゃいました?』
目を閉じなくたって、からかうように笑う栞の顔が頭に浮かぶ。隣にいたらきっと、栞は私の顔を覗き込んで、挑発するように身体を近づけてくるのだろう。
「……それも、あるけど」
『あるんですか!? どうしたんです、夏鈴先輩! 今日は最初からやけに素直ですね!?』
「ねえ、栞」
すみれのことなんてもう、完全に忘れてしまいたい。イソスタを見るのだってやめたい。
私を縛っているトラウマから、さっさと解放されてしまいたい。
「顔が見たいの。ビデオ通話にできる?」
電話越しに、栞が息を呑んだのが分かった。
言い過ぎた、という自覚はある。けれど今、どうしても栞の顔が見たい。
『……しました』
スマホを耳から離す。画面には、顔を真っ赤にした栞が映っていた。ああ、やっぱり好きだなと感情がこみ上げてくる。
栞はすみれとは違う。私の好意を周囲に言いふらしたり、馬鹿にしたりしない。私の好意を拒むこともないだろう。
けれどそれと同じくらい重要なことがもう一つある。
それは私が、すみれとは比べ物にならないほど栞が好きだという事実だ。
『……先輩。どうしたんですか。急に、顔が見たいだなんて』
「ごめん」
『う、嬉しいので、謝る必要は全然、全くないんですけど……』
栞はそっと息を吐くと、涙目になって私を見つめた。
『帰る前に言ってくれたら、もっと先輩の傍にいたのに』
赤くなった顔、涙でいっぱいになった瞳、震える睫毛。
栞の表情を構成する全ての要素が、隅から隅まで全部愛しい。
栞はいつも、真っ直ぐ私に気持ちを伝えようとしてくれる。だから私はずっと、さっさと落とされたかった。どうしようもなくなって、私の口から本音がこぼれてしまえばいいと思っていた。
だけど、それだけじゃない。
「……私も、もっと一緒にいたかった」
私だって『好きだ』と伝えたい。栞の気持ちにちゃんと応えてあげたい。もっと栞を信じて、彼女のことを幸せにしてあげたい。
栞にも、もっともっと、私に落ちてほしい。
『かっ、夏鈴先輩、なにそれ、きゅ、急にそんなこと言うなんて……っ!?』
ゆでだこみたいに赤くなった栞は、スマホを持っていない方の手で顔を隠してしまった。顔が小さいから、片手だけであっさりと顔の全てが隠れてしまう。
「ねえ、栞。明日は昼帰りだけど、二学期もまた一緒にお昼ご飯を食べよう」
『……先輩、今までそんなこと言ってくれなかったのに』
毎日一緒にご飯を食べていたのは、栞が私のところへきてくれたからだ。いつの間にか二人の間に存在する暗黙のルールになっていたけれど、でも、私から口にしたことはなかったはず。
「言ってなかった。だから今、言ったの」
栞を失ってしまうことが怖くて、気持ちを口にすることから逃げ続けていた。
だけど今日すみれに会って、改めて気づいたのだ。やっぱり私にとって栞は特別で、栞を失うことなんて考えられないって。
だったら、私と同じくらい栞も私を好きになれば、栞だって私から離れられないよね?
「顔、見せてくれてありがとう。また明日会えるの、楽しみにしてる」
そう告げて、ビデオ通話を切った。
スマホを鞄にしまい、大きく息を吸い込む。心臓がばくばくとうるさい。今までになく大胆なことをした自分に驚いてもいる。
「……でも、頑張らなきゃ」
栞にもっと、私を好きになってもらえるように。




